第53話

「ケイル、どうなってるんだ?」


 北門から領主宅までは、歩いても二分ほどだ。既に、領主宅は目と鼻の先である。


「……実は、魔物が大量に攻めてきたんだ」


 俺は勿論、レイラもミフィアも驚きに目を見開いた。


「……どの方角から来たんだ?」


「南、西、東……三つの門が破壊されて、現在少なくとも、領主宅以南は魔物に占領された。取り返すのは……難しいと思う」


「……学園も、なのか?」


「ああ」


「……死傷者は? 敵は?」


「現状死者は一名。軽傷者は二十三名、重傷者は一名……その一人が……これは実際にレン自身で見るべきだと思う」


 そんなことを言っているうちに、領主宅の裏口に辿り着いた。ケイルが扉を開ける。その瞬間、俺は気配を感じようと集中したわけではないのに、重いどんよりとした、イラつきのような感情を感じ取った。


「……今のところ、村民は全員ここに逃げてる。とりあえず、医療室に向かおう。そこに、怪我をしてる人は集まってる」


「……分かった」


 無言のまま、俺達は廊下を進む。領主宅に入ったことはない。この中であるのは、ここで生まれ育ったレイラくらいだろう。


「ここって……」


「レイラちゃん部屋……だとは聞いてるよ。ここがこの建物の中で、二番目に広い部屋らしいから」


 ケイルが元はレイラの部屋だという医療室の扉を、そっと開けた。


「レンが帰ってきました」


「……そうか」


 そこにいたのは、レイラの父親、およびマレル村の領主だ。


「……よく、帰ってきたな。話はよく耳にしているぞ。レイラも、久しぶりだな」


「お父、さん……」


「母さんっ!」


 俺は、領主が座る横のベッドに寝ている人を見て、真っ先に駆け寄った。ベッドを挟んだ領主の反対側、つまりこちら側には、一年前より伸びた髪を、直すこともなくボサボサにした、エミが泣いていた。


「……レン、なの?」


「ああ、そうだ。レンだよ……なんで……一体何が……」


「魔物の毒にやられたんだ。もう、全身に回っている。解毒薬をいくら使っても、効かなかった……」


 母さん——“庶民の英雄”の一人である、フィミルは、息も絶え絶えで、顔色は青を通り越して真っ白。包帯を巻かれた左の二の腕には、紫色に変色した血が滲んでいる。


「……毒」


 血の色が変わるほどの毒は、本来弱い魔物ではありえない。それこそ、レベル百を超えるような魔物でなければ……


「敵の総大将……そう呼んでもいいやつは、巨大な蜘蛛だ。レベルは恐らく——百二十超え。フィミルさんは、そいつの糸で傷を負って、こうなってしまった……すまない、守れなくて……」


「……そうだよ。なんで守ってくれなかったんだよっ! 俺がいない今、お前らがこの村での数少ない戦力だろっ!? 母さんはもう既に冒険者稼業は辞めてるんだっ! なのに、なんで……!」


 ケイルの説明に、返していた言葉は少しずつ、勢いが死んでいった。怒りと、悲しみが俺の中でせめぎ合う。そんな感情が抑えきれず、ついケイルに掴みかかってしまう。


「……レン」


 さっきも一度、聞こえてきた、掠れた、それでも俺に力をくれる、優しい声が聞こえてきた。しかし、その声も消え入りそうなくらいに、弱々しい。


「……何?」


「……あまり、みんなを、責めないで、あげて……戦ったのは、母さん、の、意思、だから」


「で、でも……っ」


「いい、の。これ、で、母さん、も、あの人のところ、に、行けるから……」


 俺は何も言えなかった。あの人、というのは、恐らく父さんのことだろう。父さんがあの世で生きている……オカルトを信じない俺は、そんなことは信じていなかった。ただ、少し、それを望むことがあるくらいで。


「お兄、ちゃん……」


 いつの間にか、エミが俺の方に向いていた。目は泣き腫れて、涙と鼻水で顔はぐしゃぐしゃだ。つい最近……いや、今朝にも似たような顔を見た。


「お母さん、助けれ、ないの……?」


「……俺も、解毒薬は持ち合わせているけど、レベル百二十の毒には……ごめん」


「……そっか」


 エミの顔は、更に暗くなる。


「……その少女は、学園でも指折りの聖職者としての才能があった。特例で冒険者登録をして、いくつもの魔法を試したが……効果は、見ての通りだ」


 ……もう、母さんは助からない。


 俺は、歯を噛み砕く勢いで噛み締めた。思い切り手を握り、爪が食い込む。


「……レン」


「……」


 呼びかけてきた母さんに、視線だけを向ける。


「……ごめんね。もう、母さんは、ダメ、みたい。後は……みんなを、守って、あげて。レンなら、できる、はずよ」


「——っ!」


 なんだよその言葉。まるで、もう……


「……もう、死んじまうみたいじゃねーか」


 母さんは、涙を一滴、頬に伝わらせて、笑顔のまま動かなくなった。もう、母さんは帰ってこない。この場所に、蘇生魔法が使える人はいない。この瞬間、“庶民の英雄”と呼ばれて、多くの人に尊敬された魔法使いフィミル、そして、レイラとの初めての冒険で、“しがない旅人”と名乗って俺らを助けてくれた俺の母さんは、息を引き取り、この世界から永遠に去った。


 視界が赤く染まる。怒りだろうか。自分を抑えきれない。ツカツカと、俺は医療室を出る。そして、木製の窓に手をかけ、勢い任せに横にスライドする。カタンッと音を上げて窓が開き、俺は窓枠に足を乗せる。


「待て、レンっ!」


 ケイルが俺を羽交い絞めにして、動きを封じようとする。


「放せっ! 俺は、俺はぁ……っ!」


「無茶だっ! フィミルさんの攻撃でも、あの魔物は倒せなかったっ! お前ひとりが行ったところで、どうこうなる相手じゃないんだよっ!」


「————っ!」


 分かっている。俺一人で勝てないことくらい、分かっている。今の俺じゃあ、ブラックバックどころか、大猿ですら危ういことくらい、俺が一番分かっている。


 でも、それなら、この怒りはどこに向ければ……!


「レン、応援を呼ぼ。そうしたら、少しは戦いやすくなると思う」


 コートを引いて、レイラが言ってくる。


「応援って……そんなの、依頼状が届く前に、全滅してる! 無駄だ……俺らでなんとかしないといけないんだっ!」


「レンには、あれがあるでしょ。スマホだか何だか忘れたけど、あれでウェルに連絡すれば、ここからよりは早いでしょっ!」


 怒りが少しずつ覚めていく。その代わりに、現実が俺の中を侵食していき、母さんの死という、現実により、俺の中の感情は、悲しみが占拠した。


「……そう、だな。ごめん、取り乱した」


 足を降ろし、窓を閉める。


「……お前の気持ちも分かる。俺らだって、よくしてくれたフィミルさんが亡くなって、悲しいんだ。怒りをぶつけたい。でも、全員が生き残ることが、フィミルさんの願いだ……そのためにも、俺達はまとまらなきゃならない。援軍、呼んでくれるんだろ?」


「……ああ」


 俺はポーチの中からスマホを取り出し、電源を入れる。普段に出せば、何それだとかなんとか、色々聞いてくるだろう。しかし、今はそんな状況じゃないことを理解している。そんなバカなことをする輩は、一人もいなかった。


『今どこにいる?』


 それが第一文目だ。そして、返信は。


『店だよ?』


 相変わらずメールだとタメ口な返信が返ってくる。


『央都騎士団に応援要請したい。すぐに向かえるか?』


『向かうも何も、今目の前に隊長兄妹いるよ』


 なんと間のいいことか。あの後、二人で鍛冶屋レプラコーンに行っていたらしい。


『ミナさんが二人だけでいいなら、すぐに向かいますって言ってるよ。どうする?』


『すぐにでも頼む。一刻を争う状況なんだ』


『了解。私も何ができない?』


『武器をできるだけ用意してほしい』


『分かった』


 そして、やり取りはそこで途切れた。


 二分ほどすると、領主宅の医療室に、魔方陣が現れて、三人が姿を見せた。

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