第六幕

序章 ~Château Masaki~

「……ここは、どこだ?」


 意識が戻って最初に浮かんだ疑問はそれだった。

 四畳半ほどの狭い部屋、古びて錆びたパイプベッド、廃れきった病室のような室内……ゆっくりと上半身を起こし、ボロ布のようなカーテンを開けると、地平線までつながるような広大な葡萄畑と、青と緑色がまだらになった不思議な空、ぼんやりとした二つの太陽が見えた。どうやら日本ではない、それどころかここが地球かどうかも怪しい。


「よぉ。目が覚めたみたいだな?」


 唐突に開かれたドア。その向こうに男が一人立っていた。私の知っている人間によく似ている、いや、それどころかこの感じ……本人に間違いない。


「カノー、さん?」

「ああ、覚えていてくれてうれしいよ。久しぶりだな、関川サン」


 見知った顔に安堵のため息が漏れる。それに……自分の体を見下ろす。どうやらこの世界では人間の体だ。むしろこれまでの全てが夢だったような気がしてくる。


「なんだか、長い夢を見ていた気分だ」

「人生なんてそんなもんさ。むしろ夢であった方が幸せなのかもしれんがな」


 と、窓の外から長々としたサイレンが響いた。なにか空襲警報のような、どこか不安をかきたてる低い唸りだ。


「いよいよ始まるな……」

 カノ―さんは部屋に入ってくると、開きかけていたカーテンをさらにあけた。そして何かを決意するように、そう言葉を絞り出した。


「始まるって、なにが始まるんです?」

「収穫祭さ……すっかりブドウも色づいた」


 私も窓辺に立ち、外に広がる葡萄畑を見た……。あれ。なんかおかしい。何がおかしいのかはすぐに分かった。葡萄が巨大なのだ。房についた一粒がバスケットボールほどの大きさ、蔦はジャックと豆の木よろしく天空にまで伸びているように見える。


「な……」

 あまりの驚きに声を失う。

 そんな私の様子を見て、カノーさんはフッと笑みを漏らした。


「そうだったな。最初から説明した方がいいだろうな。ここは太陽系最大の農園惑星『グレープ・ヴァイン』この星の三大ワイナリーの一つ、『』のブドウ農園さ」


 あちゃー、今回はSF設定か……。おもわず額をペシッと叩く。しかも無駄にスケールがでかい。少なくともブドウがでかすぎる。


「それで、収穫祭ってなんです?」

「文字通り葡萄の収穫をするのさ。これから約2週間、平均睡眠時間3時間のブラック労働が始まるのさ」

「そんな……どういう労働環境だよ? そんなペースで働いたら普通に死ぬよ?」

「だろうな。オレたち労働者はオーナーにとっちゃ使い捨ての道具にすぎないのさ、百均で売ってるメラミンスポンジみたいなものさ」

「さすがだな、カノーさん、微妙にして的確な比喩だ」


 カノーさんはクルリと振り返り、窓に背を向けてもたれかかった。それから掛けていないサングラスをサッと取って、急に真剣なまなざしを私にむけた。


「……だがメラミンスポンジのオレたちにも一つだけチャンスがある。シャトー・マサキのオーナー『フランク・デッパ』は無類の短編小説好きでな、『お題』に沿った短編が気に入ると、この労働を免除してくれるんだ」

「なんだかKACみたいな設定になってきたな……」

「関川サンの言うそのKACがなんだか知らないが、生きてここを出たければ、オーナーの気に入る物語を書くしかないってことだ」

「なるほどな、オーナーにとっては葡萄と作品の『収穫祭』ってわけだ」

「さすが物分かりがいいな。説明する手間も省けるってもんだ」


 と。天井からノイズがジリジリと響き、どこに付けられているか分からないスピーカーから男の声が聞こえてきた。


『グッモーニン。ロード―者ショクン。収穫祭第一回目のお題を発表しよう。第一回目のテーマは、書き出しを【○○には三分以内にやらなければならないことがあった】から始める物語だ。ショクン、ワタシを楽しませてくれたまえ!』


 それだけの言葉を残し、放送は唐突に終わった。

 私とカノーさんの間に微妙な沈黙が流れる。

 その沈黙を破ったのは、パシッ、とカノーさんが自らの額を叩いた音だった。


「だめだ……なんだこのお題……書ける気がしねぇ」

「ですね。久しぶりにすごいの来ましたね」

「久しぶり? なんだ関川サン、こういうのやってたのか?」

「まぁ、少しですけど」

「そうか。オレは今回は無理。とりあえず葡萄の収穫してくるわ」


 カノーさんそう言って部屋を出ていった。


 そうか。つまり、またKACが始まったということか。書き手泣かせのあの地獄の祭りが幕を開けたということか……


「オーナーが気に入るかどうか知らないが、それがこの世界で生き残るルールであるならば、書くしかないってことだよな」


 と、心中描写をあえてセリフで声に出してみる。

 そう。たぶん誰かがこの声を聴いているはずだ。

 誰かが私自身に起こっているこの物語を見ているはずだ。


「どのみちオレには書くしか選択肢はないってことだからな。いいさ、どんなテーマだろうと書いてやろうじゃないか!」


 ……という、いきさつと意気込みで書き上げたのが、続く『ニチヨウアサの三分間パニック』である。

 

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