ふたりぼっちの天の川
青猫兄弟
ふたりぼっちの天の川
宇宙というのは、とても静かな所だ。
音が伝播しないのも勿論理由の一つだが、ここには星と岩しか存在しない。あとはだだひたすら続く闇。もしこんな所に独りぼっちで放り出されたら、例え整備された宇宙服を着ていても、肉体より先に精神がやられるだろう。
〈少佐、火星による日蝕まであと五分三十秒です〉
国連軍仕様の戦術運用補助AI、エイミー6《シックス》の声が機内に響く。バトルポッドである14式宇宙戦球は、エイミーという疑似人格がOS代わりになっている。
「分かった。作戦通り、五分前に背部光学ビーコンを利用した同期を行う。そのとき、一人も死ぬなと伝えてくれ」
俺らしくない。
普段なら、死を覚悟で特攻しようとする部下を力づくで止めるのが俺なのに、無責任に死ぬな、なんて。
国連や政府がいう火星紛争、左派は火星独立戦争と呼ぶ長い戦いも、もうすぐ終わろうとしている。国連軍の主力艦隊は、既に火星植民地革命政府の首都を包囲しており、連合国側に有利な条件の講和が締結されるのは、時間の問題だ。
しかし、軍人というのは頑固なものだ。
強硬派が牛耳る火星軍流星艦隊はアステロイドベルトに身を潜め、日蝕の闇に紛れた大規模な反攻作戦を企図しているらしい。
その邪魔をして、講和成立まで時間稼ぎをするのが、俺達の任務だ。
ここは、火星を挟んで地球側にいる国連軍主力艦隊と連携出来る距離ではない。
俺達は、捨て駒だ。
流星艦隊は空母二隻を含めて九隻編成、艦載機は合計で二百は超える。それを足止めするための俺達の旅団は駆逐艦と小型空母一隻ずつと艦載機が二十三。
〈背部光通信での同期、終わりました〉
「なあ、エイミー6。俺は、ここで死ぬと思うか」
〈いいえ。少佐は必ず生きて帰ります。フィアンセが地球で待っているんですから〉
「ああ、そうだな。必ず生きて帰らないとな」
あと数分で、こちらから奇襲をかける。出来る限り混乱させ、足留めし、時間を稼ぐ。それでこの戦争は終わる。
待っていてくれよ、咲。
絶対に生きて帰る。
◆◇◆◇◆
惑星間講和から半年間、俺は治安維持と残党狩りのために火星に駐屯させられ、兵役を終えて帰った頃には、東京を除く多くの地域が戦後の復興へ向けて力強く動き出していた。
厚木基地で予備役を拝命し、横浜に帰る途中、噂に聞いていた関東砂漠の様子が見えた。地平の果てまで続く砂漠地帯は、そこが日本だということを忘れさせる恐ろしい景色だった。そして、関東砂漠の中でただひとつ、屹立する防護建屋の大きさも。
約二年前、火星軍の攻撃により暴走したエリクシウム発電所がブレイクを起こし、関東中心部が壊滅、今も汚染が酷い東京都心部は巨大な防護建屋で覆われ、特殊な装備を持つ関係者以外は立ち入ることが出来なくなっている。
エリクシア被爆者一千五百万を超える、史上最悪の虐殺だった。
横浜市内の国道沿いで軍用バスから降りた俺は、咲の実家に向かう。不意の空襲に備えて、独り暮らしを止めたのだと、メールに書いてあった。僕はメールに書かれた住所を頼りに、真っ白な塀が美しい彼女の家を見つけ出す。
深呼吸をして、インターホンを押す。最後にメールが届いてから三週間は経っている。今回の復員については、彼女を驚かせようと連絡していない。
扉が開く。
「これは、笠松少佐! いえ、中佐」
俺の階級は、功績により一階級特進している。
「おう、久しぶり。足の具合はどうだ」
彼は咲の弟で、昴という。俺と一緒に徴兵され、宇宙空母の補給科に配属された。しかし、入隊数か月で戦闘中に両脚を失い、復員していた。
「はい。もうすっかり自分の足になってます。多分、怪我する前より早く走れますよ」
「おいおい、無理はするなよ。ところで、咲は?」
昴は目を見開いて、不思議そうに眉を顰める。
「それは、墓のことですか?」
「墓?」
「はい。姉は、僕が復員してすぐ、あの事件に巻き込まれて」
そんなはずはない。月に一度か二度、メールでやり取りを続けていたのだから。
「おい、悪い冗談は止めてくれよ」
昴はみるみる青ざめていく。
「中佐の方こそ、冗談は止めてください」
「いや、つい三週間前まで、メールのやり取りをしてたんだぞ」
「そんな……馬鹿な」
昴がいうには、咲はエリクシウムブレイクに巻き込まれ、その遺体はまだ防護建屋の中にあるはずだという。
咲は、死んでいた?
「そうか、……そうなのか。失礼した」
僕は、坂を下り、みなとみらい地区に向かう。行く当てがあるわけではなかったが、無性に海を見たくなったからだ。
火星軍の空爆は、主に政府施設と軍事施設に集中していた。だから、横浜の歴史文化遺産になったランドマークタワーはそのままの姿を残している。僕は大きい建物に吸い寄せられるように歩き、ふらりと入り口に足を踏み入れ、軍人割引で安く昇る。
展望室からは、広大な関東砂漠と、防護建屋がよく見える。浜川崎辺りの工業地帯や、突堤に並ぶキリン--荷揚げクレーン--は何も変わっていない。海風の影響で、エリクシウム被爆を逃れたらしい。
しかし、見慣れた風景がそのまま残っていることによって、よりその向こうの砂漠と建屋の異常さが際立つ。
咲は、あの中なのか。
エリクシウムブレイクによって、無数の人間がエリクシア結晶化症で即死したと聞いている。
紫色の宝石になった咲の姿を想像すると、どうしようもなく涙がこぼれて、その場に倒れそうになる。
そんな馬鹿な。
つい三週間前までメールのやり取りをしていたのに。
そんなはずがない。
僕が涙を拭くと、見慣れない男が僕の方を見ていた。
「軍人さん、あの中に大切な人でもいるのかい?」
「マスコミなら、用はない」
男は業務用とおぼしき大きな一眼レフカメラを構えている。
「大丈夫だって。あんたが秘密保持義務違反をするんじゃない。俺が教えてやるんだよ」
馴れ馴れしくそういった男は、少し離れた場所で風景を眺めている一人の女を指さす。
そして、ファインダーを覗く。
「やっぱりね。ほら、見てご覧よ」
そう言いながら、カメラを僕に持たせる。
「覗き趣味はない」
「そんなんじゃないって。百聞は一見にしかず、だよ。軍人さん」
本当に馴れ馴れしい奴だ。
これ以上しつこくされるのも腹立たしくて、仕方なく言うとおりにファインダーを覗く。
「あれは!?」
俺はカメラを一度下ろして女を見る。
確かに一人だ。
しかし、ファインダー越しには軍服姿の男が女性の傍にいる。
「ありゃ、軍上層部にコネがあるんじゃないかな。こんな目立つ場所で」
「どういうことだ!?」
「慢性霊体剥離。俺が教えるのはそこまでにしとくよ」
男は僕の手から強引にカメラを取り戻すと、早足で去っていく。
「待て!」
追いかけようとするが、エレベーターから降りたばかりの人混みが出来て、先に進めない。僅かな隙間を探して人混みを掻き分けたが、男の姿はもうなかった。
◆◇◆◇◆
一ヶ月後、軍役復帰の試験を終えて原隊復帰がかなった俺は、再び宛がわれた愛機に乗る。
「エイミー6、久しぶり」
「お久しぶりです、笠松中佐。でも、どうして復帰してしまったんですか」
「それに答える前に、これがどういうことなのか、説明してくれないか」
そう言うと、僕は補給科の先任軍曹から譲って貰った軍用端末を取り出す。
その画面の向こうには、確かに彼女がいた。俺のシートの横に立ち、背もたれに右手をかけている。
「それは、中佐の権限では持ち出せないデバイスです。至急あるべき場所に返却してください」
「どうして、エイミー6、君が咲だと黙っていたんだ」
「中佐には、人殺しなんて似合いません。民間人に戻って、平穏な生活を送って欲しかったから。早く復員して、命の危険のないところに帰って欲しかったから」
「平穏な生活? 咲もいないのに?」
彼女は、端末の画面の中で俯いている。
「僕は、君や君の大切な物を守るために頑張ったんだ。死亡率の高いバトルポッドを希望したのも、この手で一刻でも早く戦争を終わらせるためだった」
「でも、戦争は終わりました。中佐は、平和な世界で、大切な人に会って、家庭を築いて、その優しさを穢さずに住む生活を送って欲しいんです」
「だから、咲もいないのに? 僕は君のために火星住民から死神と呼ばれ、無数の火星兵を殺してきたんだ。咲もいないのに、平和なんか要らないんだよ。君の傍にいられるなら、死神でも悪魔でも、何にだってなれる」
俺は手を伸ばす。
端末の画面には、彼女の身体を通り抜けた俺の手が映る。なんの感触もない。
それでも、確かに彼女はいるんだ。
「死神は、嫌いかい?」
「いいえ。笠松亮太中佐なら、死神でも悪魔でも、私は愛します」
〈訓練。訓練。状況開始〉
〈チームアルファ、スクランブル〉
「了解」
僕はヘルメットをかぶり、手袋をはめなおす。
「頼むぞ、エイミー6」
「はい」
俺達を乗せた14式はカタパルトに乗り、勢いよく飛行甲板から飛び立つ。
なんの具合か、天の川がいつもより美しく輝いている。
◆◇◆◇◆
2156年 国際戦争裁判所にて、東京のエリクシウムブレイクが国連軍による戦術運用補助AI増産のための陰謀だったことが認められ、火星植民地人達の名誉回復がなされる。
2168年 霊体周波数の任意的調整に関する論文が学会で認められる。
2171年 最高裁にて、慢性霊体剥離患者の婚姻を認めないのは違憲とする判決。笠松亮太と鈴木咲の婚姻届が受理される。
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