㉚【人気作家は八十八歳!】

 その日、僕は久しぶりにお義父さんと二人で映画を見に来ていた。


 二人で見に来たのはアニメ映画。

 タイトルは、


【 好きって言えないキミとボク ~劇場版~ 】


 少女漫画が原作で、アニメ化が大ヒット、ついには劇場版が制作されたという作品だ。

 当然のように周りは小学生から高校生くらいの女の子ばかりだった。


   〇


 そんな映画を二人で見に来たのはもちろん理由がある。

 その漫画の原作者が『春野ハナ』、つまりお義母さんだったからである。


 しかも今日は映画の初日。

 ハナさんからお客さんの反応をぜひ見てきてほしいと頼まれて、お義父さんと二人、映画館までやってきたというわけだ。

 もっとも二人とも頼まれなくても行くつもりではあったのだが。


 それにしても久しぶりの映画館だった。

 僕たちはラージサイズのコーラを買い、それぞれバケツサイズのポップコーンを買って指定の席に着いた。


   〇


 久しぶりのこの雰囲気。

 やっぱり映画館って特別な場所だ。


 ゆっくりと会場の席が埋まっていき、まだ始まってもいないのに、客席は早くも期待でざわざわと騒がしかった。

 女の子のグループが大半だが、カップルの姿もちらほら見える。おじさん二人の僕たちはかなり浮いていたが、幸いにも予約していた席は隅の方だった。


 やがて開園時間が迫り、照明がゆっくりと暗くなっていった。


   〇


「それにしてもお義母さんは本当にすごいですね。今回の作品も若い人に大人気みたいですね」

 僕はそっとお義父さんに語り掛けた。


「そのようだね。本人が見に来ればいいのにな」

 お義父さんもちょっと身を寄せて小声で答えてくる。


「どうも顔ばれしそうで怖いっていってました」

「公表してないのにな。心配しすぎだよ」


 そう。春野ハナさんは謎の多い作家さんだ。

 年齢、性別、経歴は一切非公開。

 もちろん顔写真が出たこともない。


「そういえば、お義母さん、今年は米寿でしたね」


   〇


「そうか。もう八十八歳か。本当にたいしたもんだよ。若い人たちがこんなに夢中になれる作品を作れるなんて」


 お義母さんが経歴を秘密にしている理由の一つは年齢のせいだ。

 作者の年齢で、作品に先入観を与えるのが嫌なのだそうだ。


「本当に立派ですよね、ここに来るとすごく感じますね」


 と、開演時間を知らせるアナウンスが流れる。

 ますますそわそわとしてくる場内。

 みんなが自分の席へと移動し、小声での会話が波のように会場を満たしていく。


   〇


 僕たちもちょっと座り方を直し、コーラをひじ掛けのドリンクホルダーにセット。

 膝に置いたポップコーンをちょっとつまむ。


 やはり映画にはポップコーンだ。

 バター甘い香りと程よい塩加減。

 サクサクの歯触りとふわふわの共存する不思議な食感。

 なにより熱々のうまさがたまらないし、食べる手が止まらない。


「やっぱりポップコーンだよな、映画には」


 お義父さんも掌に載せたポップコーンをほおばり、サクサク食べている。


「ですよね」


 僕も同じようにまたポップコーンをほおばる。


   〇


 腕時計を見ると開演まではあと三分。

 観客のほとんどが着席し、みんなが映画への期待を小声で話しているのが聞こえてくる。


「彼女はね、今も勉強を欠かさないんだよ」


 お義父さんがしみじみとそうつぶやいた。


「勉強ですか?」


「ああ。話題の作品はみんな目を通しているし、漫画だけじゃなくて小説も読むし、映画やドラマもよく見ている」

「そうですね、ハナさん自身もいつも若々しいですよね」


「私がハナと知り合ったのは、彼女が十八歳の時でね」


 お義父さんはちょっと秘密を漏らすように声を潜めた。


「その時からずっとそうだっんだ。とにかく漫画に一生懸命でね。でもなかなかヒット作が書けなくてさ」


   〇


 そのあたりの話は聞いたことがある。

 ハナさんがたくさんのペンネームで、絵柄も話も様々にいろんな作品を発表していたことも。

 そのどれもがヒット作には至らなかったことも。


「あいつのすごいところはさ悔しがるところなんだよ。いい作品、面白い作品をみると、感動すると同時にすっごく悔しがってるんだよ。それが今もずっと変わらないんだ」


 お義父さんはそう言ってうれしそうに笑った。

 そしてポップコーンを口にほおばった。


「わたしもこんなのが書きたかった! とか、この人うますぎて憎らしいわぁ! なんて今でもしょっちゅう言ってるよ」


「向学心みたいなものですかね?」

「うーん。ちょっと違うかなぁ、そんな感じでもないんだよな。ただただ書くのが楽しくてたまらない。創作するのが好きでたまらないみたいなんだ」


「僕はそういう感覚ってあまりないんですよね、すごいなぁって感心して終わりです」

「まぁ私もキミと同じタイプだよ。でも彼女の場合はもっと純粋な感じなんだよ」


 なかなか難しい感覚だ。

 お義父さんもまたうまく言葉にしようとして悩んでいる。


   〇


 と、場内の照明がフッと暗くなった。


 同時に会場のざわめきが静まり、みんなの期待が静寂という形で充満してゆく。


 僕は映画のこの瞬間がすごく好きだ。

 面白い何かが始まるという期待感、みんなが同じものを求めてスクリーンを見つめる一瞬。


 それからスクリーンにまばゆい光があふれる。


   〇


「いよいよ、始まりますね。僕はこの一瞬がたまらなく好きなんです」


 そう言ってちょっと背中の座り心地を修正する。

 なんとなく緊張する一瞬。


「わたしもだよ。この雰囲気は映画館ならではだね」


「こんなにもたくさんの人たちが期待してスクリーンを見つめている。そんなことができる、そんな気持ちにさせるお義母さんはやっぱりすごいですね」

「そうだね。会場は女の子ばかり。書いているのが八十八歳の漫画家だとは夢にも思わないだろうね」


「でしょうね。お義母さんはずっと少女のころの感性と情熱をもちつづけているんでしょうね」

 

   〇


 と、上映の合図が流れ、会場が一瞬にして静まり返る。


 花が咲くように映画のスクリーンに光があふれ、青空をバックに散ってゆく満開の桜のショットが映し出される。

 実写ではなくアニメーションの映像だが、それは実写以上にリアルに美しく見える。


 会場に静かに美しい旋律が流れ出し、観客は一瞬でスクリーンの世界へと引きずり込まれる。


 そして桜の花びらに重なるようにタイトルが浮かび上がる。


【 好きって言えないキミとボク ~劇場版~ 】


 なんだかそれだけで理由もなく感動の鳥肌が立つ。


 会場のみんなも同じ気持ちだろう。

 美しいものを目にした『ため息』が自然と漏れている。


 きっとこれがハナさんが目指していた世界。

 ハナさんが見たかったもの、見せたかったものなのだ。


 そしてここにいるみんながそれを受け取っていた。


   〇



「キミの言葉でなんか分かったよ、北乃君……」


 不意にお義父さんがそう言った。


「……彼女は、ハナさんは、出会った頃の十八歳からなにも変わってないんだよ。今年で八十八歳けど、彼女にとっては


 なんだろう? それはすごく素敵な感じ方だと思った。


「いいですね、それ」


「今度彼女にも話してみようかな」


「お義母さんの反応が楽しみですね」


 僕たちは薄暗い映画館の中、フィルムからこぼれる淡い光の中でうなずきあった。




 おしまい

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