第89幕 久しぶりの安寧

 グレリアさんからイギランスの事を聞いた次の日……わたくしは未だにどこか納得できない自分の感情に悩まされておりました。


 わたくしはこの世界に召喚された頃……とても不安で、元の世界に帰りたいと常に願っていたことを覚えております。

 優しいお母様や、お仕事がお忙しくても……厳しくて、わたくしの事を思ってくださっているお父様の事を思い出して……涙を流す日も多くありました。


 それを励ましてくれたのがヘンリーさんでした。

 気軽に兄と呼んでも良いと仰ってくださった時は本当に嬉しかった。


 ヘンリーさんのおかげでわたくしもこの世界の為に戦おう。

 アンヒュルの驚異から人を守ろう――そう思えたのです。


 それなのに……彼はわたくしを……いいえ、わたくし以外にも数多くの人に嘘を付いていました。

 それどころかイギランスの国王様まで……国民を謀り、魔方陣を操るアンヒュルを城内に招き入れていただなんて……。


 あまりの衝撃的事実にわたくしは外に出ることもできずにただただこうして部屋の中で鬱屈とした時間を過ごしていました。


 そんな中――


「ちょっと、いつまでそんなうじうじしてんのよ」


 わたくしに声を掛けてきたのはなぜかそのアンヒュルであるシエラさんでした。


「……なんですの? 藪から棒に……」

「? なにそれ?」


 ――ああ、『藪から棒に』という言葉もわからないなんて……そんなに不思議そうにこちらを見ないでくださいまし。


「……唐突にどう為されたんですの?」

「そりゃあそんなにうじうじされてたらこっちの気が滅入るからさ、ちょっと外に出て気分転換でもしてきたら? と思って」

「余計なお世話ですわ。大体なんで貴女なんですの? わたくしと貴女は……敵同士でしょう?」

「そりゃあねぇ」


 わたくしたちはあのグランセストで戦いあった敵。それなのになぜ、そんなわたくしをこの方は気にかけてくれるのでしょう?


 どこか情けないものを見るような目でこちらを見ているのが非常に……物凄く気に入りませんが。


「そうやってみっともない姿晒すのは貴女らしくないって言ってんのよ!」

「貴女に……なにがわかるんですかっ。

 わたくしは……国に裏切られたんですよ……?」


 思わず強く言おうとしたのですが、どうしても頭の中でグレリアさんやくずはさんたちの話がちらついてしまいます。

 イギランスの……エンデハルト王やヘンリーさんの話を……。


 最後のほうが消えるように小さくなってしまって……それがシエラさんの感情を逆撫でてしまったのか物凄く不満そうな顔をこちらに向けられてしまいました。


「あーもう! いいから外に出なさい! こんなところでじめじめしてたら余計に腐っちゃうでしょう!?」

「くさっ……!?」


 腐るってまた酷い言い方してくれますわね……! という言葉が出かかったのですが……結局言うこともできずにそのまま飲み込んでしまいました。


「ほら、さっさと立ちなさい!」

「あっ……ちょっと、なにするんですのっ!?」


 強引に腕を掴んで引っ張ってくるシエラさんを振り払うこともできずに、わたくしはただなすがまま、彼女に引っ張られていってしまいます。


「私には貴女の気持ちはわからないけどね。それでも前に進むしかない時ってあるのよ。

 たとえそれでより一層傷ついてもね」

「そんな事……」


 出来るわけがない、思わずそう言いそうになったのですが……同じようにアンヒュルと――魔人と関わっている可能性のあるジパーニグの勇者であるくずはさんは……覚悟を決められているようでした。


 それに比べてわたくしは……情けない姿を晒し続けてるのでしょう。


「どうして……」

「ん?」

「わたくしと貴女は、決して仲の良いとは言い難い関係ですのに、どうして……」


 さっきの言葉の繰り返しになりますけど、そう呟かざるをえなかったのです。


「……からよ」

「え?」

「だからよ。敵同士だから、貴女がそんな風に落ち込んでるのが見てらんないの。

 勇者がそんなんじゃ……張り合いがないのよ」


 ふん、と鼻を鳴らして言うような台詞ではないと思うのですけれども……そういうシエラさんの目にはなにか思いつめるような……そんな感情が宿っておりました。


 ――ああ、そうですわね。

 確かに、わたくしもシエラさんが落ち込んでいたら、張り合いがないでしょう。


 不本意ですが、短いながらも旅路を供にしていたのですから、知らず知らずのうちに情が湧いてもおかしくはないということですね。


 それに気付いたのがシエラさんが先で、わたくしが後、というのがあまり気に入りませんが……不思議と悪くはありません。


 ……そうです。わたくしは勇者。

 わたくしは……国王やヘンリーさんの期待に応える為にいるのではなく、あらゆる人民を守るためにここにいるのです。


 たとえそれが教え込まれたものなのだとしても、それだけが今わたくしがここにいる意味なのですから。

 ただ前のようにアンヒュル――魔人をただ何も考えずに倒す、ということだけはできそうにないですけれども……。


「ありがとうございます」

「え? なにか言った?」

「なんでもありませんわ」


 相変わらずあまり良いとは言えない視線をこちらに向けてきましたが……そうですわね。

 今は不思議と、悪くはないと思います。

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