眠れる騎士

東方博

第1話 囚われのお姫様

 地の騒乱とは無関係であるかのように星はただ輝いていた。

ここ落星の森において雲一つない夜は珍しい。常とは違う天の様相は、星読師でなくとも何かの変革を予感させた。

 冷たい壁に身を委ねて、アトラスはひたすらその時が来ることを待った。敵襲の知らせが入ってから数刻。遠巻きに聞こえる争う音は、まだ止む気配がない。

 城内でも最奥に位置する慰霊塔の最上階。月明かりが照らす部屋の中央に置かれた棺には、死体よろしく横たわる少女の姿があった。

 実際、少女は死んでいるに等しい。薄青のドレスから伸びる人形のようにほっそりとした四肢、艶やかな黒髪、小さな唇。黒真珠と唄われる瞳は瞼に閉ざされ、開かれる様子はない。おとぎ話の姫君がそのまま現れたかのようであった。ミア=リコ。今年で御歳十五となられる、紛れもないアルディール王国の第一王女だ。

 しかし彼女がここにいるのは王女故ではなく、その胸に抱いた星のせいだった。

 極星、と人は呼ぶ。神話の時代、あまねく世を照らし導いた至上の星。星々を司るファイノメナ王国の天上人はこの極星を巡って、ベネ〈吉〉とマレ〈凶〉の二つにわかたれ地に落ちたという。そして千年以上が経過している今なお、唯一の極星を我らがものにせんと両者の争いは続いている。

 静かな空間を打ち破るように外から何かが飛来した。

「大将ぉー」

 文字通り転がり込んできたのは、カボチャだった。抱えられるくらいの大きさ。三角形にくり抜かれた目鼻。大きな口を開く様は魔除けに用いられるランタンを彷彿とさせる。

「大変だよー騎士が来たよーきっとこの娘を奪い返しに来たんだー」

 カボチャはポムポムと部屋中を跳ねながら警戒を促した。とはいえ、愉快な外見が災いして深刻さには欠けている。おまけに騒がしい。アトラスは不快な表情を隠そうともせずに眉間に皺を深く刻んだ。

「ジャック」

 煩わしげにカボチャの名を呼ぶ。軽快に跳ねていたカボチャもといジャックがその動きを止めた。

「黙るかスープになるか好きな方を選べ」

 ジャックは、黙ることを選んだ。ついでに大人しくなった。

 アトラスはおもむろに棺へ近付いた。何も知らずに眠る幼い顔がある。朱を差したわけでもないのにやや赤く、ふっくらとした頬に手を伸ばす。触れた肌には、温もりがあった。当然だ。生かしたまま半永久的に眠らせる術をかけたのだから。

 輪郭に沿って頬から顎、細い首、そして胸元へとアトラスの長い指はたどる。左のささやかな膨らみの上で止まり、布越しにもそれとわかるほどの強い術、いや呪いの力を感じ取った。

 マレ〈凶〉の大公、ハストラングの配下が恐れ多くも極星の姫ミアを攫ったのは五日前のことだった。周囲の人間に悟られぬよう、秘密裏に偽者とすり替え事が済むまでの時間を稼ぐ。すぐさま姫は自害を防ぐために眠らせ、城内の奥深く慰霊塔に閉じ込めた。

 あとはマレフィック〈凶星〉の影響力が増す摩羯月を待って、彼女の胸に宿る極星をマレ〈凶〉に染め上げる。

計画は、ほぼ成功していたと言っていい。かの王国が誇る天星宮の星読師達でさえ、極星の姫がマレ〈凶〉の手に落ちたことに気付かなかったのだ。

 ただ一人の騎士を除いて。

「た、大将……」

 恐る恐るジャックが声を掛ける。が、指摘されるまでもなかった。

 外の喧騒は止んでいた。アトラスは時が訪れたことを悟った。少し乱してしまった服の胸元を整え、額にかかる髪を軽く撫でる。それでも少女は反応一つ返さなかった。

(さて)

 アトラスは再び壁に寄りかかり、長い足を軽く組んだ。星を数える要領でしばし待つ。

 程なくして、部屋に一つしかない扉が開け放たれた。

「ひぃーっ!」

 ジャックはアトラスの後ろに隠れる。無理からぬ反応ではある。星騎士がここに来たということは、〈不死の大公〉ハストラングが敗れたということだ。が、仮にも主人の足元で縮こまるのはいかがなものか。アトラスは盛大にため息を吐いた。

 初めてお目にかかるベネ〈吉〉の星騎士は、若い青年だった。

 黒か青の制服を定める正規軍とは違い、白を基調とする軍服は彼が極星を守護する星騎士であることを示していた……が、神聖の象徴であるはずの制服の右脇部分は焼けただれ、さらに右肩から先、すなわち右腕がなくなっていた。おそらくハストラングによるものだろう。星騎士相手に頑張った方ではあったが、残念ながら運命の星は彼の上には輝かなかった。

 腕をもがれ腹の半分近くが抉られている星騎士はまるで痛みなど感じていないかのように平然としていた。腰に差した二振りの剣には、それぞれの柄に護符石が埋め込まれている。

 中肉中背。意思の強そうな眉に青い瞳、赤い髪と相まって目立つ容貌だった。凛々しくも幼さの残る顔立ちは見習いを卒業したばかりの騎士を彷彿とさせた。

 無論、外見は神話の時代から変わらないので、実年齢も同じくらいとは限らない。しかしこの騎士に関しては、まとう雰囲気からしてまだ若いと断ずることができる。

 騎士はアトラスの姿を認めると微かに眉を寄せた。

「誰だ」

 高くもないが低くもない凛とした声。警戒の色はなく、ただの好奇心がにじみ出ていた。ずいぶんと無防備な態度だった。ここは敵城だというのに。場違いだとは思いつつも口が笑みを形作る。

「路傍の石にこだわっている場合か? お目当ての姫君はあっちだ」

 くい、と親指で示す。

 星騎士の視線はミアへと移る。極星を胸に抱く乙女。故に攫われた姫君。本来の目的を前に星騎士はアトラスをすり抜けた。

 棺の傍らに跪き、残った左手で恐る恐るミアの頬に触れる。術で眠ってはいるが生きている。確かな命の鼓動を感じて安堵したのか、星騎士は胸を下ろした。

「間に合ったか」

 ややぞんざいとも取れる動作でミアの背中に片腕を回し、軽々とかつぎあげる。意識の無い小さな身体は成すがままだ。星騎士は囚われの姫君を連れて、部屋を出て行こうとする。アトラスとジャックにはもはや関心を示さず。

 アトラスは起動しかけていたホロスコープ〈星図〉を収めた。多少の悶着はあると踏んでいただけに、この展開は意外だった。

「殺さねえのか」

 星騎士は顔だけをこちらに向けた。質問の意図をはかりかねているようだった。

「殺さなくていいのかと、訊いている」

「俺は、誰も殺したくない」

 言葉に力が無いのは、それが叶わないことを本人が一番知っているからだろう。数多のマレを倒さなければこの城には足を踏み入れられない。大公を殺さなければ、ここにはたどり着けない。使命を果たせない。

 自らの宿命を理解していないわけではないだろうに、なおそれを口にする星騎士にアトラスは興味を覚えた。

「お前、名は?」

「イオ」

「違う」

 すかさずアトラスは否定した。その名は出会う前から知っている。

「お前の、名だ」

 質問の意図を察したイオは目を見開いた。いとけない表情だった。あからさまな動揺──いや、狼狽。怯えるように二、三歩後ずさる。大公を倒した星騎士が、だ。

「……あ」

 震える唇から、微かな声が漏れる。

「名、は……ない」

「そうか」

 アトラスはあっさり引き下がった。内心とは裏腹に、興味を失ったようにそっぽを向く。焦ることはなかった。まだ時間は残されている。

「止めないのか?」

 逆に問われる。アトラスは素っ気なく言った。

「〈予言〉通りに事が運んだだけだ。別段珍しいことでもねえ」

 極星を持つ姫が攫われるのも、星騎士が目覚めるのも、天と地の狭間をあまねく照らす星々によって定められていたことーー天星宮の星読師ならば、そう断じていただろう。

 しかし、アトラスは異議を唱える。星は未来を占えるが、定めることはできない。たとえ、今日の敗北が十四年前に予言されていたとしても。

 全ては自分の意志で選んだ結果。この出逢いが後に運命と呼ばれようとも、選んだのは、紛れもない自分だった。

 部屋を去るイオの背を見送った。隻腕の騎士は先ほどの動揺が嘘のように、しっかりとした足取りで階下へと消えていく。

「……いいの?」

 沈黙を守っていたジャックがおずおずと訊ねる。

「今ならチャンスだよ」

 相手は片腕の上に満身創痍。倒すのは容易いだろう。いかにも下っ端らしい発想だった。

「そんなにスープになりたいのか」

 アトラスは目を閉じた。微動だにせず、ひたすら耳をすませる。足音が遠ざかり、やがて消えてしまうまで。ずっと、ずっとーー

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