4 宴

 常夏の帝国では、椅子ではなくひんやりした床へ直に座るのが正式らしい。武術道場かと思う広い板間の大広間だが、壁や柱には全面金箔が貼られている。一段高い場所に皇帝寧禅ネイゼンが着座し、クリスティーナの帰郷と皇帝の特使をもてなす宴が始まった。


 ヴェンツェル一人では居心地が悪いので、フィストととっつぁんも呼んでもらった。足はどういう形にするのが痺れないか考えていると、二帝の後ろからやって来たヨハンと目が合う。ブレア国特使の存在を聞かされていなかったのだろうか。遠目にもわかるほど切れ長の瞳を縦にして驚いていた。


 八帝の後ろにはリュートも控えていて、邪心の無い顔で笑いかけてくる。それ以外の統治帝も皆それぞれ護衛を伴っていて、誰もかれもが名の通った手練れなのだろう。


「わたくしたちの歓待なのですから、ヴェンツェル殿もどうぞ」

 クリスティーナが料理を勧めてくれる。タダなので遠慮なくいただくのだが、それにしても全方位の護衛からあからさまな好奇と警戒、あるいは殺意の視線がビシビシなのだからやりづらい。


「キミは帝国を裏切って攻撃を仕掛けた懸賞首だしねぇ、嫌われて当然だよね」

 まるで他人事のフィストがクックッと肩を揺らす。とっつぁんも「うむ」と大きく頷いている。

 手配犯が、懸賞金をかけて追っていた張本人の皇帝の特使として、すぐ近くにいる。確かに奇妙な構図で、注目を集めるのも致し方ない。


「うん、これうまい。辛いけどクセになるな。とっつぁん、それ残すんならもらうよ」

「誰が残すと言った! いい加減そのドケチはどうにかならんのか!」


 どれも見たことが無いものばかりの料理は、見た目の華麗さだけでなく、さすが味も外れがない。香ばしく揚げた魚は芸術的に立ち上がって、ツヤツヤの甘辛い餡を絡めてあり、海のものか山のものか判別がつかない姿煮は噛むとじゅわっと旨味があふれ出す。みずみずしい葉物野菜にはしっとりした蒸し肉とキンと冷たいジュレが品よく鎮座し、キリリとした果実酒が辛味をリセットしてくれるので、また次を食べたくなってしまう。


 暑い国ゆえ食べ物が傷まないよう、辛味を効かせたりスパイスをふんだんに使った味付けは、ブレア国にはないものだ。

 そんなヴェンツェルにクリスティーナの顔がほころんだ。


「ヴェンツェル殿の食べっぷりを見ていると、こちらまで嬉しくなるわ」

「うまいものはうまいと言いながら食べた方がもっとおいしくなるでしょう?」

 それを聞いたエルンストが「うまい! からい!」と叫ぶと、とっつぁんが「殿下、言葉遣いにお気をつけなされ」とたしなめた。


「この飾り切りの技術は大したもんだ。ぜひこの職人に会ってみたいね」

 フィストは全く別の観点から、繊細に切り込みが入った薄切りの瓜を光に透かして眺めている。


「よしヴェンツェルよ、皇帝の兄弟について今一度教えてやるから、よーく頭に叩き込むのだぞ」

 顔を赤らめているとっつぁん。慣れない酒にもう酔ったのだろうか。護衛として失格だ。


 皇帝の席を扇の中心の留め金に、左右に張り出すように兄弟たちの席は配置されている。


「長男の一帝はムスッとして冗談の一つも言えぬ、つまらん男だな。まずそうな顔で酒を飲んでおる。政治も四角四面」

「なにその覚え方」


「こうでもせんとお前は覚えないだろう! 次だ。二帝は派手好き戦好き。父である先代皇帝に一番よく似ている」

「あ~、見た目からして酒好き女好き征服大好きって感じだな」

 筋骨隆々でいかつい二帝と三人の息子たちは全員、褐色の肌に見事な銀髪、紫水晶の瞳だ。一番下はまだトーゴと同じくらいに見える。それぞれに女たちをはべらせ、あそこだけ雰囲気が違う。その後ろには腕組みしたヨハンが静かに控えている。


 そういやあいつ、辛い物は得意じゃなかったが、食事に不自由はしてないだろうか。


「三帝は周りに興味なし。政治にも領土拡大にも興味なし」

 本当だ。周りと談笑するでもなく、一人楽の音に聞き入ったり、あまつさえ本など読み始めてしまっている。

「あれで本当に統治帝やってるのか?」

「実質は隣の宰相が仕切っているらしい。領地は八人の中で最も小さいそうだ」

「なんて言うか、不向きなのに他は選べなかったんだな」


「そして四帝はドケチ」

「へぇ、キミと気が合いそうじゃん」

 フィストと共に四帝を見ると、重臣と笑い合っている。雰囲気は良さそうだが、ヴェンツェルは即答した。

「私はケチな男は嫌いだ」


「五帝は皇帝で、六帝は来ていないな。次の七帝は地味だが悪い噂を聞かない。そして八帝は砂漠で会ったからもう顔と名前は覚えたな?」

「う~四以降は自信ない!」


「不思議な事に、あの紫色の瞳は帝国男系皇族だけに継承する色だそうだ。確かに、エルンスト王太子も弟妹君も、クリスティーナ様ではなくフェルディナント陛下と同じ色になったからな」

「ふぅん……」

『静剣リュート』も紫水晶の瞳をしていたのを思い出す。


「この兄弟たちが互いを蹴落としたがってるんでしょ? やだねぇ。ボクも男五人兄弟だけど、そういうのはなかったな」

 フィストがグイっと杯をあおる。


「王族や皇族の選択肢ってのは、案外少ないんだろうな」

 それは隣のクリスティーナやエルンストをおもんばかった言葉だ。以前のヴェンツェルでは、出てこなかっただろう。


 その時だった。ハーレム席の二帝が皇帝に向け声を上げる。

「皇帝陛下、余の護衛は狼と呼ばれ、かつて陛下が戦勝を上げたヘルジェン王国とも戦った男です。聞けば、ブレア国から特使として参ったのは、そのヘルジェン王を倒した『鋼鉄のヴェンツェル』とか。無敵を誇る余の狼と鋼鉄の傭兵、どちらが強いか見てみたくはありませんか」


 若干引っかかる言い回しだが、大広間は静かに沸き立ち、パラパラと拍手まで聞こえる。

「余興にちょうど良かろう」

 皇帝は軽く頷いた。


 おい、ふざけるなよ。ヴェンツェルはもう少しで大声に出すところだった。

 全統治帝とその護衛、全員の目の前で戦い手の内を晒すなど、阿呆の極みだ。ましてや相手はヨハンなのだから、ヴェンツェルは持てる技の全てを出さねば勝負にすらならない。


 戦の将である皇帝にそれが分からぬはずがないのだ。

 ———つまりこれは、試されている。

 ここでうぬの能力や戦い方を晒した結果、あっけなく攻略される程度なら、今この場で死ぬがよい。

 皇帝の目がそう語る。

「だから余興ってわけかい」


「おやめください皇帝陛下! このような宴の場で流血沙汰など、子供もいるのですよ!」

 クリスティーナが咄嗟に反論するが、「では刃ではなく訓練用の木剣を使え」と命じられるだけだった。


「ヴェンツェル殿、大丈夫ですか。ヨハン殿は仲間でしょう?」

「傭兵である以上避けられないことだ。お心遣い、感謝しますよ。無用と思うけど、一応フィストより後ろに居るように。狙われないとも限らないから」

 動揺を見せないよう、最大限の気を遣ったつもりだ。それが通じたのかクリスティーナは大人しく引き下がる。


「わかりました。どうか無理をしないで」

 小さく頭を下げて、ヴェンツェルは席を立った。


 無理をしないで、では済まないのだ。クリスティーナは大きな勘違いをしている。

(あいつは木剣でも私を殺せるんだよ)

 無論、皇帝は承知の上だろう。


 さっきまで美麗な踊り子たちが舞っていた広間の中央に立つと、腰に下げた真剣と引き換えに木剣を受け取る。反対側ではヨハンが同じように剣を外している。


(普通に戦って、私が勝てる可能性は万に一つもないな)

 なにしろこの二年間、実戦から遠ざかっていたのだ。訓練はして体も鍛えてきたが、やはり命懸けの実戦とは違うし、二年前ですらヨハンとは十回やって二回追い込めれば良い方だった。


 しかもヨハンのあの目、本気だ。ヴェンツェルを通して異界テングスを見ている。

(これ瞬殺されるかも)

 ここはホストの皇帝に花を持たせるべきと思うが、きっと二帝は弟に対してそんなつもりはないだろうし、ヨハンはそういう忖度そんたくは分かっていてしない奴だ。


 ヨハンが構える。

 さらりとした長めの明るい茶髪、淡いグレーともはしばみ色ともつかない色素の薄い瞳に、濃紺の帝国式の衣服がこれ以上なく似合って、シャープな美貌をより引き立てている。


 体の内側を整えるように、大きく二つ呼吸をする。両手で木剣を握る。

 瞬間、ヴェンツェルの集中が極限にまで高まる。


「行くぞ!」

 飛び出したのは二人同時だった。

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