第16話 お仕事

 圧倒的な力量差で士道さんが落武者を倒した後、時間を確認すると夜の六時を過ぎる頃合だったので、その日は探索を終了することになった。

 いつものようにバスや電車を乗り継いで帰ろうとした俺に、士道さんが万札をなんでもないように手渡してきたのには目を丸くした。

 当然断ろうとしたのだが返そうとしても一向に受け取って貰えず、凛華からも「貰っておけばいいの」と言われる始末で、結局貰ってしまった。

 さらに既にタクシーも呼んであったらしく、そのまま流されるようにして自宅へと帰った。

 その後はいつものように過ごして、ダンジョンでの疲れからか熟睡することが出来た。


 ――翌日。


「じゃあ、次は視線を外してリラックスね〜」


 カメラマンから告げられる指示を自分なりに解釈し、それっぽく見えるようにポージングをとる。

 すると、その一瞬を逃さないようにとフラッシュが何度も焚かれる。

 パシャ、パシャとシャッター音も聞こえる中で、俺はただただ表情を崩さず、されど緊張はしないように努めるのだ。

 それから撮られた写真のチェックが入り、カメラマンがOKを出すと、


「一旦休憩ー!」


 監督兼マネージャーのような役割を何故か受け持っているカレンの声がスタジオ内に響いて、スタッフも俺も暫しの休憩時間へと入る。


「お疲れ様」

「ん」


 用意されていた椅子へと座ったところに、労いの言葉とは裏腹に若干ニヤついた表情のカレンが近寄ってきた。

 しかし、今日この場にいる俺の知り合いはカレンだけではない。


「梓姉凄く可愛かったよ!」

「……うん、ありがと」


 目をキラキラとさせながら迫るのは見間違えるはずがない、妹である伊織だ。

 伊織の本心からと見える「可愛かった」という、歳頃の少女であれば嬉しく感じるであろうそれも、俺にとっては心を抉るドリルのようだ。

 贔屓目に見ている可能性も無くはないが、これでも伊織は意見をはっきり言う方ではあるため、俺が「可愛い」というのは嘘ではないのだろう。

 モデルとして写真を撮られ続ける俺の姿を見てやたらとテンションが高くなっている伊織と、正反対に気分が底なし沼へと沈んでいく俺。

 溜息も出てしまうというものだ。


 これまでの仕事の時には伊織が着いてくることはなかったのだが、今日は暇だったのかカレンの許可も得て見学している。

 なるべく見られたくないと思っていた俺としてはボイコットをしたくなったが、それはそれで迷惑がかかってしまうので止むを得ず出勤している。


「それよりも……もう少し表情がまだ硬いわ」

「そんなこと言われてもなぁ……緊張するのは仕方ないでしょ」


 俺は本職のモデルではないどころか、約一ヶ月前までは性別すら違かったのだから。

 見た目は他にもいるモデルの人達と比べても申し分ないかもしれない。

 服装だって用意してくれるし、メイクもプロの人がやってくれる。

 ……けれど、中身はそうそう変わらない。


「うーん、じゃあ……」


 カレンの両手が顔へと伸びてきて、むにっと頬に手のひらがぴったりとくっつけられた。

 そのまま円を描いたり、適度な強さで摘まれたり、逆に指で押されたりした。


「……なにしてるの」

「なにって……マッサージ? リラックスすれば少しはマシになるかと思って」


 そう言っている間も俺の頬はカレンに遊ばれている。

 不快感はないし、寧ろカレンが言った通り緊張が解れていく感覚はあるのがなんだか悔しい。


「……それにしても本当に手触りがいいわね」

「それはどうも?」

「……私も触るっ!」


 我慢が効かなくなったのか、参戦を表明した伊織によって二対一の不利な状況へと持ち込まれた。

 ……まあ、やられることは変わらないので結局放置なのだが。

 そんなこんなで数分ほど頬や頭を撫でて気が済んだらしい二人へジト目を向けていたものの、


「その視線いいわね。なんかそそるわ……っ」

「……はあ」


 カレンがどうしようもない変態なのがよくわかって、ため息をついたついでに愚痴を零す。


「やっぱり、わたしには向いてないよこれ……」

「でも、梓姉が写真撮られてる時は楽しそうだったよ?」

「…………そういう表情を作るのも仕事だからね」


 少々の沈黙の後に言い訳紛いの返答を返すと、「そうかなぁ」と疑り深く視線を向けてきた。

 俺は逃げるように視線を逸らして、ペットボトルを手に取り中身のミネラルウォーターで喉を潤す。

 伊織が言うことは少しだけ、ほんの少しだけだが自覚しているのだ。

 自分を着飾り、女の子として振る舞う姿を褒められることに、どこか安堵のような気持ちが少なからずあるのだ。

 多分慣れてきた……よりは身体に精神が引っ張られているのだろうか。

 抵抗があった可愛い服も、甘いものも、徐々に受け入れられている。


 最初はカレンに強制されるようにして始めたモデルの仕事だったが、今思えば中々の荒療治だ。

 自分に自信がある人がやるべき仕事だろうと思うけれど、逆に言えば自信をつけるのにはうってつけの仕事とも言える。

 俺に必要なのは『女の子』として見られることであり、否が応でも順応しなければならない課題だ。


「まだまだ女の子の道は遠い……か」

「……何言ってるの?」

「ん、ああ、ちょっと自分を見つめ直してた」


 はぐらかすように言うと、今度はカレンに、


「いつにも増して変ね。熱……はないみたいだけど」

「それだったら休んでるよ。……って、どうやって熱がないって判断した?」

「乙女の秘密よ、諦めなさい」


 こう言われてしまえば詮索など出来るはずもない。

 釈然としない感情を抱えつつも、意識を仕事へと向け直す。

 ただでさえ素人なのに、迷惑までかけてはいられないのだ。

 さらに言えば自分達の生活もかかっている以上、どれだけ気が進まなくてもやらなければならないことには変わりがない。


「なんでこんなことに……」

「そんなに写真撮られるの嫌?」

「嫌というか、なんというか……本物には程遠いなぁって感じちゃうんだよ」


 どうしても意識には『男』としての感覚が付き纏うのだ。

 声、身体、服、仕草、諸々の要素に差異を感じて、どこかで「違う」と思ってしまう。

 他の人には凡そ理解されないであろうこれは、自分の中で消化するしかないのに、今は精神的に余裕が無い。

 ……こんなのは変だろうか。

 自分で自分がわからなくなる。


「――私がいるから」


 背後に回っていた伊織に包まれるようにして抱きしめられた。

 生地が薄めの服からは人の温もりがひしひしと伝わってきて、沼に嵌りかけていた思考が現実へと戻ってくる。


「ひとりじゃないから」


 耳元に小声で囁かれるそれは、波打っていた感情を鎮めて、安心感を抱かせる言葉だった。

 本来ならば兄……もとい姉である自分がかける側なのに、今では全く逆だ。


「…………ん」


 余程気分が沈んでしまっていたのか、弱々しく首を縦に振るだけだった。

 それでもこうしているだけで靄がかかっていた心が晴れていく。

 十数秒ほどそうしていただろうか。


 カシャ、とカメラのシャッター音が聞こえた。

 唐突な音にビクリと伊織も身体を震わせて音がした方を見てみると、デジカメを持ったカレンが撮った写真を確かめているようだった。


「いい感じの雰囲気だったから撮っちゃったわ。見る?」


 悪びれもなくそう言ってデジカメを差し出してくるカレンを睨みつけつつも、写真を確かめるためにデジカメを手に取った。

 写っていたのは見るからに百合百合しい一枚で、安心しきった二人の姿は微笑ましいものだろう。

 ……そこに写っているのが自分でなければの話だが。


「よく撮れてるね、これ」

「でしょ?」


 写真を撮られるのを嫌がらない伊織はそれを褒めると、カレンが得意げにそう言う。

 ポジティブ思考な二人に囲まれる俺は、その流れを変えられそうにもない。


「梓姉もそう思うでしょ?」


 純真無垢な瞳を向けられて、喉元まできていた「消して」という言葉を出すべきではないと悟った。

 今そんなことを言おうものなら伊織を傷つけてしまうことは明白だった。

 だとすれば残された選択肢は肯定のみ。

 コクリと頷くと、「お姉ちゃんは大変ね」という元凶からのメッセージが届き、さらに生暖かい視線がスタジオ内から浴びせられた。

 いつの間にか注目を集めていたらしく、今更ながら羞恥心で身体が熱くなる。


「これ貰ってもいいっ?」

「もちろんよ。今日帰る時にでもプリントアウトしたものを渡すわね」


 俺の意見は聞かれずに取引が締結されてしまったが、伊織は嬉しそうなのでよしとしよう。

 それに、今思えば二人で撮った写真は少なかった気がするし、『今』の写真なんて以ての外だ。

 それを考えれば一枚くらいはいいかもしれない。


「あっ、もうこんな時間。休憩終了! 撮影再開するわよ!」

「はーい!」


 カレンがパンパンと手を叩くとスタジオ内が慌ただしく動き始めたのを見て、俺もまた席を立つ。


「じゃあ、また写真撮られてくるよ」

「いってらっしゃい、梓姉!」


 伊織に見送られた俺は、再び要求に応えつつカメラにその姿を収められるのだった。

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