第163幕 謀られ、残されたもの

 俺は戦闘状態を解いて、後ろ頭を掻きながらエセルカの方に近寄っていく。

 相変わらず彼女はどこか熱っぽい目でこちらを見つめてきていて……なんともやりづらい感じがする。


「エセルカ、とりあえずここを離れるぞ」

「……くすくすっ、いいの? 私の事、おかしいって気づいてるんでしょ?

 グレリアくんなら、元に戻せるんじゃないかな?」


 エセルカは挑発的な笑みをこちらに向けて、にんまりと微笑んでくる。

 こいつ……俺がその手を取る事が出来ないことをわかっていてわざと言ってきている。


 司がエセルカに異様な執着を見せていたのを、俺は知っている。

 彼女の服を千切って押し倒していたのは、他ならぬあいつだったからだ。


 それを、ヘンリーはアリッカルからジパーニグまで付き添ってきた……とそう言っていた。

 それならば、あいつがエセルカに何もしないなんてあり得ない。


 わざわざヘンリーがそれを言ってきた理由は……恐らく、俺が何らかの方法でエセルカを元に戻すであろう可能性を考慮したからこそ、だろう。

 記憶を弄ったり、性格を変えたりしても、俺がそれを治してしまえば何ら意味がない。


 ヘルガとの戦いでそういう事態も十分に考えられたのだろう。

 あいつは俺たちの戦いをエセルカと一緒に外で眺めていただけだからな。


 そして……それは毒のようにじわじわと効いてきている。

 今まで戦闘と、彼女を元に戻す事にだけ思考を寄らせていたが、仮にここでエセルカを元に戻したら?

 記憶が弄られてるとしたら、間違いなく司となにかあった事を思い出してしまうだろう。


 俺と会った時の記憶が書き換えられていたシエラが存在する以上、無いとは言い切れないし、司の性格を考えれば、それはより一層濃くなってしまう。


「ふふっ、ね、どうしたの?」

「……なんでもない。行くぞ」

「……うんっ!」


 結局、俺はエセルカを元に戻さないことを選んだ。

 シエラと同じで……下手なことをしてしまえばエセルカ自身を傷つけてしまうことになる。


 それでは、なんの為にここまで彼女を追ってきたのかわからないというものだ。

 幸い、エセルカは俺の言う事なら聞いてくれるようだし、何かあるなら俺が止めてやればいい。


 もし嫌な過去、思い出したくないものがあるとするならば……それはきっとそのまま封印した方がいいのだろう。


「ねね、グレリアくん、どこ行くの?」

「そうだな……とりあえずお前も一緒に魔人の訓練学校に来い。

 セイルやくずはも、お前の事を心配している」

「……それはどうかな?」


 エセルカは嬉しそうに俺の右腕に抱きつきながら、どこか不穏な声で疑問を投げかけてくる。


「だって、セイルくんはくずはちゃんのことの方が大事だから……だからあの時、私を見捨てて二人で逃げちゃったんだよ」

「エセルカ、それは――」

「いいの」


 俺がエセルカのそのネガティブな思考を改めさせようと声を上げる……んだけどれど、彼女はそれを遮って、首を横に振った後、俺の腕に抱きつく力を強めてきた。


「結局、来てくれたのはグレリアくんだけだもん。

 君が側にいてくれたら、私はそれでいいよ。

 グレリアくんは……私を独りにしないよね? ……ネ?」


 それは遠くを見るような……どこか虚ろな目でのぼせる程熱い視線をこちらに向けてきている。

 抱きついているその腕は、しがみついているようにも見え、必死に『行かないで欲しい』と訴えかけてきているようにも見えた。


 だからこそ残された左腕でそっと頭を撫でて、笑ってやる。


「馬鹿な事考えるな。誰もお前を独りにしない」

「……本当?」

「ああ、だからそんな顔するな」

「うん!」


 エセルカは心底嬉しそうに俺の右腕を抱きながら軽く飛び跳ねている。

 全く……こういうところは以前の彼女のままというわけか。


 ……そういえば久しぶりに会ったせいで今まで気付かなかったが、少し背が伸びているようだ。

 それでも俺たちの年代から考えたら小さい方なのは間違いないが。


「ね、グレリアくん」

「……どうした?」

「その学校に行くのは良いけど……今からすぐ行くのはちょっと早すぎじゃない?

 ここか、近くの町で一度ゆっくり休んでから行ったほうがいいんじゃないかな」


 エセルカの提案に言われてみれば……と納得するところもある。

 ただ、これだけの大立ち回りをした後。


 それにここは敵の本拠地のような場所だ。

 あまり長居するべきではないだろう。


 ……エセルカを置いて、一人でこの国の中枢を叩きに行くという方法もある。

 が、それをすれば多かれ少なかれ、ジパーニグに混乱を巻き起こす事になるだろう。


 それは俺の本意とするところじゃない。

 仕方ない、首都で休むわけにはいかない以上、付近の村に行くことにしようか。


「よし、じゃあ近くの村で休んでからグランセストに向かおう。

 それでいいな?」

「はーいっ!」


 元気に片手をあげたエセルカにため息をつきつつも、彼女を抱えて身体強化の魔方陣で一気に近場の村まで行くことにした。

 彼女も魔方陣を使えるのだから、一緒に走るのがいいのだけれど……今の調子だとそうする為の説得も一苦労だろう。


 ……やれやれ、とんだ苦労を抱えてしまったな。

 だが、俺は後悔しないだろう。


 例え、全てを元に戻すことが出来なくても……これ以上、エセルカになにかされる前に助け出すことが出来たのだから――

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