第346幕 折れた心

 何もかも失ったような気がした俺は、どうにもやる気が湧いてこなかった。どこにも行きたくないし、誰にも会いたくない。だけど、ただだらだらとベッドで寝転がってる気分でもなくて……仕方がないから、腕立て伏せや腹筋をしながら時間を潰していた。


 もう、どれくらいの時間が立ったのだろう? あれから俺を訪ねてくる者もいなかったからか、どうにもあやふやだ。食事だけは出てくるから、それだけで大まかに判断してるって感じだ。


「スパルナは……どうしているんだろうな?」


 ロンギルス皇帝は会わせてくれるような口振りだったし、彼の人柄はある程度わかってる。一度行った事を引っ込めたりはしないはずだ。そうわかってはいても、実際待っていると少しずつ不安が募っていく。何日かそうやって過ごしていると、再び部屋の扉が開かれて……兵士に連れてこられたスパルナが姿を見せた。


「……お兄ちゃん」

「スパルナ……」


 なんとも言えない気持ちで硬直していると、スパルナの方も同じように思ってくれたのか、妙に情けない表情になっていた。


 兵士は何も言わず、スパルナだけを入れて扉を閉めた。残されたのは気まずい雰囲気の俺とスパルナだけだ。


「……お兄ちゃん。ごめんなさい。ぼく、役に立たなかった」


 スパルナはせめて泣かないよう、精一杯の表情で申し訳ないと、俺に謝っていた。


「お前のせいじゃない。俺が弱かったからだ。一歩間違えたら、お前を失うだけでは済まなかった。本当に済まなかった」

「そんな……お兄ちゃんのせいじゃないよ。ぼくが……」

「いいや、俺が――」


 それからしばらくの間、俺とスパルナが互いに謝って――それが何だか無性におかしくなって、笑い合ってしまった。こんな暖かい気持ちになったのは久しぶりのような気がした。俺たちにそんな資格はないのかも知れない。それでも、今だけは……許して欲しかった。


「スパルナ。お前は大丈夫か? なにかされたりとか……してないか?」

「うん。怖いくらい何もされてないよ。操られるかも……とか思ってたのが馬鹿らしく思えたくらい」


 どうやらあまり危険な目に遭ってなくて良かった。一応、丁重にもてなしてくれた……という訳か。


「……ぼくたち、これからどうなっちゃうんだろう?」

「皇帝の様子を見ると、しばらくこのままだろうけど……その後はわからないな」


 悔しい事だが、ロンギルス皇帝は俺たちのことを客人だと思っているようだ。だからこそ監視も緩いし、ある程度自由に動ける。今すぐどうこうされる可能性は少ないはずだ。


「なんとか隙を見て逃げるしかないのかな」

「……そうだな」

「外には出してくれるからその時になら……お兄ちゃんの事も助けれあげられるかも――」

「いや、逃げるのはお前だけだ。スパルナ」


 一瞬、俺が何を言っているのかわからないような顔をしたスパルナはすぐに焦るように慌てはじめた。


「え、な、なん、で?」

「……今回の戦い。俺たちは全く歯が立たなかった。誰が足手まといだったとかじゃない。俺とお前……二人の力を合わせても、全然届いてなかった。今、俺たちは二人が逃げ出したら――」


 そこから先は言葉に出せなかった。逃げ出したら……今度はロンギルス皇帝が……ヘルガが、俺たちを殺しに来るかもしれない。俺は『生命』の魔方陣で無理矢理自分の限界を超えて戦ってきた。


 だけどここから先はそんな無茶が出来ない。多分……これから先の戦いに、俺はついていけないだろう。

 そんな足手まといがここから出て……どうする?


「お兄ちゃん」

「……スパルナ。頼む」

「お兄ちゃん、聞いて。ぼくね、あの時……本当は死んじゃいたかった。生きてるって、とっても苦しくて……辛くて……みんなが死んでいくのを見て、羨ましかった。早く……早く楽になりたい。ここから消えてなくなりたいって」


 スパルナは俺の目をまっすぐ見て、いつも以上に真剣な表情をしていた。


「だけど、お兄ちゃんがあんまり必死で……ぼくのことを本当に心配してくれてるのが伝わってきて……この人とだったら、どんな事があってもやっていけるって、そう思えたんだ。だから……諦めないで。最初に夢を見せてくれたのはお兄ちゃんなんだよ? だったら、最後まで……夢を見せてよ。ぼくが大好きな、お兄ちゃんのままでいてよ」

「……俺は――」


 その後、どんな風に返したのか、あんまり覚えてなかった。ただ、夢中で……スパルナは俺が考えているよりずっと大人だった。


 スパルナが兵士に連れられて帰った後、俺はグラムレーヴァを手に取って、ゆっくりと魂を込めて素振りを始めた。


 惰性でやっていたトレーニングなんかじゃない。俺の錆びつきかけていた心を――皇帝に折られた心をもう一度鍛え直すために。


「これ以上スパルナに……格好悪いところは見せてはれないからな」


 皇帝に叩きのめされて完全に砕けてた心に、あの子が火を入れてくれた。だから……最後の最期まで、この炎を絶やさず燃やして見せる。


 例え――そのまま燃え尽きる事になったとしても。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る