第37話 円香の戦い
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部活動の終わりを告げる鐘がなった。教室の外に生徒達の賑わしい声が近づく。
この区切り以降しばらくの間、校舎の中が帰宅の途につく生徒の喧噪に包まれる。
ハルは席を立つ。今は雑多な日常に触れたくなかった。それほどに情緒が過敏になっていた。
「紫陽、続きはうちに帰ってからにしようか」
話しかけると、彼女は「はい」と笑顔で答えてそのまま姿を消した。
窓の外を見れば日は既に落ちていたが、ぼんやりと輪郭が見えるほどには明るさを残していた。
窓際に立ち肩を掴んで首を回す。だが緊張は解けなかった。
景観に向けられている目と、己の心情を見つめる眼。虚ろに捉えている風景とは真逆に、事態は姿を見せはじめる。その事が胸に重しを乗せてくるようだった。
真子や真神を救う為には過去の因縁にけりを付けねばならない。鍵となるのは鬼怒川茜だ。その事については明日にでも聞き出して何か方策を考えよう。
呪いの事件についての鍵は玉置訪花である。彼女を見つけ出し呪いの解除をさせなければならない。
全ての起源になっている黒鬼の呪いも解かなければならないのだが、訪花が雨の陰陽師と比肩するほど術者ならば、それも可能なのではないか思える。
雨などいないと教えられてはいたが、それでも今は期待する他はない。雲華の水鏡が彼女を映したというのならば、きっとそこには雨の陰陽師に関する何らかの意味があるのだろう。
「これからだ」
深く息を吸い込んで吐き出す。ハルは解決を強く決意した。
奇怪なパズルのピースは徐々に埋まりつつある。全容の組み立てなど案外単純なものかも知れない。複雑に見えているものでも縁取りが整いキーパーツを見つけることが出来れば後は一気に埋まっていくものだ。
「さてと」
強ばる頬を一つ叩く。そうして窓辺から離れようとしたときだった。
「あれは、宮本さん? それと……その周りにいる子達は?」
窓の外に、三人の女生徒に引っ張られるようにして歩く宮本円香の姿を見た。途端に心が不快にくるまれる。彼女達の様子は、どう見ても仲良しの行進には見えなかった。しかしハルは、その光景を見ても不思議とは思わなかった。円香を連行させている女生徒には心当たりがある。覚えのない顔であったが確信していた。きっとあれが桐島華蓮に違いない。
「彼女も学校に来ていたのか」
見えている場所にはまだ他の生徒の姿は見えなかった。
弱々しく俯き、奴隷のように連れられていく円香。彼女の両脇にいるのは華蓮の取り巻きだろう。そして二人の後ろで不敵に笑っているのが殺人事件の根幹たる少女。
呪いの事件は、円香のところで一応その進行を止めている。先の二人が亡くなってから時間が経過していることで噂も鳴りを潜めている。それで安堵して出てきたというところなのだろう。だが華蓮は知らない。呪いの事件はまだ終わっていない。
「反省どころか……」
罪過と贖罪。慚愧する円香に咎人のあるべき姿を見ていた。だがその考えは己の主観に基づく独り善がりだったのではないのか。
そこには円香とは全く異質の顔をみせる罪人がいた。失望に塗られていく心。やりきれない思いが眉間に力を込めさせた。
「あれはもう……」
職員室で話を聞いていた時よりも荒々しくうねる感情。
命は重い。その思いに変わりはなかった。たとえそれが犯罪者の命であっても変わることなど無いと……。
助けようと思っていた。加害者であろうとも救わねばならないと思っていた。だが迷う。彼女の異様さに戸惑う。華蓮の今の姿には、反省のようなものは微塵も見られなかった。
「あれはもう……」
同じ言葉を繰り返すが、その先に続く言葉を口に出すことは憚られた。と、その時、訪花の言葉が脳裏に蘇る。
――教えてあげるわ。あいつらは、自分の罪に殺されているのよ。自分の罪に呪われているだけ。償っているだけ。それって当たり前のことじゃない? だからこれは、因果の帰結にすぎない。
思い出して唇を噛む。
――救いたいと思うても、対象は己の主観と立ち位置によってころりと変わるものだ。是非は己が手前勝手に決めつけているにすぎない。お前は何を救いたいのか。お前は誰を救いたいのか。今のお前は何がしたいのか。そこに正解などないぞ。
仙里に言われたことも思い出した。気持ちが揺らいでいた。分からなくなっていた。確かに円香は救いたい。けれど華蓮のことはどうなのだ。
「くそっ! 何だよ!」
割り切れない想いを振り払おうとして強く首を振る。そうしているうちにも円香を連れた華蓮が遠ざかっていく。彼女らの行き先を見つめながら、あの夜のバックネットと裏山を思い浮かべた。犬神に殺されそうになった。鬼に殺されそうになった。ハルにとってそこはデッドラインの向こう側であった。
嫌な胸騒ぎがする。ハルは、両手で思い切り机を叩き玄関へ向かった。
生徒玄関を出て辺りを見回す。裏山の方向に円香を含めた女生徒達の背中が見えた。その背中を追う。追いながら混濁する心境を整えようとした。ハルは自分の成すべきことに集中しようとした。
三人から円香を助けることは造作も無い。諫めることも、円香を連れ出すことも容易である。だがそれで解決するのだろうか。相手は人を殺しても平気な人間である。その上に我が身に起こったことを余所に転化する人間である。ならばこれを契機として、再び陰惨なことを始めるかも知れない。
山の登り口に人影が見えた。そこは校舎やグラウンドから見えない場所であった。
その場所で円香が小突かれる様子を見る。取り囲む少女達の湿った笑い声が聞こえてきた。現状を収拾するためのベストアンサーを探す。頭の中で選択肢を並べ、考えながら忍び足でつかず離れずの位置まで寄っていった。そうしてその場で状況を見つめた。
「円香、あんたがやらせてんでしょ」
「やらせるって、何を」
円香の声が、取り囲む三人の内側で弱々しく揺れた。
「しらを切ってんじゃないわよ。あんた、あの蒼樹ハルって奴の家に居候してるんだってね。二人がグルだってことはもう分かっているのよ」
「そ、それは……」
「あの男子を使って、私に仕返しでもしようと思ったの? 自分じゃ何も出来ないから、男を使って妙な噂をばらまいて」
「違う! 私はそんなことしてない。あれは――」
否定する円香の肩を取り巻きの一人が突いた。
「あんたしかいないのよ! もう分かってるんだからね。あんたと華蓮ちゃんが休んでるとき、あの男、必死で聞き回ってさ」
「違う。蒼樹君は、私達を、私も桐島さんのことも助けようとして――」
「はあ? 助けるって? いったい何から華蓮ちゃんを助けるっていうのよ」
「それは……」
「あんた、まさかマジにお化けだなんて言わないわよね?」
「いい年して、頭の中が可笑しくなったんじゃないの? それともただの馬鹿なの」
「で、でも……これは本当に――」
「うわ、やだ。こいつ、本気で怪談なんて信じてるんだ。気持ち悪りぃ」
取り巻きの二人が、嘲るようにして捲し立てた。その様子を華蓮は少し後ろで面白がるようにして見ていた。
調子づいた取り巻きの一人が円香を小馬鹿にしながら突き飛ばすと、その拍子につまずいた円香が地に尻餅をつく。
「あんたのせいで、華蓮ちゃんは学校に来られなかったんだよ」
「気持ち悪い噂なんか流してさ、華蓮ちゃんを傷つけてさ、あんた平気なわけ?」
「……」
三人に見下ろされた円香は、負け犬の如くわなわなと震えていた。
「謝りなよ」
「そうよ、ちゃんと華蓮ちゃんに謝れよ」
いって一人が円香の髪を掴んだ。
「土下座よ、土下座」
「ほら、下げろよ。もっと頭下げてぇ」
取り巻き二人が、揃って円香に土下座を強要した。その様子を腕組みする華蓮が見下げて笑う。
「い、嫌、私は何もしていない。私は悪くない」
涙声になりながら円香は抵抗する。すると華蓮は土足のまま、円香を転がすように足蹴にした。
――やべっ、待ちすぎた。
華蓮の横暴に円香が悲鳴を上げた様を見てハルは木陰から飛び出した。そして華蓮に向かって言う。
「やれやれだね。人殺しが反省もなくまた同じ事を繰り返す。これはもう呆れるも通り越すくらいだ」
ハルはゆっくりと歩みを進めながら少女達に近づいていった。
「蒼樹くん……」
ハルの名を呟く円香。彼女の目は安堵を浮かべていた。
「あんたが蒼樹ハルか」
「いかにも、僕が蒼樹ハルですが、何か?」
「あんたのせいで、華蓮ちゃんは――」
「ああ、ちょっと待って、話はちゃんと聞くからさ」
ハルは、片手で少女達を制止ながら円香を抱き起こした。
「蒼樹君、来てくれたんだ」
「うん。でもごめんね。ちょっと出てくるタイミングを間違えてしまった。大丈夫かい? それにしてもまさかここまでやるとは思わなかった」
ハルは円香についた枯れ草を払いながら安心してと声を掛けた。
「気持ち悪い。ヒーロー気取り?」
華蓮がハルに向かって悪態をつく。
「別に?」
答えるハルは、目を細めながら見下げるようにしてせせら笑った。
「はあ? なによそれ、別にって。助けに来ましたって顔をしてたじゃない――」
「助けに来た、か……。ちゃんと分かってんじゃん、お前」
「なによ」
「いやなに、今のこれが、円香ちゃんが助けを求める場面だと、ちゃんと分かってるんだなと思ってさ。ということはさ、自分のやっていることもちゃんと理解しているんだよね? そりゃそうだよね、もう高校生だもん」
「あんた……」
「あ、そうそう。さっきの質問にちゃんと答えなきゃね。助けに来たのか、だっけ? その答えは、ズバリ、僕は助けに来ていません!」
いってハルは円香の方へと向き直り、ニヤリと笑顔を見せる。訳が分からないといった感じの円香はキョトンとして首を傾げた。
「相手はクズだ。ここで助けても、また君に悪さをするに決まっている。ならばどうするのか?」
「どうするって……」
「決まってるじゃないか。君があの馬鹿どもをやっつければいい!」
「え?」
「勇気を出そうよ。僕は絶対に君を見放さない。勝つまで君と一緒に闘うよ」
どこかで聞いたことがある台詞だということは承知している。しかし、たった今自分の吐いた台詞には真理があると思えている。
思えば仙里の言われたことは、今の自分の言葉よりも厳しいものではあるが、それでも立場を変えてみてみれば理解は出来る。これが自分の戦場ならば、自分を救うのは自分以外にはいないということだ。死なないためには、全力を振り絞って負けない力を身につけるより他はないということだ。
ハルは、円香の身体を相手の方へと向けその両肩をポンと叩いた。
「思っていることを言ってやればいい。守りは任せろ。相手には指一本触れさせやしない。君は相手をやっつけることだけ考えればいい」
「で、でも……」
「欅ちゃんのこと、後悔しているんだろ。償いたいと思っているんだろ。そのことについて、君が何か行動を起こさねばならないと思っていることを僕は知っているよ」
「……蒼樹君」
「何でもいいじゃない。取りかかりは何でもいい。進むことが大事なんじゃないのかな? だから闘おうよ。一緒に」
両手を乗せていた円香の肩がふわりと持ち上がってストンと落ちた。ハルはその動きに彼女に意思を感じ取った。円香が深呼吸をする。その時の彼女の顔は見えていなかったが体中に気が漲って来ていることを感じていた。そして円香が顔を上げる。
「私は、欅ちゃんを殺した……私は犯罪者だ」
絞り出された震える声に、華蓮と取り巻きが沈黙する。その様子を見てハルはそっと両手を離した。
「私は悔いている。人殺しをしたことを、欅ちゃんを裏切ったことを、そして恩を仇で返してしまったことを。あなたは何も感じていないの? 桐島さん」
問われた華蓮は口ごもった。気まずい空気を察した取り巻き達がバツを悪そうにして下を向いた。
「何もって、私はなにもして――」
「逃げるの?」
「逃げるとかじゃないわ。あの子が勝手に死んだんじゃない。私達はちょっとふざけてただけなのに、あの子が勝手に思い込んで死んだ。私のせいでは――」
「まだ、そんなことを言うの。どうしてまだそんなことが言えるの?」
「だって、あの子が死んだのは――」
「あなたのせいよ。そして私達のせい」
華蓮に向けて言い放った円香は、次に取り巻き達に目を向けた。
「欅ちゃんが死んだ理由を、あなた達も知っているはずよ。同じ中学だったんだから」
「……」
「いいの? あなた達はこのままでいいの? 桐島さんの顔色を覗って、それで共犯になって、最後は私みたい人殺しになるの? なりたいの?」
言われた二人が困り顔で互いの顔を見合った。
「人が一人死んでいるのよ。それなのに殺した者はのうのうとしてまた同じ過ちを繰り返そうとしている。それはなんで?」
「なんでって、それは……」
取り巻きの一人が戸惑いを口にした。
「あの時、欅ちゃんが死んだときに問題にならなかったから罪がなくなるの? みんな忘れたようにしてしまって、それでもう許されたの?」
「……そんな」
「……それは」
「聞いて欲しいの。手を染めた血は決して洗い流せない。人を殺した罪からは逃れられないの。無かったことにはできないのよ。死んだ人の命は取り戻せないのだから」
「……」
「……」
「あなた達は主犯でなければ罪はないと主張できるかしら? 結果、人を殺したとてもそう言い切れるかしら?」
「私達は、人を殺そうとなんて――」
「そうね、まさか死ぬなんてね。って私も思っていたわ。でも想像しなくてはいけなかったの。その先に何が起こりえるのかをちゃんと考えて行動しなければならなかった。だけど怖かった……」
「怖かった?」
「自分が口を出せば、今度はまた自分がターゲットになるかもしれない。それが怖かった。でも、違うの」
「違う?」
「私は、欅ちゃんと一緒に闘えばよかった。それで酷い目にあってもその方がよかった。人殺しになるよりは……」
「宮本さん……」
「分かるでしょう? 私の言っていること。ならば今日はもう帰って。あとは桐島さんと私の間で決着を付ける」
涙を溜めながら必死で訴える円香の言葉は、取り巻きの二人に届いたようだった。
二人は華蓮に向かってごめんねといいその場を立ち去った。華蓮は癇癪を起こして二人を引き留めようとしたが、結局二人の背中にその言葉は届かなかった。
円香は一対一で桐島華蓮と対峙をする。心配は不要だろう。ハル目にはもう勝負が付いているように見えていた。
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