第394幕 そして一つの終幕

 俺は、あの日。結局グレリアには――兄貴には勝てなかった。最後の一瞬、横薙ぎに放った一撃を身体を屈めて回避され、首筋に剣先を突き付けられてしまった。あの時の兄貴は確かに全力だった。そんなに長い攻防をした訳じゃない。限界まで戦い抜いた訳でもない。それでも俺の全力に、兄貴は確かに応えてくれた。


 兄貴と決着がついたあの日。一か月くらいそこに留まった俺は、町から出ることにした。誰にも別れをかわさず、一人で旅に出る。そんな風に考えると、少し気分が高揚してきた。

 だけど……一つだけ気がかりなくずはの事くらいだ。彼女との約束を、俺は結局……満足に果たせなかった。守るって言っても、ほとんど負けてばっかりで守れたなんて言えなかったからな。


 今なら……とも思うのだけど、もう少し、力を付けたかった。


「さて、と。これからどうしようかな」


 何も考えずに飛び出したこの身。戦争も何も関係ない……自由な暮らしというものは、あながち悪いものでもない。昔の……スパルナと一緒に旅をしていた時のようだ。

 まあ、あの時と違って、今回の俺には本当になんの目的もない。強いて言えば……もっと強くなりたい、ってところだろうな。


 結局兄貴には敵わなかった。だけどそれで諦めきれたら、最初から戦う事なんてしなかったさ。

 まだ戦う事が出来る。もっと伸びしろがある。それがあの戦いでわかった。魔方陣と詠唱魔法の組み合わせだって、使い続ければ今よりもずっと洗練されたものになるだろうし、魔力の消費だって抑えられるはずだ。


 逝ってしまったスパルナに誓った事は守れなかったけど、不思議と気分が良い。兄貴と正真正銘の全力でぶつかることが出来て……その上で負けたからだろうな。青い空に白い雲。晴れ渡る蒼天が、俺の旅の門出を祝ってくれているみたいだ。


「とりあえず……イギランスの方は危険だから……グランセストの方に行くか」


 この世界にはまだ俺が見たことのない未開の地が、誰も訪れていない秘境があるだろう。もしかしたら、昔の文明の息吹を感じる事が出来るかもしれないし、地下で文明を築いていたヒュルマが地上に出てきているかもしれない。色んな所に行って、様々な事を知ろう。世の中、汚いことばかりじゃない。綺麗な世界だってあるんだってことを探しに行こう。


 それが、今の俺のやりたいこと……なのかもしれない。戦いに勝つことは出来なかったけれど、スパルナと交わしたもう一つの約束。『生きる』という事は守っていこうと思う。


「それで、私を置いていくのね」


 伸びをしてこれからの事を考えていたら、ふと聞いた事のある声が聞こえてきた。

 恐る恐る後ろの方を振り向くと、そこにはむくれた顔をしたくずはが立っていた。


「く、くずは……いつからそこに?」

「『グランセストの方に行くか』なんて言う前くらいからよ。よくも私の事を置いて行こうとしたわね」

「あ、あー……それは、な」

「私の事守るって言ってた癖に、これだもの。やっぱりね」


 呆れたような顔でこっちを睨んでいるくずはに、俺はおどおどとするばかりだった。


「それで、これからどうするの? もう軍とか、戦争とか……そういうのに関わり合いになるつもりはないんでしょう?」

「……まぁな」


 俺としてはこれ以上、そういう血生臭い事に巻き込まれたくない。あれだけ自分勝手に突っ込んでいった俺が言うのもなんだけど、な。


「だったら、私も付いて行くわ。元々、グランセストじゃお荷物だったんだしね」

「でもお前……」

「言っておくけど、逃げようだなんて思わないでよね。約束、守ってもらうんだから」


 意地悪そうな笑顔をこっちに向けてくるくずはに、俺はこれ以上何かを言うことが出来なかった。どうせ何を言っても付いてくるんだし、むしろ諦めみたいなものが漂ってきたほどだ。


「……これだけは言っておくけど、辛いこともあるかも知れないぞ。魔物とはまだ戦いが続くんだし、色んな環境が俺たちの敵になるかもしれない」

「それでも、セイルが私を守ってくれる……でしょう?」


 はっきりとそう言われると反論することが出来ない。だってそれは……俺がくずはとした、たった一つの約束だったんだから。


「ああ。今度こそ――俺がお前を守るよ。何があっても」

「ふふっ」


 満足のいく答えを得られたと嬉しそうに笑顔を浮かべているくずはに、俺は困ったような笑顔を向けるしか出来なかった。だけど、不思議と悪い気分じゃない。


「ほら、それなら早く行きましょう!」

「ちょっ、お、おい! 引っ張るなって!」


 一緒に行動出来るのが嬉しかったのか、くずはは俺の腕を引っ張って「早く行こう」と急かしてきた。


「全く……退屈しない旅になりそうだな」

「何か言った?」

「ううん、なんでも」


 そのまま走って、今度は俺が逆にくずはの手を引っ張ってやる。隣り合った時にちらっとくずはの顔を見てみると、驚いた表情を浮かべていた。それからすぐに楽しそうに笑っているのが目に入って……俺も自然と笑顔が零れていた。


 これからも、辛いこととか悲しいこととか……そういうのが沢山あるんだろう。だけど、今の俺なら乗り越えられる気がする。スパルナを失った悲しみ。交わした約束。兄貴との戦いの全て。それら一つ一つが、確かに俺の力になっているのだから――

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