第275幕 進みし者

 それからの説明は荒れ狂う波に小さな一隻の船で挑むかのような苛烈さを極めた。

 なにせ向こうは今にも爆発しそうな怒りを抑えながら話を聞いている状態なのだ。だからこそ度々『拡声』の魔方陣で避難民の怒りを遮る事になった。しかし、こうなるのはある意味仕方がなかったことだ。


 突然家を追われ、テントの生活。満足に食べることも中々できない中、鬱憤だけは溜まっていく日々……。

 こういうところで少しは爆発させてやらないといけない、ということだろう。


「それでは、他に何か聞きたい事があったら、出来る限り答えよう」


 なんとか一通り説明を終えて、質問の時間を設けると早速一人の男が声を上げた。それはさっき、魔人たちを焚きつけた者だった。


「それで、国はどう責任を取ってくれるんだ? あ?」

「国がするのはお前たちが新しい土地で少しでもまともに暮らせるようにするだけだ」

「それはちょっと都合が良過ぎるんじゃねえか? 結局なんもしてくれてないのと同じじゃねぇか」


 随分な物言いだが、彼らからしたら当然の事……なのだろう。全ては守ってくれない上が悪い。そんな風に思い込んでる相手を諭すのは至難の業だ。


「何か勘違いしてるようだが、いくら怒りをぶつけても何も変わることはない。全員ここに留まる限り満足に飯を食べられることはない。テントの暮らしが変わることはないし、国は今、最大限手を差し伸ばしている。それを目先の怒りで振り解くつもりか?」

「な、なんだと……! 元はと言えばてめぇらが――」

「予測のつかない出来事に対し、万全の準備をしろ、というのはあまりに酷なのでは? 私たちも全力で取り組み、身を投げ出した結果、なんとかここにいる者たちの命を救うことができた」

「だ、だけど、そもそもあんたらがしっかりしてたらあんなところまでヒュルマ共が来ることもなかっただろうが!」


 俺の返しにそれでも食い下がる男に、周囲の魔人たちも少しずつ同調していく。ただ、女の方は少し頭が冷えたようで、今の状況を静かに見守ってるようだった。


「ぐるりと周りを囲むようにあるヒュルマの国全部に対応出来るわけがないだろう? 物事には限界がある。今の生活を少しでも良くしたいと本気で思うのなら、こちらの提案を受け入れて欲しい。避難した魔人全員が餓えず、元の暮らしを送れるように……私たちは努力を惜しまない」


 広場に静かさが満ちていた。ぐるりとここに集まってくれた避難民たちを見回しても、誰も何も発言しなかった。


「で、他に何か言うことはあるか?」


 今まで散々騒いでいた男たちに冷たい視線を投げかけると、それだけで彼らは俯いて黙ったままだ。

 中には納得出来ないと不満を露わにする視線も多い。だけどそれを今ここで言っても俺にはなにも響かない事を理解してくれていた。


「辛いのはわかる。だけどよ、グレファの言う通り、俺たちだって頑張ってる」


 カッシェは今しかないと思ったのか、俺の隣に並んで、胸を張っていた。


「少しでも早く戦争を終わらせる為に、俺たちが他のみんなを守れる為に……お前たちの力を貸してくれ」


 頭を下げたカッシェに周囲はざわついて……これ以上騒ぎ立てるものはいなくなった。


 ――


 広場での話がなんとかまとまった日の夜、俺たちは酒場へとやってきていた。つまみなどの食べ物は勿論なしだ。避難してきた魔人たちにも配ってる事もあって、ほとんど取り扱ってない。


「はぁ……酒だけってのも味気ねぇよな……」

「そう言うな。奢ってやるんだから」


 カッシェは文句を言いながらも勢いよく酒を飲んではおかわりを頼んでいる。昼の事が余程頭に来たのだろう。


「しっかし、あんな風に言われてよく頭に来なかったな。俺なんかあの場はなんとか調子を合わせられたけど、まだ苛々してるぜ」

「彼らは彼らで大変って事だ。自分たちが戦えないってのは悔しいものだからな」

「まるで体験してきたみたいな言いようだな」


 感心するように頷くカッシェは、仕方ないと自分が持っていた干し肉をつまみとして囓っていた。


「体験してきたっていうか、見てきたからな」


 力がなくて、それでも気持ちをぶつけたくて……そんな想いはどんなに時代が変わってもあるってことだ。

 しかし、我ながら綺麗事を言ったような気がする。結局のところ、俺たちは彼らの信頼を裏切ったに他ならないからだ。


 もっと上手くやれたのではないか? 俺があの時シグゼスに報告していたら? 後悔することはいくらでもある。だが、後ろ向いてばかりでは前に進むことなんて出来はしない。


「ふーん。ま、いいけどな。お前のおかげでなんとか乗り切れたし、後はシグゼスさんの仕事だ。それまではしっかり休んでおこうぜ。まだ何が起こるかわかんないんだけらな」


 飲んでくるうちにだんだんと気分が良くなってきたのか、俺の隣で肩を叩きながら愉快そうにしていた。

 ……少し痛いが、上機嫌になってくれてなによりだ。嫌なことは酒でも飲んで忘れるに限る。明日に持ち込んでも良いことはないからな。

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