第340幕 場違いな決戦

「お前は……ロンギルス……皇帝」

「久しいな。グレリア。勇者会合以来か。お互い、随分と遠くまで来たものだな」


 まるで旧来の友との会合を懐かしむような口調でこちらに……いや、ヘルガに近づいていく。そんな事より、何故ここに皇帝がいる……? あまりのついていけない事態にルーシーもいつの間にかこちらに近づいてきていた。


「なんで皇帝が……?」

「……わからない。だが――」


 この状況。ヘルガが死にかけている今、この時に皇帝が現れたという事には意味がある。だが……それを成すのを黙って見ているほど、優しい男ではない。

 すぐさま『神』『雷』の魔方陣を発動させ、ロンギルス皇帝に向かってそれを解き放つ。


 神雷が皇帝に向かって襲いかかったが……それを片手で握りつぶす。魔方陣を使っているように見えたが、あまりの呆気なさに驚いてしまった。


「な……!?」

「生憎、貴様と戯れている時間はない」

「陛……下……」


 辛うじて息のあるヘルガの声に振り向いた皇帝の顔は、どこか慈しみを帯びた表情をして彼女を見ていた。攻撃してきた俺に対して最大限の警戒をしながら、ロンギルス皇帝は静かに膝をついて彼女を抱きかかえた。


「私のЛюбимая дочь。また手酷くやられたな」

「ц……ца……рь。わた――」

「よい。何も言わずとも伝わってくる。さあ、この力を……お前に」


 ロンギルス皇帝は魔方陣を構築していく。その起動式は……これは――『生命』『治癒』の二つ……!?

 なんでこの男が……? そんな疑問を感じながら、嘘であって欲しいと思う気持ちが溢れていた。あの『生命』というのは間違いなく原初の起動式アカシックコード。セイルが扱っていた文字だ。


 同じ原初の起動式アカシックコードを使える者なんてまずいない。少なくとも俺は会ったことはない。転生前も含めて、だ。だからこそ、こんな事は有り得ない。だが、ヘルガの傷がみるみる内に癒えていくのを見ると、それが真実だと無理やり理解させられてしまう。


 頭の中を整理している間に、致命傷だったヘルガの身体は綺麗に治っていて、傷跡一つ残っていない。


「陛下……ごめんなさい」

「謝らずとも良い。お前は本当によくやった。おかげで私も……欲しい物が手に入った。後は……」


 先程まであんなに敵意をむき出しにしていたヘルガは、すっかり戦意を失って大人しくなっていた。そんな彼女をゆっくり地面に立たせるように降ろしたロンギルス皇帝は、余裕すら感じる程の動きで俺に向き合ってきた。


「待たせたな」

「……聞きたいことは多いが、ロンギルス皇帝……その原初の起動式アカシックコードを何故持っている?」

「……ふふっ、そういえば貴様はセイルと友であったな。ならばその問いも必然か」

「御託はいい。答えてもらおうか」


 色々と言葉を並べて遠回しにしようとしているロンギルス皇帝に苛立つように言葉を投げかけると、愉しそうに含むような笑い声を上げられた。


「安心すると良い。あの男は生きている。軟禁している……と言った方が正しいだろうな」


 皇帝のその言葉に少し安堵した。ここで嘘を言う事に何かの意味があるとは思えない。少なくともセイルの無事が確認出来たのは確かな事だった。だが、それは俺の問いへの明確な答えではない。


「はははっ、そう殺気を込めて睨むな。小さく見えるぞ」

「皇帝……!」

「何でも誰かが教えてくれると思っているのであれば、それは間違いだと訂正しておこう。どのような時であれ、私がそれを教える事はない。知りたくば……自らの身を持って味わうのだな」


 ロンギルス皇帝は腰の黒塗りの鞘から剣を引き抜く。剣身すら黒く塗られたそれは引き寄せられそうなほどの妖しさを放っていた。 


 相対するだけでびしびしと威圧されているのを感じる。少しでも気を抜けば気圧されてしまう……そんな確信すら抱くほどの強者の波動。だが、俺も負けてはいられない。


 グレリア・ファルトとして――最古の英雄として、為さなければならない事がある。その為には……一歩も引けはしない!


「ほう、なんとも心地よい。やはり戦場の空気と言うものは心地良いな。グレリアよ。そうであろう? ルーシーよ」

「こ、皇帝陛下……あの」


 震えて俺とロンギルス皇帝を交互に見ているルーシーは、完全にこの場の空気に飲まれているようだった。


「よい。貴様の愚行、私が許そう。元来、勇者と呼ばれる者は皆そうであったからな。今更貴様一人の行動など、気に病むほどでもない。目の前の男の足を止める役目は果たしたのだからな」


 その言葉に、ルーシーは絶句しているようだった。勇者だなんだともてはやされ、責任を押し付けられた彼女に待っていたのは……使い捨ての道具のような扱いだったのだ。そうなるのも仕方ないだろう。

 よろよろとその場から立ち去るルーシーを横目に、改めて皇帝を正面から見据える。彼女に言葉を掛けてやりたいのは山々だが、今は状況が悪い。


 セイルをも倒したこの男の力を侮ってはいけない。本能でそれを察したからだ。ゆっくりとした動作で構えた後……ロンギルス皇帝は全力で俺に詰め寄って来た。

 その禍々しい刃を振り下ろし、全てを奪う為に―― 

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