常磐たる勾玉


 ――それから都が壊滅するまで、たいした時間はかからなかった。


 魔神の軍勢の数は、あまりにも多く――それはもはや、人間がどうこうできるという規模の話ではなかった。どれだけの手練てだれを集めたとしても、決して勝てようはずもない兵力の差。人間側が一体の魔族を倒したところで、続いて二体の魔族が襲ってくるような、そんな絶望的な状況がそこにはあった。


 

 火を噴く魔族によって炎の海と化した都の片隅で、澪丸は天をあおぐようにして倒れていた。体には、魔族の爪で引き裂かれた無数の傷跡が残る。せめて刀だけは離さぬように握りしめていたが、立ち上がる気力など、もはや残されていなかった。ぬるい血だまりの中で、少年は途切れそうになる意識を必死でつなぎとめる。


 周囲には、澪丸が斬り伏せた数十体もの魔族の死骸しがいと、戦いによって倒れた武者たちの死体が、積み重なるようにして転がっていた。それらが放つ生臭い悪臭が、都の通りに充満じゅうまんする。



 朦朧もうろうとする意識の中で、澪丸は少し離れたところに倒れる、ひとつの人影をとらえた。それは、皆を鼓舞するように叫んでいた、あの髭面の男であった。その瞳は虚空を見つめ、手足は力なく投げ出されている。彼がすでに息絶えていることは、誰の目にも明らかだった。


 都の奥から、避難していた人々の悲鳴が聞こえる。あの様子だと、南方で待機していた、都の王族がかかえる軍隊も、もはや壊滅状態にあるのだろう。上空を飛び交う天狗の群れが、おぞましい笑い声をあげているのが聞こえる。



 ――人間は、負けた。


 数々の惨劇を目の当たりにして、澪丸はようやくその事実を悟る。受け入れがたくも、まぎれもない真実。人間という種は、今日、ここで滅びを迎えるのだ。


 都の中央、巨大な岩山のように見える黒い影は、魔神「厭天王えんてんおう」。まさに破滅という概念そのものを体現したかのような「それ」が、無数のツノの生えた額の下にある、赤黒い口を開いた。そこから、地獄の底から響くような声が生まれる。


『永キニ渡リ続イタ、魔族ト人間トノイクサハ、今日ヲモッテ終焉ヲ迎エル。――思エバ、我ガ父母ガ人間ニイダイテイタ、怒リト憎シミガ、我ヲ今日ノ勝利ニ導イタノダ』


 聞くだけで脳の奥が痺れ、背筋に悪寒が走るような声が、炎に包まれる都に響いた。


『人間ハ、理解ノデキヌ他者ヲ退シリゾケ、攻撃スル。我ト我ノ父母モ、人間ニヨッテ傷ツケラレ、血ヲ流シタ。……ダカラ、幼キ日ノ我ハ、心ニ誓ッタノダ。必ズ、必ズ人間ヲ滅ボス、ト』


 その言葉に、都じゅうに広がった魔族の軍勢が、喝采かっさいをあびせるように雄叫びをあげる。その不快な響きを耳にしながら、澪丸は薄れゆく意識の中で、思う。


(悔しい、な)


 少年の頬から、一筋の涙が伝う。


(魔神を、魔族を、殺せるように。心を捨てて修羅しゅらの道を歩んできたというのに――その結果が、これなのか)


 両親や村の仲間を殺され、魔族に復讐を誓ったことも。

 最強とうたわれた流派に弟子入りし、厳しい修行に耐えたことも。


 すべては――無駄だったのだ。この戦いに敗北した澪丸にできることは、死を待つことだけ。


「――――、」


 それでも、澪丸はまだ、諦めていなかった。

 届くはずがないと分かっているのに、はるか遠くの魔神に向かって、瑠璃色の刀の切っ先をつきつける。


 もちろん、魔神は眼下でそんな動きをする「虫けら」のような人間には気づかない。「彼」は炎の海の中で、勝利に酔いしれた笑い声をあげている。無力感という言葉では到底あらわすことのできない感情が、少年を襲った。


 そのとき。


 魔神に向けて、なおも刀の先を伸ばそうとした澪丸のふところから、ぽろりと、なにか小さな石がころげ出した。それは石畳の上に広がる血だまりの中に沈み、その動きを止める。


(……これは、確か)


 細かく磨き上げられた、翠色みどりいろ勾玉まがたま。それは、澪丸が両親の形見として持ち歩いていた、彼の家の家宝であった。まだ幼いころ、両親がこの石のことを、「常磐ときわたる勾玉」と呼んでいたことを覚えている。


 「常磐ときわ」とは、いつまでも変わらない、永久不変のことを指す。いつまでも家が栄えるようにと、先祖代々から受け継がれてきたのが、この勾玉であるのだ。


 そして――澪丸の両親は、こうも言っていた。この石には不思議な呪力があり、「一度だけ過去に飛ぶことができる」ということを。……もちろん、まだ五歳にも満たないころに教えられた話であるため、両親がどこまで本気でそう言っていたのかは分からない。げんに、これを持ち歩いていた十年間、厳しい修行で死にかけたときも、魔族との戦いで殺されそうになったときも、そんな力は一度たりとも使われたことはなかった。



 ――でも。それでも。もしも、いま、過去に飛ぶことができるのだとしたら……こんな結末を変えることだって、できるかもしれない。


(……頼む)


 澪丸は震える左手で、血だまりの中に落ちた勾玉をつかむ。


(俺の命など、どうなったっていい。けれど……魔神は、魔神だけは、殺さなければならないんだ)


 強く、握り締める。ありったけの願いをこめて。消え入りそうな命を燃やして。

それは、神に祈ったことなどない澪丸の、最初で最後の「祈り」であった。



 ――そして。


 澪丸の左手の中が、とつぜん熱くなった。「それ」は、まるで太陽が手の平にのっているかのように、強い光と熱をもって輝きだす。澪丸はあまりの熱さに「それ」を放してしまいそうになったが、歯を食いしばってその石を握りつづけた。


 その輝きは、紛れもなく、勾玉に秘められた呪力が発現した証であった。少年の顔を、まばゆい光が照らす。


(飛べるのか、過去に? ……もういちど、やり直すことができるのか?)


 心の中で問いかけた声に、返すものはない。けれど、たしかに脈動する「力」が、澪丸の手の中で踊っていた。



(いつに戻る? いつに戻れば、この結末を変えられる?)


 朦朧とする意識の中で、澪丸の頭に、過去の様々な景色が走馬灯のように映る。それは今を起点として、だんだんと昔へさかのぼっていくものであった。


 この戦いの直前、玄武大路で武者たちと会話していたとき。

 三年前、魔神殺しに最も近い人間とうたわれた「鬼界天鞘流きかいてんしょうりゅう」の師匠が老衰で亡くなったとき。

 十年前、魔神の軍勢によって故郷の村が滅ぼされたとき。


 いまの澪丸がその場に居合わせれば、変えられることもあるだろう。いまは魔神軍が北方から来ることを知っているし、師匠が寿命を縮めるような戦い方をしていたのも知っている。そしてなにより、「鬼界天鞘流きかいてんしょうりゅう」の技があれば、せめて両親だけでも魔神軍から助け出せる自信が、いまの澪丸にはあった。


(――――いな


 それでも、澪丸は首を横に振って、その考えを否定する。


(そんな、その場しのぎのような方法では、魔神によって人間が滅ぼされることは止められない。もっと――もっと根本的で、根源的な方法が、きっとあるはずだ)


 考える。考える。どうすれば、この結末を変えられるのかを。どうすれば、あの強大な魔神を討ち倒すことができるのかを。


(「厭天王えんてんおう」は、人間を喰らえば喰らうほど、飛躍的に成長し、強くなっていく。それは、裏をかえせば、過去にいけばいくほど弱くなるということだ……)


 十年前か、二十年前か。どこまで遡れば、魔神を倒せるのだろうか。少年はただ、ひたすらに思考をつづける。



 そして。


 炎がうずまく都に、とうとう、人の悲鳴さえも聞こえなくなったとき――澪丸はついに、うつむけていた顔を上げた。その藍色の瞳には、強い覚悟の光が宿っていた。


「……勾玉よ。もしもできるのならば、これから言う、俺の願いをきいてほしい」


 ぽつりと、告げる。そして澪丸は、都の中央、山のようにそびえ立つ魔神を睨んだ。並の人間ならば見ただけで足がすくむような、その恐ろしい影を、少年は強い目でまっすぐに見据える。


 これから殺す相手を、記憶に焼きつけるために。



「俺を――三〇〇年前の過去まで・・・・・・・・・・飛ばしてくれ・・・・・・



 それは、かの魔神が生まれたという時代。まだ、魔神がただの一体の魔族に過ぎなかった頃。


 澪丸は、生ぬるい手心てごころを加えるつもりはなかった。勾玉の力を使えるのが一度きりだというのならば、確実に魔神を殺せる時代へ飛ぶまで。



 たとえ、自らが生れ育ったこの時代に戻ることができなくても。

 今は亡き両親や師匠にもう一度会える機会を捨ててでも。


 少年は、魔神を殺すため、時を渡るのだ。



 澪丸の手の内にあった翠色の勾玉が、その想いに応えるように、よりいっそう強い光を放った。鮮やかな光が、またたく間に少年の傷ついた体を包みこんで――――




 かすかな浮遊感と共に、澪丸は意識を失った。


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