第181幕 支払った代償

 ラグズエルとの激戦をなんとか制した俺は、よろよろとくずはの部屋へと向かっていく。

 俺たちが戦っていた場所とは離れていたこともあってか、彼女の部屋はなんともなくて……あれだけの騒ぎを起こした割にはすやすやと寝入っていた。


 あんまりにも無防備なその寝顔に、思わず苦笑してしまう。


「こっちはあんなに必死になって戦ってのに……」


 それでも、なんとか彼女を助ける事が出来た。

 ……いや、本当に助けられたのか? という疑問は湧いてくるのだけれど。


 結局、くずはの記憶は戻らないままで、俺の好きだった彼女は未だ遠くにいる。

 真の意味で助ける為にはラグズエルの力が必要だったかもしれないと……全てが終わった今、様々な考えがぐるぐると頭の中を駆け巡る。


 だが、これ以上彼女が何者かの犠牲にならずに済んだ。

 それだけでもラグズエルと戦った甲斐はあったのかもしれない。


「っ……」


 全身の骨が折れてるんじゃないか? というくらい痛い。

 動くのも結構不味い気もするのだけれど、いま一番必要な魔方陣を展開出来るだけの魔力が残っていない以上、軋む身体を引きずりながらでも歩み続けるしかないだろう。


「くずは、行こう……兄貴のところへ」


 俺は寝入ってる彼女を背負って、ゆっくりと部屋を出る。

 しかし、随分と気持ちよく寝ているな。


 俺が触れても、全く起きる気配がない。

 ……いや、それが当然な事だし、今彼女に起きてこられても困るから助かるのだけれど。


 彼女に施した魔方陣……それの起動式マジックコードは『睡眠』『命』『保護』の三つだ。

 記憶を失った彼女に万が一の事が起こらないように、前々から準備していた魔方陣だ。


 生命活動を最低限にする代わりに、危害を加えようとする者全てから身を守るというのがこの魔方陣の特徴だ。

 俺だってこうやって背負うぐらいのことなら問題なく行えるが、服を脱がせようとしたり、攻撃しようとした途端、弾き飛ばされてしまうだろう。

 ……そんな事したら後でくずはになんて言われるかわかったもんじゃないけどな。


 だけど、これだけの事をしなければ、俺ではくずはを守ることが出来なかった。


 ――しかしなんだ……初めて背負ったのはいいけど、随分と重たいな。


「……ははっ、こんな事口にしたら、くずはに怒られるな。

 下手したら殴られるかも」


 不意に口にしたそれは、くずはに聞こえても……彼女は何の反応も返さない。

 それがどうしようもなく彼女の身体を重くしていくような気がした。


 この重みは、くずはの生きている証。

 その証拠だ。それだけでもやりきった甲斐がある。


「くずは、待ってろ。

 兄貴――グレリアのところに行けばお前だけでも安全に暮らせるはずだ」


 背中のくずはに呼びかけながら、建物を出て、俺たちが拠点としていた場所から少しずつだが、遠ざかる。

 どうやらラグズエルの言っていた事は嘘ではなかったようだ。


 くずはを背負っている俺は怪我をしている分、ゆっくりと進んでいたはずなのに、誰とも出会うことはなかった。


 そのまま俺は、兄貴と出会った場所――リアラルト訓練学校へとただひたすら向かっていた。


 色んなのものに裏切られたけど、他に頼れる人を知らなかった俺は、そうする以外他に思いつかなかった。


 いや、違うな。

 真っ先にそうするべきだと感じたのは……俺が兄貴のことを信頼しているから他にないだろう。

 それは、あの真っ白の世界で少年に与えられた時に感じた暖かい波動と同じものを、彼から感じたからかもしれない。


 だからこそ、兄貴のところを目指して行くのだけれど……くずはの重みが俺の体力を徐々に奪っていく。


 ただでさえ荒い息が、体中の空気を奪っているようにすら感じる。

 それでも、ただまっすぐ……いつたどり着くかもわからない道のりを、訓練学校へと歩みを進める。


「くずは、俺、お前の事が好きだ。

 自分の弱さをちゃんとわかってるって事は――向き合えるってことは、それだけで強さになる。

 それを奪ったあいつを……俺は絶対に許せない」


 多分、くずはにはちゃんと伝えられないだろう。

 そして……これからも、伝える機会はもう訪れない。


 だから、今の記憶を失くした彼女じゃなくて、俺が知ってる彼女に……出来る限りの言葉を捧げる。

 もはやくずはを連れて戦うことは、俺には出来ない。


 これから先――もっと苛烈な戦いにこの身を置くことになるのだから。

 正直、こんな決断しか出来ない自分が心底情けなくて涙が出そうになる。


 吐き気で頭がおかしくなりそうなくらいだ。

 だけど……俺は諦めないと誓った。


 それが何を失うことになろうとしても……涙すら涸れ果てたとしても、もう止まらない。

 記憶が一欠片残らず書き換えられたとしても、この想いを、誓いを忘れないように心の奥深くに刻み込むように、一歩一歩確かに踏みしめていく。


 絶対に守ってみせる。

 俺は、くずはの未来を決して『諦め』たりしない。


 だから、どんなに過酷な戦いに身を置くことになったとしても、彼女が暮らせる世界に、必ず俺がしてみせる。


「わけのわからないまま異世界に喚ばれ、国の思惑に巻き込まれて……挙句の果てがこれだ。

 だけど、もう大丈夫だ。これ以上、お前に何も失わせはしない」


 ――くずは、お前のことが大好きだった。


 そんな言葉すら最後まで言い切ることが出来ず、感情が高まりすぎて別のものが溢れて零れ落ちてしまった。

 世界が滲んで、まともに前が見えない。

 嗚咽が混じって、何度も転びそうになった。


 これは最後の涙だ。

 もう二度と、俺は泣かない。


 だから――今だけは、思う存分泣かせてくれ。

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