② 姫の従者は決意する

 あの日、私は無力だった。


 元服の儀を終え、異例の果し合いを行い、江戸城へと戻った姫様ーーアカリ様を励まして、酒井様のところへ赴く。


 それで終わり。


 それで、終わるはずだったんだ。


 いつもより少しだけ仕立ての良い小袖。

 威勢の良い江戸町人の人々。

 舞い散る桜の花びら。

 晴れ渡る青空を眺めれば、今宵の月はきっと綺麗に見えるだろうと。


 そんな日常の風景を眺め、私はその日を送る。


 日々を鍛錬に明け暮れ、アカリ様の側に侍る事を許された。

 平民と言えども、それなりの腕達者だと自分の事を思っていた。


 あまつさえ、賊を相手にアカリ様の前で意識を失う無様を見せるなど……。


 到底許される事ではない。


 にも関わらず、私にお咎めは無かった。


 それ自体は喜ばしい事だが、上の考えが読めず不気味であると同時に、そもそも喜べるような気分ではない。

 さらに、酒井様の一件は内々に処理される事になった。

 民衆へ無用な混乱を招くから、だそうだ。


 無用なわけあるか!

 何かしらお触れを張り出すのが普通だろう!?


 その場に居合わせた私には、アカリ様直々に話をされた。

 事ここに至っては、隠す方が危険と感じたのだと思う。


 いつも凛々しく、他者に対して立派に振る舞おうと努力しているアカリ様にとって、酒井様は数少ない心を許しているお方。

 大老四家のご子息でありながら、神子という大任を天照様御自らご指名され、その美貌と共に一躍時の人となった。


 彼の殿方を害そうとする動きに、アカリ様たちは陰謀の気配を感じている。


 だから、私は決意したのだ。


 もう二度と、この様な過ちを犯さぬと。




 △▼△




「せぇぇぇっい!!」


 早朝。

 アカリ様が起きる前。

 鍛錬のため学舎の道場に入ると、そこには既に先客がいた。


 酒井様の侍従であるウルナさんだ。


 事務連絡など表立って会話するのがミカゲ君ばかりであるため、彼女とはあまり話したことはない。

 別に仲が悪いわけではないのだけれど。


 もう一人のアシリカさんに至っては、少し険を感じる。

 何か気に触る様な事をしたのか。

 ただでさえ同年代の子より大人っぽい彼女なので、その迫力も相応である。

 同じ侍従として仲良くしたいと思っていても、向こうにその気は無さそうだった。


 ただ、その認識は件の日で改めた。


 彼女たちは従者の鑑である。


 あの反応速度。主人を守るために己の身も省みず、賊の前へと立ちはだかる姿。


 それに引き換え、唐突すぎて全く反応出来ていなかった自分が恥ずかしい。

 その上、一瞬で制圧されてしまっては辞職物である。

 アカリ様にそう言った時、悲しそうな顔で引き留められた。結構嬉しかったのは内緒だ。


 彼女たちの酒井様に対する忠誠心は相当である。

 私も見習わなくては!


 そう思い、井伊様の侍従であった子と一緒に、彼女たちに稽古を付けてくれないか頼んでみた。


 アシリカさんは凄く嫌そうな顔だった。

 見事と思うほど、露骨に顔を顰めていた。

 そ、そんなに嫌われてたのかな、私。


 いや、きっと弱い奴に自分の時間を取られるのが嫌なのだ!


 当然だろう。

 あの日、私がどれだけ役に立ったと思っている。

 お荷物以外の何物でも無かった。


 悔しさで歯をくいしばる。

 しかし、そんな事をしても強くはなれない。


 どうにかしてアカリ様を守れるだけの強さを、私は手に入れなければならないのだ。


 そんな時、苦し紛れで言ったのが「代わりに私の習った剣術を教える」だった。

 私は馬鹿か。

 自分より弱い奴に教えを乞う人がいるとでも?


 羞恥心で顔が火照るより前。

 意外にも食い付いた彼女たちに、私は稽古をつけてもらう事になったのだ。


 私は死に物狂いで稽古についていった。

 井伊様の侍従と共に慰め合い、ひーこら言いながら、それでも振り落とされまいと。


 それはもう、本当に地獄の様な特訓だった。


 それを軽くこなしているウルナさんは化け物だと思う。

 アシリカさんは鍛錬が終わる度に「まだ大丈夫そうですね」なんて死の宣告をしてくるのだから、もう本当に泣きそう。

 いや、何回か泣いた。


 それでも、この位の鍛錬を行わないと強くはなれないのだろう。


 あの日垣間見た彼女たちの実力は、異常の一言に尽きた。

 それを意に介さなかった賊も。


 この領域に至るのは無理だと、始めはそう思った。


 しかし、どうしても諦めることは出来なかった。


 学舎に入る前。

 酒井様に掛けて頂いた言葉を、私は忘れることが出来ない。


『巻き込んでしまい、すみません』


 思わず、「はいっ!?」と声を上げそうになってしまった。

 自分の役立たずぶりを責められても、まさか謝られるとは思ってなかった。


 感情を感じさせない、美しくもどこか恐ろしいお顔。

 アカリ様とは正反対。

 静かで、深く、どこか他者を拒絶しているように見える。


 始めてお見かけした時からどこか浮世離れした、それこそ人ではないと言われた方が納得するような。

 そのような感想を抱いていた私はあの時、「あ、この人にも感情はあるんだな」と、当たり前過ぎる事に気付いた。


 それ以来、酒井様の行動にある共通点に気付いた。


 選民らしさがまるでないのだ。


 別に陰口ではない。寧ろ逆だ。

 あの方は常に自然体であり、おごるという事を一切しない。

 それは大老四家のご子息ともある立場において、非常に異質な事である。


 勘違いかな、とも思った。

 しかし違う。

 あれはきっと深い思慮を備えた行いだ。


 元服の儀にて爆発的な人気を得た一方で、酒井様を気味悪く思っている城内の者も一定数いる事をわたしは知っていた。

 と言っても態度があからさまではない上に、あの感情に乏しそうな方だ。該当する者達もきっと気付かれていないと思っていたのだろう。私もそう思っていた。


 しかし、今思えば、あれは酒井様の方から避けていた様に思う。


 部屋に籠り、あまり外部の者と接触しない割には、アカリ様と井伊様は酒井様をとても気にかけている。

 酒井様は何やらよく分からない作業をしながら無言でいるため、始めはなんとも失礼な方だなと内心良い感情を持っていなかったのも懐かしい。

 誰も何も咎めないので、私が指摘する訳もないのだが。


 話が逸れた。


 つまり、無用な接触を避けていたのではないか。

 実は人の機微に聡いお方なのではないか。


 そう思う理由は他にもある。


 学舎に通う様になったアカリ様たちは、それはもう凄い人気なのだが、酒井様は誰に対しても公平であった。


 皆が選民の方とはいえ一緒に侍従もいるのだから、舎内には様々な身分の者がいる。

 その誰に対しても、あのお方は同じように接するのだ。


 その姿を見てしまえば、江戸城にて引き篭もっておられたのも、他者を慮った行動としか考えられない。


 それを踏まえての、私にかけて下さった言葉。


 何事かと思ったが、もしや。

 本当に、純粋に。


 ただ単純に、『私の』心配をして下さったのか?


 アカリ様も私を気にかけてくれる。

 しかし、それは私がアカリ様の侍従であるからだ。

 信頼関係は勿論あると自負しているが、それは決して対等な関係ではない。

 あくまでも、主人と従者である。


 酒井様には、そういった線引きがない。


 故の、選民らしくない。


 なんとも不思議なお方である。


 しかし、だからこそ。なればこそ。


 あのお方を害される訳にはいかない。


 神子としての資質を持ち、民たらも慕われ、他者を尊重できる彼のお方に。

 私は健やかでいて欲しいと願った。


 今一度決意しよう。


 私は、アカリ様のため、そして酒井様のため。


 強くならねばならない。

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