第182幕 覚悟の瞳
俺がくずはを連れ出してリアラルト訓練学校へと向かってから……恐らく二週間半くらいになるだろうか。
普段どおり魔方陣を展開できるようになった俺は、『命』の
……が、心の傷までは決して癒える事はない。
今もなお、俺に抉るような痛みを与え続けてくる。
それでも歩み続けた俺は、ようやく再び訓練学校へとたどり着くことが出来た。
その間、追っ手を差し向けられる事もなく、道行く魔人たちに奇妙な目で見られる事以外は、概ね順調と言っても良いだろう。
そりゃあ、眠ってる少女を背負ってひたすら道を歩く少年……ってのは結構奇妙なもんだ。
普通だったら馬車を使うし、俺だってそうしたかった。
だけど、あまりお金を持ち出すことが出来なかったということもあって、訓練しようということで身体強化の魔方陣を展開しつつ移動する……という方式を取ることにしたのだ。
本来ならもう少し早く到着する予定だったのだけれど、今回は仕方ない。
あれからくずはは魔方陣の影響でずっと眠っている。
服を脱がせることが出来ないから足とか頭とか……そういうところはなるべく手入れをしたのだけれど、正直起き出したときにどういうか不安なこともある。
まず確実に怒るだろうし、不満を抱くだろう。
それを俺が聞き届けて上げられないのが残念だが、もう仕方ないな。
本当に……。
――
学校の中で前に来た時に出会った先生と運良くもう一度出会えたことで、今はあの時と同じように寮の近くで合流するように言ってくれと頼んである。
前回兄貴が座っていたベンチに腰を下ろして、膝にくすばの頭を乗せて彼が来るのを待つことにした。
しばらくの間穏やかな時間が流れる。
周囲を見れば、今日は学校が休みなのだろう……学生だと思える年代の子どもたちが行き交う姿がちらほらと見える。
こうして見るとここは平和そのもので……とても人と魔人との間で戦っているなんて思えないほどだ。
俺たちの生きている世界とはあまりにも違いすぎて――つい、昔を思い出してしまった。
ジパーニグで暮らしていたときの、あの楽しかった学園生活のことを。
何も知らなかった、知らずにいられたあの日々を。
「セイルくん?」
しばらくの間、思い出に浸っていると……俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
目の前にはいつの間にか不思議そうに見つめているエセルカと、何かを悟ったような表情をしている兄貴が立っていた。
「エセルカ……兄貴に助けてもらったんだな。
あの時は本当に悪かった。俺の実力不足で……」
「いいよ。セイルくんじゃどうしようもないこと、わかって――あいたっ」
「それ以上言ってやるな。お前だって出来る限り守ってもらったんだろうが」
兄貴がエセルカをたしなめるように頭をコツン、と叩いてるけど……そういえば、エセルカのやつ、どことなく雰囲気が変わってるような気がする。
それが俺の招いた結果なのだとしたら申し訳なくも思ってしまうのだけど……あの時は俺も精一杯やった。
それだけは嘘じゃない。
「それで、また急にどうしたんだ?
俺が帰ってきてたから良かったものの……」
「実は、兄貴にお願いしたいことがあって……」
ちらっと視線をくずはに落とすと、それだけで兄貴は俺が何をいいたいか大体察してくれたようだった。
「くずはをここに置いてくれって言うのか? ここは実力者なら誰でも入れる場所でもあるし、くずはなら多分問題ないだろう。
だけど――」
『お前は本当にそれでいいのか?』という視線が俺の方に向けられている。
やっぱり兄貴は、俺がこの学校に入らないこと。
くずはをここに置いていくことをわかっているようだ。
「えー……くずはちゃんも……?」
「そういうな。その時は今の三人の状態から二人になれるかもしれないだろう?」
「二人……! 私とグレリアくんの二人っきりの愛の巣だね!」
「それは違う」
なんだろう、馬鹿な事言ってるエセルカと、それを呆れたように笑いながらあまり取り合っていない兄貴。
その対比がなんだかおかしくて、自然と笑みがこぼれていた。
「兄貴、頼む。くずはを守ってやってくれ。
今の俺じゃ、もう彼女の側にはいてやれないから」
「セイル……」
しばらくの間、俺と兄貴はそうやって視線を交わしていた。
長くもあり、短くもあるような時間。
ふと隣を見ると、なぜかエセルカが頬を膨らませて俺のことを見ていた。
「わかった。くずはの事は俺が引き受けよう。
だが、お前の帰ってこなきゃいけない場所はいつだってある。
それだけは覚えておいてくれ」
「……ああ」
俺はくずはに展開していた魔方陣を解いて、ベンチに寝かせてやる。
これで直に彼女は目を覚ますはずだ。
「行くのか?」
「ああ。俺は……決着を付けなくちゃならない。
兄貴も、もしラグナス――ラグズエルって男に出会ったら注意してくれ。
あいつは他人の記憶を弄ぶ」
兄貴も心当たりがあるのだろう。
嫌な事を思い出すように顔をしかめ、頷いていた。
「わかった。
……セイル、片時も『グラムレーヴァ』を離すな。
そいつが必ずお前を守ってくれる」
これ以上の言葉はいらない。
無言で頷いた俺は、そのままくずはを置いて――二人に見送られて俺は学校から、この副首都から離れた。
これから、行く宛のない旅が始まる。
ラグズエル、そして……あいつの言っていた『あの方』と呼ばれた者を倒すために。
そのためにすべき覚悟なら、もう出来ている。
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