第68話

翌朝、俺らは朝食を食べて軽い運動の後、ラキュールの城門の南側に立っていた。


「いろんな方角に分けなくていいのか?」


「うむ。妾の予想じゃが、犯人は南から来る。根拠は神隠しの際、毎回黒い雲が空を覆うんじゃが、その雲が南側から来るんじゃ」


なるほど。その雲がその正体に関係するなら、その予想もあながち間違いじゃないかもしれない。


「……あと五分じゃな」


ヴィレルが腕を見て呟く。冒険者の秘石でも持っているのかと思ったが、その腕には皮のベルトで腕に巻かれた、針が二本ついた円盤だった。


「それなんだ?」


「ことが終われば教えてやろう。時間が近い故、装備を整えておけ」


ヴィレルがそう言うので、俺はポーチから剣を二本とも取り出し、剣帯に装備する。他のメンバーも各々の装備を装着している。


「敵の姿について、情報はないのか?」


「うむ。見たものはおらんらしい。消える瞬間を見た者も、唐突に消えたと言うておった」


「その言い方だと、姿が見えないんじゃないか?」


「そうじゃ。姿は見えん……じゃから、お主らに頼んだのじゃ。何かと能力を持つお主らなら、何かあるんではないかと思ってな」


そんな期待持たれても……──そう思った瞬間、南側の空が、唐突に暗くなった。その雲は積乱雲の如く黒く、そして広範囲だ。太陽も容易く覆い隠してしまった。


「来たな……」


「っ!?」


そして、俺は見た。雲の中を蛇が這うように進む、巨木のように太い八本の影を。それはゆっくりとこちらに近づいてきていて、それが犯人だと俺は直感的に感じた。


エルが暴れだした。こうしてエルが暴れるのは、強敵が近づいてきている時だ。俺も気配で感じ取っているが、この食べることを目的としかしていない存在は、ヴィレル以上──いや、ウィンブルすら相手にならないくらいに強力だ。


「レン、エル、どうしたの?」


目を見開いて固まる俺と悲鳴のような声を出して暴れるエルに、レイラが声を掛ける。しかし、俺はそれに言葉を返せない。どんどん近付いてくる影は、さっきよりも更に大きく見える。


そして、空を雲が覆い出して二分が経った。俺は、呼吸すらままならない。エルも暴れ続けていて、ミフィアが何度も落ち着いてと宥めている。しかし、暴れは悪化する一方だ。俺は恐怖を感じながらも、国内へと視線を向けた。


更に一分が経ち、影の動きが止まった。先端の位置はバラバラだ。雲が現れて以来、国中が騒ぎまくっている。


そして、雲が穴を開けた。そう思った途端、黒くて太い、鈍く輝く何かが地面へと喰らいついた。それは八本同時に行われ、城壁の中で悲鳴が響き渡った。


少し移動したかと思うと、再び同じことが起きた。地面へと飛び込んだうちの一本は、家を貫いて──いや、家をすり抜けて空へと戻って行った。家に損傷の痕はない。


「レン坊、何が起こっているのじゃ!?」


「……ぃ、が」


「なんじゃ、はっきり言わんか!」


「蛇、が……」


口に出せたのは、それだけだった。


「蛇じゃと? どういうことじゃ。蛇とはなんじゃ、なんもおらんぞ?」


ヴィレルは怪訝そうな顔をするが、俺にとってはそれが問題ではない。ヴィレル達にはあの蛇が見えないのだ。俺にしか──厳密には俺とエルだが、エルも本当に見えているかはわからない──見えていないということは、俺が恐怖に包まれることに、十分の役割を担った。何故なら、今回のクエストはこいつの討伐であり、こいつに唯一対抗できるのは難あり冒険者である俺なのだ。


そして、四度目の飛び込みが行われた。そして、内一匹が俺の目の前へと降りてきた。話の通りだと人を食っているのだが、他の人にはこの姿は見えていないらしい。


目の前の蛇が空へと上がっていく。速度は目に捉えれるかも分からないくらいに速い。それなのに、この一瞬だけ俺は時間が止まったかのように感じた。目の前の巨大な蛇の黄金の瞳と、細められた瞳孔と、目が合ったのだ。その威圧感は尋常じゃなく、ウィンブルも土蜘蛛も話にならない。


 俺は一歩後退り、二歩目で足が絡まって尻餅をついた。その時には、蛇はすべての首が南へと下がっていっていた。


 影が見えなくなり、空もその数分後には晴れた。俺とエル以外にとっては、ただの曇り空に見えたのだろうが、俺がこの数分で体験した恐怖は、人生で一番のものだったといえる。


 恐怖に目を見開いた俺は、言葉を発さずに口をパクパクと魚の様に動かし、脚も腕も全身が震えあがり、脳裏にはあの瞳孔が焼き付いて離れない。もう、考えることすらできない。


 ただ、今この時に一つだけ、俺の頭の中に浮かんだ魔物の名称があった。


 ——“ヤマタノオロチ”



 レンは昨日私たちが寝た客室で休んでいる。エルも一緒に。既に曇り空は完全に晴れている。しかし、雲が去ったあと、既に二時間は経っていて、衛兵からの報告によれば、三十二人の安否が不明らしい。先週が二十四人だったらしいので、ぴったり八人増えている。


「……本当に、神隠しみたいですね」


「ああ……レンには見えてたらしいが、俺らからすれば、そう思っても仕方がないな。空が曇っただけで、何もいなかった」


 ミナとジュンが呟く。この場にはレンとエルを省く私たち増援組と、ヴィレル直々の衛兵とメイド数人だけだ。


「レン坊曰く、相手の姿は蛇じゃと言っておった」


「蛇ですか……蛇……八の倍数……」


「それに繋がりがあるのか?」


 ミナが今ある情報を頼りに、敵の正体を掴もうとしている。私には魔物や魔獣の知識はないので、いくら考えようが無駄なのは分かっているから、ここは魔物の知識が多いこの二人と、元央都騎士団後衛魔術師隊隊長であるヴィレルに任せることする。


「関係はあると思う。だって、八の倍数に増えていくなんて、何かの暗号にしか思えないし……蛇で八……兄さん、何か思いつかない?」


「蛇で八っつったら、あれじゃないのか。スサノオが殺した……なんだっけ」


「ヤマタノオロチ?」


「そう、それだ」


 そして、何故か知らないがエミがハッとしたような顔をする。ミフィアに関しては、大事な主人であるレンと、最近はいつも抱いているエルのことが心配なのか、何度も扉をチラ見している。


 エミが腰につけているポーチから、一冊の本を取り出した。大判型の小説と同じサイズのものだ。汚れてくすんだ赤色の革製の表紙は、タイトルとかも書かれていないから、恐らくメモ帳だろう。このサイズのメモ帳は結構高いはずだ。


「エミリーよ、そのメモ帳はまさか……」


 ヴィレルにはどうやら心当たりがあるらしい。私にはまったく見当もつかないが。


「ヴィレルさんの予想で合ってると思う……これは、お父さんが残した魔物のメモ帳。これに、……確かこの辺りに……あった。ほら」


 ページを捲って、とあるページを開いて机の上に置いた。恐らくこれがレンが魔物の知識を得るのに活用したメモ帳なのだろう。しかし、そのページには一つのイラストと少しの文章だけしか書かれていなかった。


「……これが、レン坊の見た蛇か」


 八本の頭と胴体の少しだけが描かれてそこからは見切れてしまっている。姿が見えなかったのか、それとも大きく描きすぎたのかは不明だが、これでは全貌は分からない。しかし、その三角の頭の横幅は二メートル半、胴体の直径ですら二メートルと書かれており、その巨大さは見ずとも予想ができた。


 そしてレンは、この巨大な蛇を誰も見えない中、一人だけでその神隠しの瞬間を見ていたことになる。自分しか見えない、対抗できない巨大で強大な敵。ただでさえ魔王軍やレベル一などと多くの問題を抱えているというのに、更に大きな問題を重ねられたのだ。私だったら、耐えきれないかもしれない。その場で蹲って、動かずに、恐怖が立ち去るのを待って、最後はあっけなく冒険者人生を終えていただろう。


 でもレンはこの城まで歩いて帰ったし、ヴィレルが蛇と言っていたのを聞いたのだから、レンはその恐怖の中で、少しでも情報を伝えようとしたのだろう。私はすごいと思う。そして、レンには悪いけど、見えなくてよかったという安堵も、心の中には存在した。


 改めてそのメモ帳に目を向ける。そこに書かれている文章はごくわずかで、ほんの少しの情報しかない。具体的に書かれていることと言えば、“週に一度、毎週八人ずつ増やしながら人を喰らう”“滝に潜み、その近くの国や村の人を餌にする”ということだけだ。


「滝か……確かに、この国の南側にかなりの大きさを誇る滝があるにはあるが……まさか、あそこに潜むとはのう……」


 ヴィレルが目を細める。今度の戦いは、レンにしか姿が見えない敵ということもあって、もしかしたら戦うこともできないかもしれない。そして、これからも被害が増えていき、死者の数がどんどんと——


 そんなことを考えてしまうほど、絵を見て説明を読んだだけの私が恐怖に落とされた。


「厄介なことになったものじゃ……すまんな、こんなことに巻き込んでしもうて」


「いや、俺達は別にいいんだが……やっぱり、問題はレンの奴だな。あいつはああ見えて繊細だし、臆病だ」


「うん……レンさんのことは心配ですが、これから一週間ごとにこれが起こることも確かですし、今回倒さないと、被害は今後も増えていきます。ここで抑えた方がいいのは確かですが……」


「レンじゃあ、対抗は出来ないよね」


「……お父さんでも、こうやってメモを残すことしかできなかったんだもん。いくらお兄ちゃんでも、厳しいと思う……それに……」


「……今度、『暴走』されたら、止めれるか、分からない」


 それぞれに問題点を挙げていく。どう考えても、この戦いは問題点が大きすぎるし、多すぎる。レンの精神と見える理由、今回見逃した後の悲劇、レンと私たちの力不足、そして、レンの『暴走』の可能性。そのすべてが今回の大きな問題点だろう。


「……じゃが、一番最初に行うことは間違いなく一つだけじゃ。レン坊の状態を元に戻す。これは、各々で色々した方がいいのじゃろうが……やはり付き合いの長いレイラとエミリー、ミフィアが行くのが良いじゃろう。妾らでは、むしろ負担をかける可能性もある」


「分かった。ミフィア、エミ。やれるだけのこと、やってみよう」


 二人が私の言葉に頷いた。それと同時、私たちのいる大部屋の扉の外で慌ただしい足音がして、扉が勢いよく跳ね開けられた。

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