幕間 ~脱走前日~

「決行は明日だ」

 葡萄の収穫をしていた時、隣にいたカノーさんがそっとつぶやいた。

 もちろんこの『シャトー・マサキ』からの脱走のことだ。


「ほんとにやるんですか?」

 と私。というのもここ数日の労働ですでに肉体の疲労はピークに達している。その上、この農場の警備体制もよく分かってきたからだ。


「ああ。これ以上ここで働いても死を待つだけだ。やるなら体力を残している今しかないだろう」

 それはもっともな話だ。とにかくここの労働条件はひどいの一言に尽きる。とにかく膨大な数の葡萄がなっているのだ。その実は一粒がバスケットボールほど、果汁をたっぷり含んで重さも相当なものだ。さらに天空に向かって伸びる蔦はビルほどの高さになる。そこを命綱なしで登って、この実をもぎ取ってこなければならないのだ。

 ちなみに今がまさにその作業の真っ最中。ビルで言えば3階くらいの高さがある。


「関川サンも来るだろ?」

「ああ。どうやら私の書く短編はデッパの気に召さないらしいからな」

 そう。ここのところ書いた短編は不合格だったようで、連日収穫労働に駆り出されている。

(まぁ合う合わないはあるからな……)

 大きなハサミを使ってツルから実を切り取る。支えを失った実は思いのほか重く、思わずバランスを崩しそうになる。もちろん落ちたら無事ではすまない。


「オマエら、なにコソコソ話してんだっ! 口動かす暇あったら手を動かせっ!」

 遥か下から聞こえる怒声。監視員はいつもの鞭の女王『バルバラ』。そう、脱走するには彼女も出し抜かなければならないだろう。だが彼女は職務に忠実にして真面目で、常に監視の目を光らせているのだ。


「今は新入りにコツを教えてんですよ。その方が効率も上がって、バルバラさんの株も上がるんじゃないですか?」

 と、カノーさんが答える。が、もちろんそれは口答えとしかとらないだろう。実際この位置からもバルバラが怒りで顔を真っ赤にしているのがわかった。


「カノー今すぐ降りて来い! オマエにはまだ仕置きが足りないようだ」

「はいはい、わかりましたよ。むち打ちでしょ? オレにとってはご褒美ですよ」


(じゃ、関川サン。とにかく明日)

 そういってカノーさんは背中の袋に収穫した実を詰めて下に降りて行った。同時にバルバラさんの鞭が容赦なく襲い掛かったのだが、カノーさんはいつものように薄ら笑いを浮かべてそのすべてを受け止めた。


「この変態ヤローがっ!」

「ゾクゾクしますね。それってオレにとっては褒め言葉ですよ」

 そんなやり取りが聞こえてくる。

(……カノーさんにとっては、ほんとにただのご褒美なんじゃなかろうか?)

 そんな考えが一瞬頭をよぎったが、すぐに締め出した。それではあまりに失礼だろうから。


「それよりバルバラさん、そろそろ時間じゃないですか」

 今度は私が声をかける。

 これ以上カノーさんが傷つくのを見ていられなかったからだ。

 そしてそれを証明するように、再び放送が流れ出した。

 それはもちろんデッパが次の課題を発表するための放送だ。


『……次のお題を発表する。次は『はなさないで』とする。言わんでも分かっとるだろうが、お前たちの収穫する葡萄はすべてオレが丹念に育てたものだ……』


(いや、あんた一つも作業してないだろ?)


『……だから絶対にその実を落としたりするなよ、そんな気持ちをテーマに設定してみた。カズオ・イシグロの名著『わたしを離さないで』にもある。アレは葡萄の気持ちになって書かれたタイトルだ。諸君にも身を引き締めて書いてもらいたい』


(何言ってるのかさっぱりわかんないけど……)

 でもとにかく次のテーマか。

 しかしまた絶妙に書きにくいお題が来たな……と思ったところで、私の頭はまた創作のことでいっぱいになってしまった。つまるところ、デッパに認められようがダメだろうが、それはどうでもいいのだ。

 

 そこで私は不意に創作について思いつく。創作ってのは、要はちゃんとストーリーが組み立てられて、そこにちょっとしたテーマみたいなもの『核』みたいなものが入ればいいのだ。それを表現するドラマを構成し、キャラクターを配置し、読みやすいように染み込みやすいように文章と会話を構成してゆく。創作って要はそういう作業なのだ。

(まさか今頃になってKACで教えられるとはな……)


 ……という悟りの元で書き上げたのが、つづく『はなしてみないと分からない』である。

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