あまり褒められることではない恋愛事情

@chauchau

言ってくれて助かった。


 風が吹く。

 舞い踊る桜の花びらが、美しくも怪しく周囲一帯を桃色に染め上げていく。敷き詰められた桜花の絨毯を道行く人々が、そして車が、自転車が踏み荒らしていく。

 四月最初の日曜日。正午丁度を知らせる鐘の音が駅前の広場に鳴り響く。すれ違う多くの人々の顔は晴れやかで、今から花見にでも向かうのかもしれない。


「……」


「……」


 待ち合わせ場所は天使の象。

 降水確率0%の本日だからこそ、相手を間違えないためのキーワードとして選んだ折り畳み傘。

 向かい合う男女がそれぞれ持つのもまた折り畳み傘。それはつまり、目の前の相手が待ち望んだ相手であることを証明するなによりの証拠。


「……、眼鏡カマキリさん、ですよね」


「ええ、あの……」


「私、トンビを産んだタカです」


「どうも」


「……場所、すぐに分かりました?」


「はい」


「良かったです、ほら、ここ少し改札から離れているから。でも、改札は人が多いからどうかなって、その」


「ナイス判断だった、と思いますよ」


「そう、ですか? それは、良かったです……。あの、ごはん、どうしましょう」


「…………」


「少しだけ歩いたところにお勧めのお店がありまして、そこのオムライスがとても、」


「なあ」


「とても! 美味しいんですよ、とっても、とっても美味しいからカマキリさんにもいつか絶対食べて欲しいなってずっと思っていて」


「もう」


「なんといっても四種類のチーズを使ったチーズソースが美味しいんですよ、あ、でももしチーズが苦手でしたら普通のデミグラスソースもケチャップソースもあって!」


「やめようよ」


「ケチャップソースもなんと自家製なんですよ、なので、ああ、そうだ。ぜひ違うのを頼んで半分こを、」


「なあ!!」


「…………」


「もう、止めようよ……」


「……どうして」


「もう無理だよ」


「……どうしてなの」



「どうしてあんたが居るのよぉぉおおお!!」


 崩れ落ち泣き叫ぶ女性とその傍らで立ち尽くす男性の姿に、道行く人は幾度となく振り返りはするものの、男女の話し合いに割って入るほど愚かなことはないだろうと誰もその足を止めることはなかったのであった。





 社会人になって、あっという間に時間だけが過ぎていた。初めて後輩育成を任されたときにはどうすれば良いか分からず、先輩に泣き言を漏らしたこともある。辞めてしまった子もいるけれど、立派に育った子も何人かいて、私が育てた後輩が育てた後輩が育てた後輩なんて存在まで現れるようになっている。

 転勤はしないという契約で入社した私は、同期と比べても給料が安いものの安定した生活を手に入れて、それこそ入れ替わりの激しい会社のなかでずっと同じ支店で働けて楽出来ていることのほうが多い。

 もちろん、世間の流行に沿うようにサービス残業という名の社畜活動に忙しい我が社のなかで、楽といっても本当に多少なだけではあるのだが。

 ともあれ、三十路になりました。と会社のなかでヤケクソ発表をしてから更に二年の月日が流れてしまったのは事実である。事務として雇われている若いパートの女の子たちが裏で私のことをお局と呼んでいるのは知っているし、同期どころか先輩まで含めて正社員の男共は私のことをお母さんなんて呼んできれくれやがる。


 今までの人生で、彼氏と言う存在が居なかったわけではない。ただ、初めて彼氏が出来たのは社会人になってからであり、その時にはすでに社畜として立派に育っていた私にとって、たまにしかもらえない休みに彼氏と出かけるなんて気合と体力は備わっていなかった。


 仕事終わりに会えないの?

 会ってやろうか? ただし、天辺を越えてからのデートだぞ。次の日七時には出社だからな。覚悟しろよ。

 休みがゼロってわけじゃないんでしょ?

 休みがないんじゃない。遊ぶための休みがないんだ。


 どちらが悪いのかと聞かれれば、世間一般的には私が悪いのかもしれないが、初めて出来た彼氏(ちなみに大学時代の友人だった)とは、半月も経たずに別れてしまった。

 それが二十五歳の頃の話。そこから彼氏が欲しいと思うことはあっても、では行動に移そうか! とまで気合が入ることはなく、ずるずると会社に向かって働いて日付が変わった頃にようやく家に着くなんて生活を続けてしまっている。


 しかし、日本の教育というものは実に素晴らしいとは思わないだろうか?

 小中高と不純異性交遊はいけないことだと遠ざけて、しっかりとした性教育を行うこともなくセックスとは悪いことであるとばかしに否定する。大学生になれば恋愛に遊ぶものたちをお偉い方々がモラルがないと断じて吐き捨てて、そのくせ、社会人になった途端、やれ恋人はいないのか、やれどうして結婚しないのか、やれ子どもはまだか、どうしてその歳になるまで童貞、処女なのか。そういう奴らこそ犯罪者予備軍だとあれあれどこでそうなりましたかと叫びたくなる。ああ、まったくもって素晴らしい国だよ日本は。


 母親からの孫はまだか攻撃に反吐が出たことも、同期の中で結婚する相手が居ないのが私だけになったのも、友人から届く年賀状の写真が子どもばっかになってきたのも、たまに会う友人連中が私のことを腫れもの扱いするようになってきたのも、全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部!!


 ああ、まったくもって面倒くさい。



 というわけで、私はセフレを探すことにしました。



 セフレ。セックスフレンド。

 最近だと他の呼び方もあるんだっけか? 別にどうでも良いけど。

 を、探すのには一応理由がある。処女が良いなんて言うのはエロゲ―なり漫画なりだけの話。実際問題、付き合ってセックスをすることになった時に、経験豊富な相手のほうが楽しく気持ちよく気軽に決まっている。

 その上で処女が良いなんて言うのは、童貞拗らせた未経験野郎か、もしくは自分の経験数に変な自信をもってしまったキチ○イ野郎ぐらいなものである。独断と偏見? ああ、そうだろうね。だが、私の中では事実なんだ、それで良いじゃないか。


 実際はどうあろうとも、三十歳を超えたあたりから付き合うという行為に、結婚という抗いようのない現実が付きまとうことになる。そのなかで、処女なんてものは男にとっては、え、これ俺が破ったら一生面倒みるの決定すんじゃね? 付きまとわれ確定案件じゃね? と二の足を踏ませるような内容であるらしい。ソースは、私の男友達。ついでに言えば、これは童貞にも当てはまるとその友人は泣いていたが、未経験ということはつまりはお付き合い経験はゼロもしくはそれに近しいものであるために、そもそも人付き合いとしてなにか欠点があるのではないかと思われるそうだ。

 色んな事を述べはしたが、つまり手っ取り早く経験を積んでみようというわけである。最近地味にムラムラすることもあったので、もうどうでも良いというのも事実だ。


 そんなことを二十年以上の付き合いになる親友兼腐れ縁の糞ビッチに相談したところ、「じゃあ、ウチも登録している出会い系教えてあげる」とプロによるオススメを教えてもらったので私も頑張るかと意気込んだ。

 実際には、数日で飽きてしばらくほったらかしにしていたのだが、クリスマスという実にありがたいイベントで盛り上がる社会にイライラして、私のなかでの怒り、もといやる気が再熱した。


 そこで知り合ったのが、『眼鏡カマキリ』さん。二歳年下の彼とは驚くほどに気があった。それなりに面倒くさがりで面倒くさい私のことも気にせずに彼は話に付き合ってくれ、数少ない趣味であるオンラインゲームを彼も好きであるという驚異的な事実を以てしてどんどんと仲良くなっていく。

 そして知り合ってから約四か月になる今日、初めて顔合わせを行うことになったのだ。ちなみに、例の親友からは『は? おっそ。馬鹿じゃないの死ねば?』と温かい応援をもらっている。今度会ったらシバく。

 そして、話は冒頭へと戻ることになる。





「わけなのよねぇええ!!」


「いや、いきなりそこから入られてもわけ分かんねえよ」


 最終的に警察がやってくる事態にまで陥って、事情聴取をされる前にその場を逃げ出した彼らは、話に上がっていたオムライスの店へとやって来ていた。

 日曜日ということもあり、他はカップルか家族連ればかりの店内に、どんよりと項垂れる彼女の存在ははっきり言えば営業妨害レベルで迷惑なのかもしれない。


「ていうか、なに出会い系なんか使ってんのよ、馬鹿じゃないのあんた」


「姉ちゃんだって使ってるじゃねえか」


「あたしは良いのよ、あんたはもっと普通に彼女探しなさいよ。外歩け、ナンパしろこの間抜け」


「ひっでぇ……」


「趣味合うの当たり前じゃない、あんたの趣味はほぼあたしの真似なんだからぁ……」


「真似っていうか、姉ちゃんが無理やり俺にやらせたんじゃねえか。周りにやってるやつ居ないからって」


「チッ」


「…………はぁ」


 運ばれてきた二つのオムライス。彼女が頼んだチーズソースと、彼が頼んだケチャップソース。二種類のオムライスが異なる、けれどどちらも美味しそうな香りと湯気を放つ。


「ふ、ケチャップなんてお子様め」


「いやいや、ケチャップオススメとか言ってたのどの口だよ」


「ああ、なんであんたなんかと……、おいしぃ……」


「聞けよ……」


 それ以上の会話もなく、二人は黙々とスプーンを口へと運び続ける。


「も~らい」


「ちょっ」


「ん~~ッ! やっぱりここのケチャップソースおぃし~ッ!」


「さっきお子様って」


「あ?」


「なんでもない」


「あー、食べた食べた。よっし、行くか」


「行くってどこに?」


 さっさと会計に向かう姉を追いかけるために、彼は残っていたオムライスを一気に掻き込んで、ジャケットを羽織る。


「決まってんでしょ、」


 振り向いた彼女の顔は、まるで今からヒーローを壊滅させようと企む悪の女幹部のようであり、


「酒よ」


 彼に、ついて行く以外の選択肢がないことを示すものでもあった。





「おかわりーッ!! もぉ、じゃんじゃん持ってきてッ!!」


 ところ変わって、駅から少し離れたところにある怪しげなバーで二人は昼間から酒を飲んでいた。路地裏に入って、さらには階段で地下に降りなければたどり着けないこの場所は、知る人ぞ知る店であり、というか知っている人でなければ怖くて近づけない場所であり、昼間から酒をかっくらうことが出来る駄目人間製造の地でもあった。


「飲みすぎ、ちょっと水も飲んだら?」


 ハイペースでビールにハイボール、ワインに焼酎と飲み干していく姉を彼は無駄とし知りつつも呆れ交じりに注意する。


「うっさいわね! もうこんなの飲むしかないじゃないの! 珍しい二連休の初日によ? 今日、一発処女捨てる覚悟で来てみれば相手はまさかの知った顔、てか、弟! こんなもん飲まずにいつ飲むってんだよ、バカヤローッ!!」


「ああ、もう酒臭い……」


「お酒飲んでいるんだから当たり前でぇぇぇっす」


「はい、麦焼酎ロック大ジョッキ。どうしてたのよ、こんなに荒れて。可愛がっていた後輩が何も言わず辞めてしかもその責任を糞上司が全部貴女に押し付けて一か月無休で働かされた時以来じゃない?」


「ちょぉ、聞いてよマスタァァア!!」


 麦焼酎の注がれた大ジョッキをまるで水のようにごくごくと一気に半分ほど飲み干して、ゲップ交じりに彼女は吠える。

 ちなみに今彼女が絡んでいる方こそこの店のマスターであり、身長190cmを超える元プロのボディービルダーだ。


「はぁ~ん? それは可哀そうねぇ」


「でしょぉ!?」


「弟くん」


「なんでよぉ!?」


 カウンターを乗り上げんばかりに前のめる彼女を適当にあしらいながら、マスターはこっそり彼にだけ耳打ちする。


「ほとんど水にしてるけど、あの子の許容量考えたらそろそろ潰れるから、ちゃんと連れて帰ってね、がんば」


「すいません」


「良いのよ」


「ちょっと、! 聞いてんの、ねえマスターッ!!」


「聞いてませーーん」


「きぃぃい! こうなったらもうマスターで良いからあたしを抱いてよぉ!」


「ちょっ!」


「痛いッ!?」


 ズドン、とまるで拳銃でも放ったかのような音がするデコピンを受けて、彼女はテーブルに崩れ落ちる。


「馬鹿言ってんじゃないわよ、なんであんたを抱かないといけないのよ。どうせなら、弟くんを抱きたいわ」


「え、い、いやっす」


「あらん、残念」


「きぃぃい! この筋肉達磨カマ野郎ッ!!」


「わたしはゲイよ」


「一緒じゃばーーかッ!」


「ああ、もう……、すいませんマスター」


「良いのよ、酔って暴れたいときもある。人間そういう時間だって必要だからね」


「あざっす」


「あ、でもどうしてもというなら弟くんのあつぅぅぅいちゅぅを!!」


「まじで無理っす」


「ショック」


 毛を逆立てて威嚇する彼に、ウインク一つマスターは他の客のもとへと行ってしまった。


「……ふぅ」


「ずるい」


「はぁ?」


「あんたばっかずるいずるいずるい!!」


「いや、は? いやいや、なにがよ」


「あんたばっかしモテて意味分かんない、もう意味分かんない!」


「モテてねえよ、今のも遊ばれただけじゃねえか、ていうかマスターは男だし」


「ゲイ差別かッ」


「さっきまで馬鹿にしてたのは姉ちゃんなんだけど」


「ちきしょぉお! 姉のあたしは処女だってのに、なんで弟のあんたはモテてんだ、くそがっ! 法律違反だ、憲法違反だ、逮捕されてしまえ!!」


「そんな法律も憲法もありません」


「どうせあんたは童貞じゃないんだ、そうなんだろう!!」


「え、あー、まあ……うん」


「きぃやぁああ!!」


「ああ、もう落ち着けって!」


「こうなったら!!」


「……なんだよ」


「あんた、あたしを抱きなさいッ」


「…………は?」


「そうよ、その手があったわ。ていうかもともとそのつもりだったんだし、ちょうど良いじゃない」


「…………」


「あたしは処女じゃなくなるし、あんたはすっきりする、しかもあと腐れなんてものは一切ない! おお、さすがはあたしこれ結構天才なんじゃない!?」


「…………」


「ここですぱっと経験して、んでそれをもってあたしは次に向かう! うんうん、なんと天才なんだろうか、平成の諸葛孔明と、まてよ、そろそろ令和になるのか。よし、令和の諸葛孔明と!!」


「…………」


「…………」


「…………」


「……お、怒った?」


 さすがにいくらなんでも馬鹿なことを言っていると理解したのだろう。途中まで勢いで誤魔化せとばかしにまくし立てていた彼女だが、ずっと黙り続ける弟の様子に恐る恐るお伺いを立てる。


「……言ったな」


「え? ぎにゃぁ!?」


 ぼそりと零した言葉を聞き返す彼女を、彼は抱き上げる。いわゆるお姫様抱っこになるのだが、暴れもがく彼女をガッチリとホールドし、逃がさない。


「マスター、悪いけど」


「今日のはツケにしておくわん。あと、一番近いホテルは出て右よ」


「あざっす」


「え、ね、ねえ、ちょ、ちょっと?」


「……」


「どうしたの? 怒った? 本当に怒っちゃった?」


「……」


「あのね、お姉ちゃん、その謝るから、あの、あのッ」


「……」


「まずは降ろして? ね、ねえ、降ろそう? そしてゆっくり話し合いましょ、ね、? ね? お姉ちゃん謝るから、……ね、ねえ!?」


「……」


「嘘だよね!? 冗談だよね!? ま、待って! 待ってほんとに!?」


「……」


「だめだめだめっ! あたし達姉弟だからッ! 落ち着いてむぐっ!?」


「……」


「~~~~~~~ッ!!」


「お幸せにぃ~」


 唇を塞がれ、話すことも出来なくなった彼女が助けを求めて伸ばした手は空を掴むだけであり、白いハンカチをひらひらと振るマスターが鬼の仲間のように見えるのであった。





「こんちゃーーーッ!」


 カンカンカンッと高すぎるヒールを鳴らして降りてきたのはひと際露出の高い服、というかもはや布を羽織った女性。


「あら、珍しいわね。あなたが一人で来るなんて」


「いやぁ、今日あの馬鹿来たっしょ? 弟くんと。あ、ビールね」


「なるほど、あなたの差し金ってわけ」


 すぐさま出されるキンキンに冷えたビール。


「んっ、んっ、……んっ、ぷはーッ!! 差し金って言わないでよ、むしろ恋のキューピッドってとこね」


「ははっ、報酬は?」


「若い子何人か、いやぁ、複数でやるのちょー楽しくてさ。マスターも今度一緒にしようよ」


「魅力的だけど、わたしが行くと引いちゃう子多いからね」


「そこは大丈夫なの探すってぇ! ウチこれでも顔ちょー広いしぃ?」


「それでいつから?」


「お、気になる? 相談自体はけっこー前から、あの馬鹿がたったと結婚してくれれば諦めつくのに全然その感じがしないって、だからアプリを教えてあげたってわけよ」


「てことはここに来て酒を飲むまで計算通りと」


「そそ。あいつほら、ちょー馬鹿で素直じゃん? だからよゆー、よゆーッ」


「まあ、幸せならなんでも良いんだけどね」


「そゆことーッ! どいつもこいつも倫理とかモラルとかちょーつまんね!!」


「大事なことではあるのよ」


「ははっ、マスターが言うとか受ける! ビール、おかわりー!」


「はいはい」

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