妖魔洞窟の謎 : 妖魔神伝--紅眼の巫女--3
ごとう有一
序 昔々…
おれ、今、『いよいよ、妖魔洞窟探検だ』と、はしゃいで、新幹線に乗っている。
そして、大宮を過ぎて、少し経ったら、お弁当を食べようと思っている。
でも、おれの、今の話をし始める前に、まず、知っておいていただきたい、大切なお話があります。
いにしえの、お話です。
(蛇足とはわかっていても:この『いにしえ』、最近、あまり使っていない言葉なのに、わざわざ、ここで使ってみたんです。と言うのも、この『いにしえ』って言葉、『昔』と同じ意味だと思っていたんですけれどね、実は、『昔』とはやや違って…、そう、古い時代にポツンとある、単なる昔とは違って、その、昔が、現在に繋がるというニュアンスを持っているそうなんですよね。だから、ここ、今に繋がる、昔のお話、と言うような気持ちだったんですよ。…くどくて、ごめんなさい)
----
若葉が萌え出でる木々の下、サチは荒れた山道を、涙をこらえながら、ただ黙々と登っていた。
まだ、下草の生えそろわない斜面には片栗が咲き乱れ、その中に、この季節だから通れるような、かろうじて残る細い道。
サチは、寂しさと怒りで、このまま死ぬまで、この山道を、先へ、先へと歩き続けてみようかと思っていた。
時は文化2年(1805年)、サチは10歳になろうとしていた。
場所は信濃国、軽井沢宿の近く。
軽井沢宿は、木曽街道とも呼ばれる中山道69次の19番目の宿で、隣の
中でも、街道の最難所、
サチは、その軽井沢宿より2、3里ほど離れた山の中で暮らしていた。
昔、サチの乳母だった『フク』と、フクの父親の
住む家は、炊事をする
サチ自身、よくわからなかったが、小諸藩の中枢に関係する血筋だったらしい。
しかし、複雑な家の事情で、物心ついたときには、この山奥の小さな村はずれで、3人で暮らしていた。
村はずれとはいっても、本当にはずれていて、隣の家すら見えず、集落までは、しばらく歩かなければ辿り着かないようなところである。
茂三が、小さな田や畑を耕しての生活ではあったが、時折、どこからか、いくばくかの金が送られてきていたようではあった。
日々、フクが、読み書きをはじめとして、様々なことを教えてくれていた。
筆や墨、紙などには、不自由しなかった。
フクが教授する中には、薙刀や手裏剣もあった。
特に、フクは、手裏剣の名手で、サチもこれが好きだったため、手裏剣の練習には、2人とも、かなり熱を入れていた。
しかし、隔離されたような、山の中の一軒家、サチには、一緒に遊ぶような友達すら、周りにはいなかった。
それでも、サチは野山を駆けまわり、日々を楽しくすごしていた。
五日前のことだ。
家の裏、山との間の窪地を流れる小川近くで、サチが、夕餉の菜とすべく、まだ、出始めで少ない『こごみ』を摘んでいたとき、フクが斜面の道を駆け下りてきた。
「このまま、すぐに、お逃げ下さい」
と、フクは、慌てたような口調で言い、さほど大きくはないが、やや重みのある袋をサチに渡した。
そして、さらに、フクは、懐中から、袋に入った小刀を出すと、
「これは、お母上様の形見ですので、お大事に」
と、左手に持ち替えて、そのまま、サチの懐の奥に差し込んだ。
フクは、サチの着物の襟を直し、じっとサチを見つめたかと思うと、一度、強く抱きしめた。
柔らかく離れると、そのまま、サチを後ろ向きにして、軽く背中を押した。
サチは、3歩進んでから振り向いて、しっかりとフクを見て、小さく頷いた。
サチは、別れがこの場所ならばと、前もって指示されていたように、小川を渡り、脇にある藪に身を隠しながら、裏山に入って行った。
この様なことになる可能性については、数ヶ月前から、何度も何度も話を聞いていた。
もともと、この様な事態を予期していたらしい茂三は、サチを3年前に死んだことにして、墓まで、家の近くに作ってあった。
そこには、数年前に、
初め、茂三は、死んだまま放り残されたその子が不憫で、その子の亡骸を家の近くまで運び、墓を作ってあげたのだったが、こと、ここに迫ってはと、昨年の暮れに、サチの墓として偽装しておいたのだった。
危険が迫ったときの逃げ方についても、サチは、フクから、何通りかの道を、事細かく指示されていた。
フクたちが『サチは死んだ』と言っても、おそらく、相手は信じずに、数日は、侍や雇われ者たちが、付近を探し回るであろう。
だから、できるだけ遠くに一気に行ってしまうか、あるいは、とにかく、見つからないように、じっとしていなくてはならない、といわれていた。
ただ、今回の状態では、一気に遠くに行くには、子どもの足、すぐに追いつかれてしまう可能性があった。
サチは、家からやや離れた、谷川近くの藪、そのやや急な斜面にある土の裂け目に、身を隠した。
ここは、時々、一人遊びの隠れ家として使うところだ。
裂け目の長さは10メートルほど、1メートルくらいの深さにV字型に土が切れ込んだ、サチだけが知る秘密の場所であった。
雨が降れば底は川となるが、上には倒木や枯れ枝、葛の蔓が覆い、子どもが潜り込んでも、外からでは、まずわからないところだ。
その時、底には、わずかに水が流れていたが、切れ込みの両側、30センチほどの高さのところを、少しくり抜いてあり、腰をかけ、足を伸ばすことができるようになっている。
もちろん、サチが、以前、遊びで、時間をかけて作っておいたものだ。
サチは、そこに落ち着くと、外の明かりがわずかに届くところにいき、フクが渡してくれた袋の中を覗いてみた。
袋には、手ぬぐいに包まれて、小袋に入ったある程度のお金が入っていた。
それと、さらしに包まれた手裏剣5本、蝋燭に火打ち石、紐などがあり、さらに、小さな木の椀と箸、袋に詰まった干飯(ほしい)や塩まで入っていた。
これにより、ある程度の飢えはしのげそうだ。
サチは、しばらく前から、フクに、言われていた。
この時は、いつか、突然に来る。
そして、この様になったら、もう、二度と会えることはないだろうと。
その時には、茂三もフクも、おそらく…。
だから、戻ってくるなと。
絶対に、後ろを向かずに、立ち止まらずに、ただ、前に歩き続けろと。
次に、尋ねるべきところも教わっている。
夜になり、寒さをこらえ、暗闇の中、じっとうずくまっていると、涙が止めどもなく溢れてきた。
寂しかった。
家に戻りたかった。
フクや茂三に会いたかった。
フクたちがどうなっているのか心配だった。
その日、次の日と、近くを探る人の気配が何度かあったが、3日目になると、その様な気配はなくなった。
それでも、次の4日目も、フクに教わったとおり、じっと我慢をしてすごした。
外に出るのは、暗くなってから。
それも、体を伸ばし、谷川で用足しをするためだけだった
5日目、サチは、いよいよ、意を決し、空が白みかける頃、そこを抜け出した。
まだ強い寒さを感じる空気の中、用心深く、山の奥を目指して歩き始めた。
曇り空の元、歩き続けて、昼過ぎ。
登り下りと、かなり歩いたように感じたその時、少し先の茂みで、ガサガサと、音がした。
サチは立ち止まり、身をかがめ、緊張を高めた。
誰かいるのかもしれない。
チラリと黒いものが見えた。
『あれは…、熊かもしれない…』
この時期、まだ、熊が出るには早いような気もしたが、とにかく、この場所からは、避難しておこうと思った。
サチは、少し前に、やや広くなった場所の脇を通ったことを思いだした。
広ければ、どうだ、ということでもないのだが、惹かれるように、後ろを向いて、そちらに向かって、音を立てないように駆け降りた。
その、広いところは、ややジメジメし、端に、小さな川の流れる場所であった。
奥の藪を目指し、石場伝いに進んだ。
藪近くまで辿り着いたとき、ガサガサガサと後ろで音がした。
すぐに振り向くと、道のところに黒い塊が現れた。
やはり、熊だった。
十数メートル離れた位置で、サチは、熊と向き合った。
熊の動きも止まった。
じっと熊の目を見返すサチ。
この時、サチは、全身にザワッとしたものが走り、髪が後ろに惹かれるような緊張感に包まれた。
だが、不思議と恐くなかった。
逆に、妙な、高揚感があった。
ゆっくりと袋を左手に持ち替えて、下におろしながら、同時に懐に右手をやり、懐中から、これもゆっくりと小刀を取り出した。
熊から視線をはずさず、小袋をとって懐にしまい、鞘から、刀を抜いた。
今の自分なら、この大きな熊とですら、これで、充分に戦えるような気がした。
傍に、人がいたら、驚いたであろう。
その時のサチの目は、普段の明るい茶色ではなく、深紅色となり、不思議と、その瞳に、金色の輝きが重なっていた。
やがて、熊の方が、目をはずすやいなや、道向こうの藪の中に飛び込み、ガサガサガサと音を立てて斜面を下っていった。
しかし、この時、サチは、ホッとするよりも、不思議な感覚に見舞われていた。
後ろのほう、このジメジメして緩やかになった地形の奥にある藪、その向こうに、何か、強く惹かれるものがあったのだ。
小刀を懐にしまい、袋を持ち、そのままの緊張を保ちながら、惹かれるままに、奥に向かって進んだ。
藪を掻き分けて抜けると、正面は岩の崖。
そこには高さ2メートルほどの岩の裂け目、洞窟の入り口があった。
先ほどの小さな川は、その洞窟の中から流れ出てきていた。
サチが、一歩だけ、洞窟の中に入ってみたところ、急に日が差し込んできて、周囲の岩壁が明るく輝いた。
まぶしさに、目を細めると、その、岩の壁が、透明度の高い、紫色に見えた。
ハッと気が付くと、入り口で反射した光が奥の方にまで届き、洞窟の中、周囲の岩壁全体が、紫色にキラキラと輝いていた。
美しさに引き込まれるように、サチは奥に向かって進む。
奥は、さすがに、薄暗くはあるが、周囲の岩肌は、透明感のある紫色だ。
立ち止まり、周囲を見回す。
美しさに、呆然とする。
すると、突然、サチをとりまく周囲の岩、その紫色の濃淡が揺らいだように感じた。
その揺らぎが動き出し、自分の周りをゆっくりと、回り出した。
美しさと不思議さで、サチは、なかば呆然としていた。
やがて、サチを巻くような光りの流れは、徐々に早くなり、大きな渦の中に吸い込まれるような感じがした。
サチは、危険を感じ、駆け戻って洞窟から飛び出そうとしたが、もう、この時には、どういうわけか、サチは一歩も動くことができなかった。
渦の光りは、徐々に明るくなり、サチは、息苦しさに、跪き、やがて、引き込まれるような気持ちのまま、ゆっくりと倒れ込んだ。
その時、サチの周りが真っ白に輝いた。
フッと、その光が消えると、洞窟の壁は、普通の岩肌。
そこには、もう、サチの姿はなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます