第7話そもそもの原因



一週間前


「おふくろの馬鹿野郎おおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!」

 髪を振り乱し制服のままで大泣きしながら俺は雲行きの怪しい中、住宅街を駆け抜けた。

 高校に無事入学して早三ヶ月、学校にも慣れ、夏休みに入り一週間後が三者面談という時に俺は家出した。理由はごく単純なことだった。しかし同時に、砂糖惇生という一人間の存在意義が問われる究極命題でもあった。

 進学や就職に関する三者面談の前ともなれば、どこの家庭でも話し合うことだろう。

 我が家も例外ではなく、おふくろは夕食の準備をしながら言った。

「惇生、あなた就職したいって言っていたじゃない。何処の企業が第一志望?」

 俺は自信と誇りを持って言った。これ以外の返答は地球が例え平らになってもあり得ない事だった。

「俺、各地の祭りで巡業する鯛焼き屋になりたい。」

「馬鹿じゃないの?!」

 侮蔑を通り過ぎて、能面のようになった母の顔が全てを物語っていた。

 それからは、流星が流れていくように、あっという間だった。

 俺は母と大喧嘩して家を出て当てもなく走っていた。

 馬鹿なやつだと笑うだろう。

 くだらないと思うだろう。

 その上……

 俺が住んでいる枯子地区には、台風が接近していたのだ。

 何処をどう走ったのか、無我夢中で人のいる場所から遠ざかった俺は、気付くと、不気味な風が木の葉を散らし、分厚い雨雲が空を覆い始め、顔に一滴降ってきた時、何かに誘われるように舗装された山道から、木々が生い茂るうっそうとした山に足を踏み入れていた。

 雨は次第に体を強く打ってきた。

 ぬかるみに何度も足を取られ、硬い枝が顔や体に当たる度傷が増えるが、民家の明かりも見えず、かと言って、視界の悪さで元来た道を引き返す事も出来ない。

 俺は、ひたすら雨の中進んだ。

 一人でいるうちに、徐々に胸の中にある不安が芽生えた。

 それは、大人達が口を揃えて子供に言い聞かせているある伝承が原因だった。

 

 ―霞が山の枯子池には、子供だけでは絶行ったらいけないよ。あと、一人で山に入るのもダメ。連れていかれてしまうから。


 枯子地区の子供たちは絶対にこの話を聞いて育つ。

 大人達は子供が山や池に遊びにいかないように言い聞かせる。

 何故なら、枯子池には子供を攫う神様がいるから。

 実際に骸となって池に浮いていたり、山に放置された子供も過去に大勢いる。祖母や祖父、両親そして子供たちと、世代による違いはなく、これが事実であることは暮らしている本人たちが一番よく知っている。

 何年か前、亡くなった同級生もいるのだ。近所の家の子だ。

 ひょっとして、俺は、人ならざる者に導かれているのではないか。

 心の中に浮かんだ不安を払拭しようとした。

 しかし、出来なかった。

 何でこんな山奥にいるんだ?

 怒りと悲しみでいっぱいだったのは否定できないが、よりにもよって、祟り神がいる山の中だなんて……

 しかし、もう戻ることは出来なかった。雨で、今まで来た道が川になっているのだ。比喩ではなく本当に。

 何時の間にか、背後の低い地面は見えなくなっており、そこには怪物染みた自然現象が大口を開けていた。

何本か根元から抜けた木々が逆さまに押し流されていく。間違いなく水に身体の自由を奪われた場合の俺の末路だった。脳が思考するよりも早く体は動いていた。本能というやつだろう。

唸るような轟音で地面を抉る泥水は迫る奔流から逃げる為、岩のくぼみに体重を掛けながら、俺は頭上の太い枝を握り締めた。雨で手が滑り、枝は棘だらけだったが、何とか体を引き上げることには成功した。

 ずぶ濡れになりながら急な斜面を登った俺の目の前に、平らな地面が広がっていた。

 

「あ」

 俺はいよいよ背筋が冷たくなった。豪雨のせいではない。

 そこには、池と呼ぶにはあまりに大きい水溜りがあった。更に、上からは、濁流が水を打って落ちている。

 湖と呼んだ方が納得がいく『池』と池を作る落差の大きい滝。

 そして、池に浮かぶ小島。

 人が街を作って暮らせそうな広さのある小島には林もあれば建物もある。

 ―建物もある???

 俺は、祖父から聞いた話を思い出した。

 枯子池には小島があるが、そこには、鳥居と祠があるっきりだ。しかし、攫い雛が島から出でくるときは、島に街が出来るらしい。

 攫い雛とは、実際に子供を連れていく女の子のことだ。攫い雛が枯子池にいる神の使いなのか、それとも攫い雛自身が神なのかはよく解っていないが、枯子池から生きて帰ってきたごく少数の子供や、他の子供が攫われる直前まで傍にいた子供が必ず口にする存在だ。

 黒くて長い髪に、黒い袴に、行燈や提灯を持った女の子

 話が本当なら…

 この状況は危険なのではないか。

 そこまで思考を巡らせ、俺は家を出てしまったことを今更のように後悔した。

 そして、雨を無理やり拭って目をかっ開いた。

 そうすれば、池に浮かぶ街は見えなくなると思ったからだ。

 だが、願は通じなかった。依然として街は在った。

 その上……

 雨が今までの威力をはるかに超えて、最早弾丸のようなものに変わったのだ。鼓膜が周囲の雨音で破れそうになり、痛いばかりの天の恵みはあちらこちらで、山の地形を崩していく。土砂崩れのような、地を這うような寒気のする轟音が、遠くから聞こえた。

 ばしゃり、ばしゃり、

 池の方からも、雨が水面を無遠慮に叩く音が聞こえる。唐突に、ある予感がした俺は無意味だと解っていても、顔を思いっきり腕でこすり、水を拭おうとした。

 ばしゃり

 また聞こえた。

 どう考えても、雨音ではないそれは、池の方から、雨音に紛れるように、けれど確かに、聞こえた。

 俺は池の方を凝視した。


「あ」

 おぼろげに、小舟のようなものが見えた。

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