《初稿》妖怪に恋した僕と英雄譚 -雨中の猫-

楠 冬野

1章 猫と少年

第1話 雨上がりを呼ぶ者

  ※ 現在、大幅に改稿中です。 最低でも五~六万字は減らしたい。出来ればもっとシェイプしたいと思っています。構成の組み替えも行っています。なので今はお勧めできません。           



        -1-

 天から疎らに落ちる大粒の雨がガルバリウム鋼板の屋根を叩いていた。

 生徒達の喧騒は雨音にかき消されていて届かなかった。身に纏わり付くような水気と冷気。その空間は降りしきる雨によって支配されていた。


 体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下の一角で中庭に降る雨を見ていた。

 蒼樹あおきハルは、雨の中に佇む一匹の猫を見つけた。美猫と称してよいかどうかは分からないが、その猫はまるで魂を吸い寄せるかのようにして自分を惹きつけた。


 それは、二本の尾を持つ風変わりな猫だった。

 緑の木々と共に濡れる猫は、ハルの存在を、あたかも空気のようにして気にも留めなかった。その距離は近い。気が付いてはいるのだろう。しかし猫は、あくまでハルのことを無いものとして扱っているように見えた。


「ねえ、君、こんな所で一体何をしているんだい?」

 何の気なしに声を掛けてみたが、返事は無かった。


「どこから来たんだい? ねえ、君」

 次も返事をくれなかった。つれない態度の猫。それでもめげずに話しかけるが、猫は無視を続けた。猫は一点を見つめたまま動かなかった。


「ずいぶんと濡れてるじゃないか、そんなんじゃ病気になっちゃうよ」

 言いながら、バッグの中からタオルを取り出そうとすると猫が振り向く。

 だが出会いの時はそれまでだった。瞳に愁いを湛える猫は去る。

 去り際に一瞥をくれた猫は、土砂降りで水煙が立つ運動場を横切るようにして走り去った。ハルは、ただただその後ろ姿に目を奪われていた。


 それにしても美しい猫だった。雨に濡れてその色を濃くさせていたが銀色の毛並みには艶があり、その艶は濡れていてなお輝きをみせて品格の高さを感じさせた。素直に心の底から綺麗だと思った。

 しかし最も印象的であったのはその美しい毛並みではなかった。その猫の瞳だった。

 大きくパッチリと開いた丸い瞳は目じりをキュッとつり上げ気位の高さを思わせる。そして、何よりも瞳の色が格別だった。

 その澄んだ緑色は透き通っていてまるで稀少石のようであった。

 ハルは、美猫の姿を頭の中に浮かべた。胸がキュンと鳴った……。


 ――ちょっと待て、待て、待て、待て。

 それは如何なものかと思い直す。いくらなんでも動物と恋は出来ない。この春に高校生になった自分は確かに恋愛に憧れている。いや求めている。しかし。


 ――いやいやいや、それもおかしな発想だ。

 そもそも、動物に対して「恋」を連想している時点で頭がおかしいと思う。それならば二次元美少女に夢を持つ方が余程健全である。

 至って健全であると心の中で訴えた。ハルは至極普通の男子高校生であることを己に強く言い聞かせた。しかし、心はどうにもあの美猫から離れることが出来なかった。



 その日は授業に身が入らないままに午後を過ごし、帰宅部であるにもかかわらず放課後に居残りで美猫を探し回る羽目になる。しかし結局のところ、校内のどこを探してもあの美猫には会えなかった。


 生徒玄関から外に出ると、手にしている傘がいつも以上に重かった。それが雨のせいだけでない事はもう分かっていた。項垂れる首が重かった。

 せっかくの出会いであったのに、語り合う事も触れ合う事も出来なかった。

 落胆の中に聞こえてくるのは雨音のみであり、普段何気に捉えている雑音は耳に入って来なかった。失意が意識を一本の線のように収束させる。そのコンセントレートした心が殊更にあの美猫のことばかりを考えさせていた。


 ――僕は何故、こんなにもあの猫の事を気にしてしまっているのだろうか……。

 そもそも、あの猫が雄だったのか雌だったのかをきちんと確かめた訳ではなかった。それでも心はあの猫が女の子であると確信している。迷いさえない。

 心に抱くその感情を一目ぼれに近いものなのかと思い、その感情の居所を分析してみるのだが、あれが獣だと思えばそんなことがあるはずもない。では何かと考えてみると……。単純にあの猫の美しさに感動している自分が見えてきた。だからハルはそこで一先ず納得をすることにした。



 帰りのバスに乗り込むと、帰宅には中途半端な時間だったので乗客も少なく座席は疎らだった。

 一番後部のシートに座り、窓枠に肘をついて流れる景色を見た。何を考えるでもなく。何を思うでもない。ただ無気力、無思考のまま雨が打つ路面を見ていた。

 一つ目の停留所に着く。バスが走り出す。次の停留所に着く。またバスが走り出す。止まっては走るバスの中、空になった心で無為に停留所の数を数えることにも飽き始めていた。心に虚無感が湧いてくると、そこに寂しさが降りてきた。


「だから、雨は嫌なんだ」

 ポツリと溢す。閑散としたバスの中で溜め息をついた。

 孤独を振り払うように首を振る。そのような時に、ふとした心のざわめきと共にアナウンスの声を拾った。


「次は神社前、神社前です。お降りのお客様は……」

 モノクロの景色が僅かに揺れたような気がした。感じたままに視線を向ける。

 そこでそれを捉えたハルは目を見開いた。瞬時に鼓動が加速した。

 何故、と思うと同時に視界に映るその不可思議に何かに化かされているような気分にもなった。

 追わなければいけないと考えたのは衝動だった。しかし、それを見付けた時にはバスはもう停留所から動き出そうとしていた。

 目はその一点を見つめて動かない。だが、動こうとするバスは自分からそれを引き離そうとしている。何かに突き動かされた。ハルの心は激しく波立っていた。


「すみません! 降ります! 降ろして下さい!」

 考えるより先に声が出ていた。急停止に体を揺らしながら前方の降り口へと走る。

 矢も楯もたまらずバスから駆け下りた。


 余りに急いだ為にバスの中に傘を残して飛び降りてきてしまったが、しかし今はそんな事を言っている場合ではない。


「確かに居た! 僕は見た! 猫は、あの猫はどこだ!」

 身を叩くほどの大雨の中である。視界良好とはいかない。直ぐずぶ濡れになった。それでも、構うものかと辺りを探し回った。

 髪も濡れ、濡れた前髪から滴り落ちる水で目が痛んだ。

 雨に濡れる前髪が視界を隠す。髪が邪魔だ。激しく揺れる心のままに髪を掻き上げれば、大粒の水飛沫が宙を舞った。


 何度も辺りを見回した。移動もした。走った。ハルは何かに取り憑かれたように猫を探した。悔しさに唇を噛む。あの猫はどこだ。

 しかし……。いくら探しても、出来る限りを動き回ってみてもあの美しい猫の姿を見付ける事は出来なかった。ハルの精一杯の行動は無駄骨に終わってしまう。


「幻とかって、それはないよな……」

 呟き、確かに居たはずなのにと言って肩を落とす。だが心の半分ではその現実を諦めきれなかった。

 気が付けば下着までずぶ濡れになっていた。走る事を止めた身体から熱はどんどん失われていった。次第に冷えていく頭はバカな自分を笑った。


「なにやってんだろう、僕は……」

 思わず溢し我に返る。ここはどこだっただろうか。


「ああ……」

 思い出した「神社前」のアナウンス。そこは自分が降りるはずの停留所から三つ前の停留所であった。いやはや衝動とは恐ろしいものだ。

 振り返ればバカな事をしたものだと、後悔先に立たずを実感する。冷えきった頭が現実を捉えだすと目が現実の景色を見る。少し目先の方に大きな木々に囲まれた社が見えた。雨に打たれながらハルは帰路を考えた。


 家路は遠かった。道のりを思えば、見えてきたそれはこの大雨の中を徒歩で帰宅するというお寒い現実だった。

 徒歩での帰りを考えれば広い社の中を突き抜けるのがショートカットとなる。この広い社の外周を回れば遠回りになってしまう。

 傘を失っていた。ならばもう急いでも仕方がないと思えたので歩みは鈍かった。いや、この落胆はあの猫と出会えなかったことを未だ少し引きずってしまっていたのかもしれない。


 スニーカーは水を含み重たくなっていた。その重さに、なんとなく足枷をはめられているような気分にもなった。

 社の入り口に立ち大きな鳥居のすぐ横で天を見上げれば、朱色の柱に添って勢いよく走る雨が顔を叩いた。


「だから雨は嫌いなんだ……」

 僅かに心を落ち着け大きく息を吸って吐く。とどのつまりは自分が悪い。今日の自分はどこかおかしい。そんなことを思いながらハルは境内へと足を運ぶ。

 この大雨である。そこには参拝客などの人の気配は無かった。


「静かだ……」

 そこには静寂があった。社を包み込む厳かな空気のせいであろうか、身体はどことなく緊張をしていた。そんな社の雰囲気に飲まれながら自分を省みれば諦めも付いた。濡れながらの帰路にも覚悟が持てた。


 玉石を踏みしめる感触を足裏に抱きながら参道を歩いていく。向かう裏門の方に顔を向けるとひと際大きく聳える銀杏の木が見えた。

 なんて立派な木だ。樹齢はどれくらいなのだろうと、そんなとりとめもないことを考えながら建物に添って曲がる先へと進む。更に奥へ向かうと目の前に大きな銀杏が全身を現した。


 雨を受ける枝と葉はその水の重みで幾分項垂れてはいたが、近付いていくほどに見上げるようになる銀杏はその迫力と存在感をまざまざと見せつけてきた。巨木は下を向くな上を見よと語りかけてくるようであった。

 その銀杏の迫力に思わず感嘆の声を上げてしまいそうになったその時だった。

 突然、耳が甲高い金属音のようなものを捉える。鋭利な音が一瞬のうちに身体を囲い切り刻んで抜けていった。


「なんだ! なんだこれ!」

 心臓が高く鳴った。自分の鼓動が辺りに響き渡っているように聞こえていた。

 思わず目を閉じ胸を押さえ込む。芯の方から来る体の震えを止めることが出来ない。この時ハルは極度の恐怖を感じていた。

 胸を押さえたまま膝から地に崩れ落ちた。だが、直ぐに何者かの気配を感じてハッとする。

 怖さを噛み締め、恐る恐る顔を上げて見ると……そこに、一人の女の姿があった。


 突然目の前に現れた女。よく見れば歳は自分とさほど変わりが無いようだ。いや、一直線に切り揃えられている前髪のせいか幼くも見える。

 あどけなさを思わせるが妖艶さも持ち合わせていた。それは不思議を纏った少女だった。

 

 天から降りしきる雨。青い線に打たれる少女はずぶ濡れだった。

 濡れて重くなったその長い黒髪は、光の加減であろうか僅かに銀色にも見えた。

 顔を見ると虚ろに半分だけ開いた瞼の下にエメラルドの輝きを覗かせていた。

 少女を見て、ハルは直ぐに昼休みに出会った猫のことを思い出した。

 物憂げに銀杏の巨木を見つめる少女。着崩れしているその着物の襟は今にも肩から落ちそうになっており、はだけて露わになった白い肌は雨に濡れて艶めかしい。白地の着物の中に咲く濃い紫色をした花が物悲しい少女の様を更に儚げに見せていた。


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