第279幕 導き出された別れ

 ヘンリーと会話を終えた俺は、一人城の外――公園で佇んでいた。夕暮れの風が冷たく吹いて、心さえも冷ましていくようだ。


「……グレファくん」


 気付いたら、エセルカが寂しげな目をして俺の側にやってきていた。俺たちは……互いに視線を交わさずにただ景色を見つめるだけだった。

 何を話せばいいのか、わからない。聞きたいことが沢山あって、言葉に詰まってしまう。


「ヘンリーくんに、聞いたの?」


 沈黙を破ったのはエセルカの方だった。ゆっくりとそちらの方に視線を向けると、彼女がまっすぐ俺を見ていた。


「……知ってるのか?」

「だって、あのヘンリーくんだもん。全部言うだろうなって思ってたよ」


 ふふ、と微笑むエセルカの物憂げな表情が、彼女に少し大人びた雰囲気を与えてくれている。

 エセルカは……知ってるのだろうか? 彼女も恐らく実験の素材として使われていた事を。


 リンテルシュアの姓はリッテルヒアへと改名された事は間違いない。それはヘンリーも同じ結論に至ったからこそ、シエルの件も相まって言い辛そうにしていたのだろう。


 じーっとこちらを見てくる瞳が、突き刺さるように痛い。


「……そうか。ヘンリーには大体教えてもらったよ」

「そっか。それで、グレファくんはどうするの? 私のこと、消しちゃうの?」

「……元に戻す、ではなくて、消す、か」


 司に汚されてないってことを知った時点ではそう考えていた。だけど……『消す』という単語を使われては、自然と考えさせられてしまう。


「だって、昔の私と今の私、違いすぎるもの。臆病で役立たずなんだもの。それでも……グレファくんは私のこと、消しちゃうの? 嫌い?」

「そういう訳じゃない。今のエセルカも嫌いじゃない。だけど、昔のお前もまたお前なんだよ。最初にいたはずの彼女に、戻って欲しいだけなんだよ」


 はっきりと伝えた俺は、あまりエセルカの顔を見れなかった。俺は、彼女が俯いてる姿を視界の端に収めながら、本当にこれでいいのかと考える。


「……そっか。ならしょうがないよね。本当はグレファくん殺して、私も死ぬのが一番理想だったのに。今からでも一回殺させてくれない?」

「……それは出来ないな」


 いずれ、この世界が落ちついたら……それも良かったかもしれない。だけど今死ぬわけにはいかない。俺にはまだ……やるべきことが沢山ある。

 エセルカは相変わらず寂しそうな笑顔のまま、俺の隣から離れていく。


「だったら……やるしかないよね」


 エセルカは魔方陣を発動して、闇の刃を襲い掛からせてきた。それを避けると同時に、予測していたかのように彼女は抜いた剣で斬りかかってくる。


 上手くそれを回避して、改めて彼女に向き直る形を取った。先程までの悲しげな表情から一変して、子供のように無邪気な笑顔を浮かべている。


「どうせ消えるなら、一緒にここからいなくなろうよ。ふふっ、一人で逝くのは寂しいからねっ」


 周囲に他の誰もいなくて良かった。そんな考えをしながら、冷静にエセルカの動きを見る。

 魔方陣によって吹き荒れるように飛んでくる闇の刃やら線やらを避けながら彼女へと迫る。


 にやり、と笑って剣を振り下ろした彼女の腕を弾くように拳を振るい、体勢を整える前に額に手を当てて魔方陣を展開する。構築する起動式マジックコードは『神』『浄』『光』『癒』の四つだ。昔作ったのよりも一文字少なく、その分展開が早い。


「グレファくん……私のこと、嫌いだった?」


 もう敵わないと観念したのか、エセルカは俺の作り上げる魔方陣を見ながら呆然とした表情で呟いていた。

 本当に馬鹿だな……と苦笑いをしたくもなったが、それは空いた片手で軽く頭を小突いて誤魔化す。


「あいたっ」

「好きでもないのに、ずっと一緒にいられるわけないだろう」

「……ありがとう。でも、やっぱり酷いね」


 悲しい顔をして俺の頬をそっと撫でる彼女は……すごく儚くて今にも消え入りそうだった。


「……酷い?」

「だって、グレリアくんの『好き』は私の『好き』と違うんだもん。やっぱり、あの時殺しておくんだったなぁ……」


 よくわからない事を言いながらエセルカは呟いていた。俺は死んでも守ると約束した。ずっと一緒にいるとも。それでも俺の『好き』は……エセルカのそれとは違うってことなのか?


「責任とか……同、情、とか。そんなの、で……一緒にいられても……嬉しく、ないよ。もっと、わた、しを……見てよ……」


 徐々にまぶたが下がっていく彼女は、最後に懇願するような言葉を口にして……そのまま眠りについてしまった。

 後に残されたのは、半ば呆然としている俺だけで……ようやく、彼女の言った事に気づいた。


 俺はずっと、こんな事になってしまったのは全部自分のせいだから……。そんな風に考えていたんだって。

 責任を取って守り抜く事が当たり前だと思っていた。そうしてこそ、彼女の為になるのだと。


 だが、結果はどうだ? 性格が変貌しても一途に不器用に『愛』を叫び続けたあの子の想いを、躊躇いもなく踏みにじってしまった。


 ――もう、二度と、あの俺を困らせていたエセルカには会えないのだと……はっきりと理解した時には、手遅れだった。


「すまない……本当に、すまなかった……」


 謝る言葉は、夕闇に溶け込んで……残らず消えてしまった。

 ――拭いようのない後悔を残して。

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