他称探偵エレジー
七苦八月
第一話 自称探偵ラプソディ
「おちょくってんのかお前」
いつだかの放課後、彼女の"冗談"に対してぼくが返した言葉は、それだった。
ぼくの幼馴染、
ハーフである彼女はその長い銀髪を、地面という漸近線を基準に首と一緒に
ゆらゆら揺らして、ぼくの言葉に反応していたと思う。そんなどうでもいい
幼馴染とのやりとりの一節を、なんとなく思い出していた。
蟹玉県かにたま市、私立蟹玉学園中等部。
今日も昼ごはんである焼きそばパンを購買で買ってきて、紙パックの
オレジンジジュースを咥えながら、屋上の扉のドアノブに手をかける。
ドアノブを捻って扉を開けると、変わらない青空と、既に持参の弁当を
食べ終わって屋上で寝そべって空を見上げる彼女が居る。
それが、ぼくの日常の、昼飯時の変わらないルーチンだった。
焼きそばパンの包装を開けながら、寝そべっている彼女に近づく。
パンの端を齧りながらいつものように軽口を叩こうとすると、そこにだけ、
いつものルーチンと異なる、異物がある事に気づいた。
彼女学生服──身体的特徴のせいでぱっつんと張ってしまった胸部、丸みが
あって豊かだ。おまけに陶器のように滑らかだった筈のそこに、
白銀の細長い板が立っており、その根本には赤い花が咲いていて。一瞬
「新しいブローチでもつけたのかな?随分前衛的だな?」みたいな事を
思った。
いつもと同じように彼女が口を開いたが、またこれもいつもと違う、
がはっ、という音と口から溢れる赤い花と同じものにより遮られてしまった。
目には赤くない液体が溜まっていて、その端からすぅと液体が溢れる。
もう一度彼女が口を開こうとするが、言葉は発せられない。
グラウンドの生徒の僅かな騒音と、鳥の鳴き声が聞こえていて、
一定のリズムでとくんとくんと上下する彼女の深奥と、その上にまるで
十字架のように突き立つナイフだけが動く風景で。時たまごぼっ、という
フェイクが紛れて、溢れてる時間が続いた。
その動きも振幅を次第に弱くしていって。とく、ん、とっ…ク、・ ・ ・
ごぼっ。
いつもと変わらない屋上の風景の中で、暮間伊香菜が、死んでいた。
■
それからどれくらいの時間が経ったかはあまり覚えていない。
気がつけば、周りに何人もの人間が居て、クラスメートも、大人も屋上に出たり
入ったりしていた。そのうち紺色の服を来た大人達がやってきたあたりで、
ぼくは屋上を降りた。
どうも今日は休校になるらしいから、教室に戻って鞄を取ってきて、
下駄箱に向かった。そのまま靴を履き替え、下足場を出るか、出ないかの所で
顔に蜘蛛の巣がひっかかった。手の甲でそれを振り払うが、糸はなかなか長く、
取り切れないようだ。振り払い切るのに十数秒を要したところで、
後ろから声がかかった。
今にして思えばこの十数秒、この糸にさえ引っ掛からなかったら、ぼくは
玄関から出て、家に帰っていて、その人生は全く別物になっていたのだろう。
「待ってください!この校舎からは、誰も出ないように!
……『探 偵 権 限 』を 行 使 し ま す ッ!!」
振り向くとジャージ姿の少年が頭を、いや手をパーにしてぼくに向けていた。
一番なんたらと名乗っていた気がするが、聞き流した。
次の授業は体育なのだろうかと、そんなことを思った。
「あなた今、校舎から"出ようと"しましたね?いけませんいけませんよォ~
犯人は現場から逃げる。で、あればこの 探 偵 が網を張らせて
いただきました。この国の警察は役にたちませんからねっ。
探偵がしっかりしないと。あたりまえの事です。」
人を指差すな。ただ、目の前のアホから1つ気になる単語が発せられた。
”犯人”。そうだ、彼女は胸部にナイフを突き立てられて死んでいた。
「あ…!」
当然、そのナイフを突き立てた者がいる筈なのだ。”いつものと違った”、
ただそれだけで、ぼくはそんな簡単な事を見落としていた。
「このジブンの生息区域で殺人を行うとは、この犯人は不運ですねぇ。
なんせその悪事の全てを白日のもとにさらされてしまう運命のレールに、
敷かれてしまったんですから!」
妖怪ジャージこぞうの横に控えていた使用人?私服警察?何なのかわからないが
大人達が無言でにじり寄ってきて、校舎から出ぬよう促してきた。
面倒だったが、それも仕方ないだろう。なにせ”殺人”なのだから。
指の端にはまだ糸が纏わりついていた。
休校という事で返そうとした教師もその事に思い当たらなかったのだろうか。
ぼくが屋上を脱出するころには警察も入ってきていた筈だが、やはりこの国の
警察はもうまともに働かないのだろうか。前を歩いていく少年、ジャージ姿の
自称『探偵』の後頭部を見て思った。
『探偵』。探り偵う者──だった筈だが、この時代の言葉は意味を大きく違えた。
まずは元号。明治、大正、昭和平成…と続いていた由緒正しき称号が、
つい少し前『探偵』へと様変わりしてしまった。ぼくのような常識人には
それだけで意味がわからないのだが、極めつけは歴史上最大とも言える悪法、
『探偵法』の成立だ。
どうでもいいので経緯はあまり知らない。時の総理大臣が大犯罪者を
取り締まる為に制定したという、犯罪者を無尽に生み出す悪法だ。
『探偵』を名乗る人物は、事件現場においてあらゆる狼藉が許される。
資格も許可も必要ない、ただ、『自称探偵』を名乗るだけでいい──
以来自称探偵どもはハツカネズミのように数を増やし、自己顕示欲と
承認欲求とその他もろもろを満たすために派手に暴れまわってるって聞くぜ。
今じゃ世の中荒れ放題っって具合なのだが、その正確な人数は不明。
ぼくでさえこの事件が起きるまでにも何人か会った事はあるくらいだ。
◆
気づけばぼくは屋上に舞い戻っていた。つい昼頃にぼくを非日常へと誘った
鉄の扉は確りと警察達が立ち尽くし、誰も出入りできぬようにして。
ただ、屋上も広いとはいえ全校生徒を集めるには手狭だったようで、
校舎内に居た重要と思われる人物だけを集めたような感じらしい。
「他の生徒・教師達は体育館に待機してもらっています。
全てこのジブンの指示でねっ!ここに居るのは彼女が生きて目撃された
時間帯からジブンが駆けつけるまでに屋上に出入り出来た人物に
限定されています!犯人はこの灰色の脳細胞から導き出された、
聞き込みによる理の網に手も足も出ない状態という事で──」
結構短い時間だと思ったが、既にそんな篩がかけられていたのか。
このアホは思ったよりも優秀かもしれない。いや本当にその篩が確かな
ものかわかったものではない。確信がないわ。この中に犯人がいるかどうか
わからへんわ。
「犯人はこの中にいますっ。
ではまず話をしてもらいましょうか。第一発見者であるらしい、貴方にね!」
だから人を指差すな。
しかし、ぼくとしても幼馴染を殺した犯人が捕まる事に異論はないわけで
あるから、澱みなく今日の昼休みの開始から死体を発見するまでの間の
出来事を事細かに、その場に皆に伝えたのである。
「なるほどォ~~???貴方が屋上に着いた時には既に彼女の胸には
ナイフが刺さっており、その後少ししてから死亡したと。」
今更ながら、その間に保健室にでも助けを呼べばなんとかなったのだろうか、
そういえば彼女は唇を死ぬ間際に動かしていた。何と言っていたのだろうか
という事に想いを馳せてみる。
「ダイイングメッセージに想いを馳せても、助かったのかどうかに
想いを馳せても、どっちにも意味はありませんよ。
だって、」
探偵というのは基本的に人の心でも読んでくるのか?偶然なのかは、
わからないが確かにそう思う。
「もう犯人、わかっちゃいましたからね~?この程度ではジブンが
出張るまでもありませんでしたか~?無能な警察でも、らくらく
解決できたんじゃないでしょうか~?」
ジャージこども探偵の傍で、後ろ手のまま立ち尽くしている警察の一人に
青筋が入った事をぼくは呑気に見ていた。
「貴方が、犯人です。」
人を指差「は?」
心の底からそんな声が出た。それは怒りでも驚きでもなく、純粋な
疑問から出た声だった。
「ジブンの圧倒的推理力徹底的分析力による完璧な聞き込みによると、
昼休みが始まってから、屋上に出入できた人物はガイシャである
暮間伊香菜と、貴方の二人しかいない事がわかっていますからねっ。
この扉、屋上側から鍵がかかるようになっていますよね?その鍵は
職員室にあるキーボックスにある1つと、マスターキーがもう1つだけ。
屋上用の1つをいつも朝暮間さんが借りに来て、お昼休みが始まると
貴方に渡す。暮間さんは朝のうちに開けておいた屋上の扉をそのまま開けて、
貴方が来るまでは屋上側から鍵をかけてしまうそうですね。
不用心ではありますが、まあ平和な学園内ですし屋上を他に使う人も
いないらしい事も聞き及んでいますので?まあなんでそんな周りくどい事を
やってるかはこの際置いておきましょう。重要なのは、その後昼食を買って
やってきて、鍵を開けたときには事件が起きていたという、その証言です。」
このアホそうな探偵を、見縊っていた。たしかに暮間伊香菜は、
コイツが言う通り昼にはぼくに鍵を預けて、一人で屋上に行ってしまい、
ぼくが来るまで鍵をかける。なんでも間聞いたところによると、
ぼくと屋上で2ショットする前に、独りでいたい時間があるとかなんとか
言っていた気がするな。
「そしてマスターキーはお昼休みがある間キーボックスから1度も持ち出されて
いない事を、我が迅速、無敵、最速の聞き込みにより、複数の教師からの
証言によって確認済みです!つまりッッ、…わッかりますねぇ~?」
暮間伊香菜がいつもの通り鍵を掛けていたとしたら彼女を殺せるのはぼくだけ、という事か。ところでいちいちこのガキの癪につく喋り方はどうにかならないの
だろうか。屋上に集められた他の人間たちも、先程からイライラを
隠せないような挙動をしている。下を向いて足裏をぐりぐり床に
こすり付けている生徒や、フェンスに頭をガシガシぶつけている教師、
無能呼ばわりされた警察の皆さんに至ってはこめかみに青筋を立てながら、
握りこぶしに力が入りまくっている。
そこではたと探偵の理論に手落ちがある事に気づく。伊香菜は朝の間に
屋上の鍵を開けてしまうのだから、彼女より一足早く屋上に行ってしまえば
良いのではないか?そして後からやってきた彼女にナイフを突き立て、
殺害する。これならばぼく以外にも犯行は可能ではないか。
「圧倒的に、徹底的に、極めてクラバーに!究めてロジカルに!!!
窮めてフレキシブルに!!!!!最強究極のこの自称探偵が、調査をした
といいましたよね?手落ちはありえません。それに
イチ・ヴァンヴォシ 二十則にもこう記されています。
"探偵はその推理をあやまることはない"とね。したがって、探偵法により
この推理は確実に有効なのですよ?」
その”あやまる”、謝るのほうではないだろうな?ぼくは訝しんだ。
「あなた自身が確認していますよねぇ~~~??"おばかさん"にも解る
ように教えてあげますと、この屋上に、誰も隠れては居なかった。
そして鍵はあなたが開けるまでかかっていたと。つまり、この屋上は
広義の、
審判を下すに相応しい!!!!」
"おばかさん"のあたりが周りの誰かの"琴線に触れた"のか、
ズガン!
という物凄い勢いでフェンスを蹴る音が聞こえた。
「え?まさかその事にも気づいてなかったんですか?そんな事もわからずに
手落ち云々と宣っていたんですかぁ…?うわぁ、もう絶句するしかないよ。
はい勝ち~~!!!!」
さすがにイラッときたが、反論が、あった。居る……いや居た筈なのだ。
ぼくが着いたときには誰も居なかった屋上に、彼女が鍵をかけるまでに
侵入しており、《《ぼくが扉を開けた瞬間に彼女の胸にナイフを突き立て、
屋上から姿を消した筈の、犯人が。》》
「はぁ~~~~~~~~~~~~~????屋上から?まさか飛び降りて??
さすがのジブンでもそこまで無茶をして生き残っている自信は
ありませんが??それなら犯人は、ジブン以上の幸運か、鋼鉄の
身体ででもできた事象探偵がひとりオリハル探偵『ココン・アダマンタイト』
とでも言うんですかァ~?うわきつ~~~~~~~」
事象探偵というのは何なのかわからないが、犯人は鋼鉄の身体をしている
わけでもなく、増してやオリハルコンの身体をしているわけでもないと思う。
そうなのだ、始めから答えはぼくの手にあったのだ。
あの玄関で手に引っかかっていた、蜘蛛の巣だと思っていたモノはまだぼくの
手の端にあり、そしてそれは厳密には蜘蛛の巣ではなかった。
ここに連れられてくる途中、まだ絡んだままだったので確認してみると、
これはどうも"釣り糸"だったらしい。当然ながらこの蟹玉学園に釣り堀などない。
蟹玉県そのものは川の国と呼ばれ淡水釣りの文化はかなりある筈なのだが、
進学校であるこの蟹玉学園にはアウトドア趣味の士はあまりいないらしく、
釣りの同好会すらない。そんな似つかわしくない場所に何故か落ちている
釣り糸がある。これさえ見つけていれば、ぼくでなくとも誰でもその犯人に
気づくだろう。
屋上の端で足をぐりぐりさせている下級生も、体育座りしつつも
膝をパンパン叩いてたり頭を膝に埋めたりしている女生徒も、フェンスを
ドンゴン蹴り続ける教師も、そして目の前の探偵を事象するこのアホでさえ。
誰にだって解けるだろう。──そう、これは謎ですら、ない。
謎でなければ、探偵も一般人も変わりはないのだ。
だからぼくは言う。あくまで、強気に。
「あなたを詐欺罪と器物損壊罪で訴えます…理由はもちろんお分かりですね…?
あなたが皆を無駄な捜査で拘束し、人間の尊厳を破壊したからですッ!」
「は…?」
いや、まあ訴えるというのは嘘なのだけど。ひとまずこのアホの口を止めたくて
突拍子もない事を言ったにすぎない。あれ、そういえば訴えるつもりもないのに
訴えると言ったら脅迫罪になるんだっけか?それはおいておいて、このアホを
一瞬黙らせる事には成功したようだ。反撃の句を告がれる前に、1.25倍速で
本題を話にかかろう。
「犯人は、ぼくじゃなくて、こいつだよ名探偵。この、」
「それは……糸? 釣り、糸…… はっ!!こ、これをどこで!?」
糸。これを手に入れたのは、この校舎の玄関──真上には当然屋上の縁があり、
ちょうどまっすぐ校内とを繋ぐ扉にあたる位置になる。
詳しくはわからないが、この糸とナイフをなんやかんやして、ぼくが
扉を開けた瞬間にナイフが屋上の誰かを襲う簡単な仕掛けくらいは
作れるのではないだろうか。あの位置にこの糸がたまたま落ちていた、
というわけではなく、玄関から出ようとしたぼくの顔に引っかかった。
つまり、上から垂れ下がっていたのだ。それも、どこに結ばれたり
されているわけでもなく。そう考えると、これが直前に何らかのトリックに
使われたという仮定もそう馬鹿にしたモノではあるまい。
「ッぐ……それを使って、あれをああしてナイフにウネウネして糸をピンと
張った状態にしてそことあそこらを通せれば、殺傷力のある程度の仕掛け、
はできる、でしょうねッ……!!」
歯ぎしりをしながら喋るという器用な事をするアホ探偵もそれは認めざるを
得ないようだ。この光景にイラついていた周りの者もその光景に少し溜飲を
下げたのか、何人かは気晴らしの行動を止めてこちらに注目し出している。
しかし、一瞬そちらに注意を払い隙を見せたのが悪かったのか、
「だがしかァーーーし!!その仮定には1つ!無理がありますねえ!!
仮にそのような仕掛けがあったとしましょう!そうだとすると、それは
計画的な犯行という事ですよねぇ~?ですが?この方法、確実性に
欠けると思いませんかァ???だってこれ、ナイフが致死性を持って
被害者に当たるには、いくらかピンポイントすぎる、というコトですよ。
仮に被害者が毎日同じような位置に座って昼食を食べる事がわかって
いたとしても、少しずれるだけで外れる事もあるでしょうし、当たったと
しても致命傷になるのって、相当低確率じゃあないですか~???
そもそもそれを玄関で見つけたっていうのもあなたが言い出しただけ
ですよね~??予め疑われてたときの為に用意してただけなんじゃあ
ないですか???つまりはやはり我が推理こそ正しく、犯人はあなたです!
QED証明終了~反論がないならジブンの勝ちですがぁ~~~!?!?!?
何で負けたか、明日まで考えといてください!!!!!」
アホそうな割に結構矛盾点を突くのはお達者なようだ。というか、その欠点に
ついては今までぼくも思いついて無かった。
ただ、それは今のぼくの答えには問題がないものだった。何故なら、
1つだけその確実性を100%にできる人物がいるのだから。
この釣り糸を見つけた時点で、ぼくの頭にはそういう図式だけが思い
描かれていた。いや、ひょっとしたらあの屋上の扉を開けた後の光景を見た
瞬間に、ぼくはなんとなくそうだと思っていたかもしれないと、今にして思う。
■
いつだかの放課後の事だった。たまたま日直の仕事で少しだけ他の生徒より
帰るのが遅くなり、仕事が終わった後鞄を回収しようと教室の扉を開けると、
中には夕日射す陽色の教場で同じくクラス委員の仕事で遅くなったであろう
彼女が──暮間伊香菜がこちらを振り向いた。その勢いで翻る長い銀髪が、
斜陽に当てられて存在感を増す。その中でこちらに微笑む彼女は、
いつも見慣れているぼくですら、その風貌を可愛いと思わせた。
余談だが、暮間伊香菜はモテる。まあ、成績優秀スポーツ万能器量も良い、
クラス委員長も務めるカリスマときているのだから、わからなくも
ないことではある(背が高いため同性にもモテる。ぼくより高い)。
ぼくからすれば物心ついたころには既に毎日顔をあわせている、妹のような
感覚しかなく、あまり共感できないでいた。
しかしながら、それは両者に適用されるものではなかったようで、彼女の
ザイオンス効果の影響を当然のように受け、当たり前の女子中学生として得た
男女の感情を、この二人きりのチャンスに「四文字」の言葉で特有の手段で
伝えてきた。瞬間、動かしてはいけない筈の彼女の唇の端は上がり、その端正な顔と精一杯の好意はぼくに伝わったと思う。
ぼく自身別に彼女のことが嫌いではなかったから、その好意に応えるつもりは
十分にあった。ただ、その自覚していた十分は、自覚していなかった十二分を
隠すには至らなかったという思い違いさえなければ、悲劇は起こらなかった。
たしか、ぼくの瞳は彼女を見ておらず、体幹は教室の扉のほうを向き、
Yesの答えを出すのが普段の彼女とのやりとりと比べ2秒以上遅れてしまった。
彼女が一般人でさえあれば同じくそのままぼくが予定していた答えを返して、
少年少女の甘い思い出の1つが出来上がった事だろう。不幸なことに、
彼女の能力は人並みではなかったのだ。一瞬だけ悲しそうに眼下に視線をやり、
ぼくですら気づかなかった感情を読み取った彼女が取った選択は、
"巻き戻し"だった。その「四文字」の言葉を彼女は"冗談"だと自ら否定する言葉を
続けた。自分で告白し、自分でそれを冗談だと、打ち消した。
ぼくもそれを冗談だとするために。
「おちょくってんのかお前」
こう軽口で返したのを、、、、、、、覚えている。
■
「これが…彼女の計画的な自殺だとしたら、この仕掛けは確実に人を
殺す事ができる筈だけど。」
「じっ、」
自分が仕掛けて、自分に当てる。それなら誰だって致命傷を与えられるだろう。
動機もまあ、ちょいと不遜かとは思うが失恋というもっともらしいものがある。
こんな手の混んだ仕掛けをしたのも、それに連なる理由だと思う。
「自殺、だなんて…ッ!?そんなことが…!?」
少なくとも、ぼく以外に犯行が可能である事は証明できたと思う。
「ぐッ、ぎ、ご、おお、おおおおおおッ!!こっこの探偵がッ!!
推理の、修正をぉぉォお……っっ!?しかも、一般人ごときの、
指摘ィなどでぇッッッ…!?!?!・」
探偵が膝をついて唸っている。これには見物人も気持ちをよくしたらしく、
しばらくぶりに屋上全員の視線がこちらに集まってきていた。いいぞ
もっとやれという、期待の眼差しが。
ただ、視線を集めれば自称探偵としての自己顕示欲が口を突き動かすのか、
少し威勢を取り戻す。ただ、ロジックだけはそう簡単に覆せないようで、
「き、今日の所はこれくらいで勘弁してあげましょう!!ですがしかし、
このジブンに土をつけるなどとはッ!あなたがかの宿敵・怪盗の
一味である事の証左に違いありません!!あるいはその推理力、
事象探偵の一味かもしれません!!いいでしょうあなたをぼくのライバルと
して認め、いずれ次の推理勝負でブッ倒してあげますよ!!
覚悟の準備をしておいてください!慰謝料の準備もしておいてください!!
刑務所へぶち込まれる楽しみにしておいてください!いいですねッ!!」
負け惜しみしか言えなかった。そんな覚悟もしたくないし、コイツとはもう
関わりたくないし……少なくともしばらく、関わるつもりもない。
ただでさえ変わってしまった日常の中で、異物だけを入れるわけにはいかない。
「いえ、ぼくはキミと次の推理勝負をする、って事は無理だよ、少なくとも。
扉を開けて、仕掛けを作動させたのは少なくともぼくでしょう。
これって、何らかの罪にならないのかな?自殺幇助?」
「え……?その程度で…?」
クソ探偵がぼくに本当に気の毒そうな顔を向けてきた。扉を開けた程度で
犯罪者になるのなら、このアホに同情されるほどの悲劇だろう。
ただ、犯罪というのは悪意とか故意であるとか、いわゆるそういう、
大体本人にしか証明できないことで大きく様相を変える。
「その程度では殺人はおろか、自殺幇助にも成り得ませんよ?あなた自身が
被害者が自殺である事の証明をしたんでしょう?何を言っているんですか。
仮に自殺の仕掛けに気づいていたという事であれば別ですが…
しかァし!!あなたの違法性はそのうち暴きます、このジブンがねっミ☆」
ウインクがうざい。ただ、きっちり言質は取れた。
「ぼくは、この扉を開けると彼女が死ぬであろうことを、知ってました。」
「あ…???」
「だから、この扉を開けたら彼女が死ぬであろうことを、扉を開ける直前に、
聞いてたんだよ。彼女から。」
一瞬自称探偵は完全に黙った。フリーズ中にアホ探偵脳をフル回転させ、
「できるワケねェえぇええええぇええだらァあああぁアぁああああぁ!!!
屋上の扉は頑丈!防音!!開けるまでに彼女の声が聞こえるなんてこたァ
有り得ねーんですよォゥぅああああぁあぁあああぁああぁあああ!!!」
喚き散らした。だが内容はごもっとも。普通の人間ならば、屋上に居ながら、
扉を隔てて何か言葉を伝えることなどできないのは明白である。もしも、
彼女が普通の人間だったなら。
「彼女にならできるんだ。だって彼女も、探偵だったから。」
「た」
『伝心探偵』暮間伊香菜。ぼくが以前から知っていた、ただ一人の探偵だ。
探偵として「意志を任意の人間に伝える能力」と「任意の人間の心を読む能力」
を有する。この能力を持っていたからこそ、彼女はぼくですら自覚
していなかった、ぼくの中の告白に対する拒絶を読み取ってしまった。
ただ、今重要なのは前者の能力。
「その能力により、ぼくには扉を開ける前に伝わっていました。
”この扉を開けたらお別れである”ことが。」
「よ、よくもそんなデタラメをぉオオオ…・!?!?!」
両手で握りこぶしを作って、親指付け根の腹を合わせて、前に突き出す。
「だからそれを知って扉を開けたぼくには殺意があった。警察の皆さん、
ぼくを牢屋に入れてくれ。」
■
彼女が探偵である事は事実である。調べてもらえば伝心探偵として、先の能力を
有する事も間違いなく証明される筈だ。もはや、ぼくがついている嘘を
証明する事は、誰にもできない。彼女の「意志を任意の人間に伝える能力」は、
ただの腹話術で、「任意の人間の心を読む能力」はごく普通の心理学に基づく
洞察力からくるものである事を、ぼくだけが知っていた。巷に知られている
彼女の能力は字面のそれだけだ。だから本当は、あの閉ざされた扉の向こう側
からぼくに何かを伝える事などはできないのだが、探偵協会?みたいのがあると
しても、そのデータベースにもおそらく字面しか登録されていないだろう。
ぼくは"日常"を愛していた。何も変わらない、日常を。目覚ましの音で目覚め、
朝起きて母が焼いたパンを食べ、牛乳を飲み、父は机で新聞を広げ、
テレビではふしだらな芸能人のニュースが流れている。
やがて一足先に朝食を終えた父に出迎えの挨拶をし、続けて食事を終え、
顔を洗い歯磨きをして母に見送られて、通学路に着く。
けど優等生というわけではないので、毎朝コンビニに寄る。コンビニでは
いつも同じ店員さん、目つきの悪い、何か喋った後に「ゴホ」と咳き込む
不健康そうなにーちゃんがレジ番をしている。
コンビニで立ち読みをしたり、おやつを買ったりしてから再度通学路へ
着くと、彼女の登場だ。今回の事件の被害者である暮間伊香菜。
いつも大きく手を降って飛び跳ねてぼくを迎えてくれる。そのまま二人して
歩き、学校に着く。
校門ではたまに生活指導の先生が持ち物や服装のチェックをしたりする事も
あるが、優等生ではないにしろ不良でもないぼくはたまに先程のコンビニで
買ったお菓子に問題があるくらいで、大体素通りできる(お菓子は優等生で
信頼されている伊香菜に渡して密輸する)。その後教室につき、つまらない
授業が4コマほど続けられる。そうするとお昼休みが登場する。
伊香菜から鍵を渡され。ぼくは購買部にパンを買いに行き。伊香菜はひとりで
お先に屋上で弁当を食べており、そこにぼくが鍵を開けて登場する。
何をするわけでもなく、そこで崩れた会話を少しだけして、昼休みは終わりだ。
そのあとまた少しつまらない授業があり、放課後である。
ぼくは帰宅部だから、そのまま帰る。伊香菜も部活には入っておらず、よく
帰りも一緒になる。
伊香菜とは帰路の途中で別れ、家に帰って母からのおかえりを受け、自室で
夕飯までだらだらする。
夕飯を食べ、また自室でだらだらして、就寝する。
この日常をぼくは愛していた。だから、この日常が壊れることをぼくは、
望んでいなかった。望んでいなかったというよりはそれは憎しみに近いほど、
忌避していたと、今となっては言っていいだろう。
だって、それは伊香菜の探偵能力から読み取れるほど、彼女からの告白を受けて
その日常が欠片でも壊れる事を恐れていたという事なのだから。
だから事実ぼくは彼女の事が、女性としてはやはり好きではなかったのだろう。
ぼくにとってこの日常より優先するものなどなかった、いや、今まさに
ないのだ。
友人として彼女が傍らにある日常以外を拒否するのと同じようにまた、
彼女だけが居なくなった日常もぼくには受け入れられないのだ。だから、
こうなってしまってはもう、日常自体をリセットしようと、思う。
新しい「いつもの日常」を手に入れたい。
「彼女の能力については探偵協会?のデータベース?みたいなのがあれば、
そこで紹介するといいんじゃないかな?ぼくの言っている事が嘘でない事が
証明できる筈だよ。」
嘘なのだが。ここで自殺関与同意殺人罪として逮捕され、明日から少年院ででも
新たないつもの日常を手に入れるのも悪くないと思っていた。
「っ、と…それは、困りますね。この最強の探偵に一度なりとも土をつけた
相手をそう簡単に勝ち逃げさせるわけにはいきません。ピッポッパッ、と。」
対するアホは、何故か冷静さを取り戻していた。コイツ、アホだがその分、
復活の速度は驚異的だ。この不死身性がコイツの探偵能力なのだろうか。
「いえ、勝ち逃げとかそういうの、いいんで。ホント、いいんで…」
これは本心だった。探偵にも十人十色あるだろうが、コイツには確実にこれ以上
関わり合いになりたくなかった。日常とかそういうレベルでなく、コイツ自身が
非日常の塊である。
「あ、枕木?可及的速やかに手配して貰いたい事があるんですが?お?
いやそうじゃなくって。本気の本気。残業代もつけますから。
え?いらない?じゃあ無料でどうぞ。はい。はい…」
張り詰めていた空気が弛緩している。警察はぼくを数人で取り囲み、
死体の処理を始め出した。事件は終わりだ。終わった事件に、探偵の
出番はないのだ。生徒や教師も解放され屋上から帰り始めている。
目の前の一番なんたらいうアホはどこかに電話をかけていたかと思うと、
━━━━━━━━━━突 然 の 柏 手 ! !
パァンという乾いた音が昼下がりの屋上に響いた。
「はい皆さん!これでこの事件は終了です!あなたには後日リベンジさせて
いただきますよ!ええ、次は完膚なきまでにギッチョンチョンにして
あげますとも!」
「いや、だから次はないんだって…」
「ありますよ?だって、 あなたは探偵じゃあないですか。探偵は、
事件現場におけるあらゆる行為が許されているのですよ。自殺幇助程度、
どうってことはないでしょう?」
たしかに悪名高き探偵法であれば、自殺幇助程度であればなんとかされるのかもしれない。だが、ぼくはただの中学二年生‥そういえば目の前のコイツも
そのくらいの歳だろうか。世の中には若くして狂ってる奴がいるもんだ。
「ええ、ですから。先程ジブンがあなたを探偵という事にしました。
事実、あなたはしっかりこの場で探偵の役割を果たしましたからね~!
実績もジュウブンです!そしてこの世界最高の探偵からの推薦!
雑に難しいなんやかんやは財閥の力でねじ伏せれば~」
待て。
「あなたは数十秒前から、晴れて自称探偵となりました!!いや、
自称はしていないんですが~‥『他称探偵』とでもしておけば
いいんじゃないですかね!?まあ、探偵行為が探偵法の中で過去において
遡及されるかどうかというと微妙ですが、たぶんそのへんはなあなあに
なりますよ。たぶん。」
ぼくを取り囲んでいた警察達が散る。一人一人と目が合う。
やめろ。複雑な表情でぼくを見るな。やめろ。『自称探偵』なんていう、
日常そのものを送れなくなる、バッドステータスをぼくに付与するのは。
この謎ですらない謎を解き、自分だけが知っている情報で結果を
コントロールした筈のぼくが、喚いていただけの自己顕示欲の塊でしか
ないこのジャージ姿のガキに、結果を覆されるなど。そんな事が。
「それでは!事件は解決ですね!!!!!
また次回!!事件ある所に一番星ありッ!!さらば!」
いつの間にか屋上にヘリがつき、そのヘリから垂らされた縄梯子に
ぶらさがっている。高笑いしながら去っていくその光景は、さながら
勝ち逃げする怪盗のようだった。
なんてことだ。このぼくが、探偵に?取り消すことはできないのだろうか。
悪法も悪法、整備自体がされているかもわからない、というか本人の承諾なしに
受理されてしまうようなクソ制度だ。取り消しできなくても不思議ではない。
それ以前に、明日からそんなアホクソ作業にかかる事自体が、ぼくの愛する
日常とはかけはなれたもので、新しい日常にも成りえないものだ。
探偵、探偵ってなんなんだ。
ぼくはこうして、自称探偵──いやさ『他称探偵』としての、新たな日常を
押し売りされることになったのだった。
自称探偵ラプソディ (────他称探偵『』/誕生)
(────伝心探偵 暮間伊香菜/死亡)
(────最終勝者/一番星くもる)
◆
他称探偵────本名不明。この日他称された彼は私立蟹玉学園中等部二学年、
身長160cm、体重52kgの男子。
なお、彼を探偵として他称した一番星くもる本人は次の日にはその事を
忘却。直後彼には目もくれず次なる怪盗の事件を追ア。
伝心探偵────暮間伊香菜。同学園中等部二学年、身長171cm、体重55kg女子。
腹話術と心理学の達人。銀髪、地面スレスレの距離まで伸ばした髪を普段は
後ろで結ってポニーテールにしている。完璧超人だが、失恋を悲観して自殺。
メンタルが弱点だったのかもしれない。
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