3 静剣リュート

 謁見を終え大部屋に戻ると、やれやれと腰を下ろしたとっつぁんが茶を含む。砂糖を加えずともほんのり甘みがある茶はブレア国では高級品だが、帝国本国では広く流通しているものらしい。


「クリスティーナ様を危険にさらしたと、いきなり皇帝に殺される覚悟でおったが、首はつながっているな」

「相変わらず心配性だな、とっつぁんは。にしてもこれ、人数多すぎて全然頭に入らないんだけど」

「せっかくこの私が直筆で書いてやったのだ。まず覚えなければ護衛として話にならんぞ!」


 七人の統治帝とその家族の情報を知らなければ、敵味方を見分けることすらできない。とっつぁんが紙に書いてくれたのだが、あまりに登場人物が多いうえ、馴染みのない帝国式の名前で全く覚えられる気がしないのだ。


 他の傭兵団メンバーは休む間もなく情報収集に出ている。敷地内と建物の配置、間取り、皇帝の他に七人いる統治帝兄弟の持つ戦力、力関係や人間関係など挙げればキリがない。ベルントはフィストと、セバスチャンとトーゴは共に行き、ユリアンは王太子エルンストの遊び相手、残ったヴェンツェルととっつぁんが留守番になった。

 全員の念頭にあるのは、もちろんクリスティーナとエルンストを狙った犯人だ。


「あ~、昔から暗記は苦手なんだよ」

 ヴェンツェルは紙を放り出し、テラスで足をぶらぶらしながら庭の水路を眺めていた。ブレア国にいた時は水など何とも感じなかったが、灼熱の国では万物の源のように思えてくるから不思議だ。


「失礼するよ、『鋼鉄のヴェンツェル』」

 入り口の引き戸の方を見ると、開けた扉に男が寄り掛かっている。背が高く、鍛えた体つきだ。


「あんたは……砂漠で会った」

 砂漠では頭巾を被って顔を隠していたが、くすんだ薄紫の前合わせの衣と、強い光を宿した紫色の瞳は、欧葉オウハ帝と共にいた傭兵に間違いない。長い黒髪を下ろして、整いながらもどこか子供の無邪気さを残す顔立ちをしている。

 フィストも灰色の長髪だが、髪に幸運が宿ると考えている者は多い。


「俺はリュート。帝国出身で、あんたと同じ傭兵だ。よろしく」

 すたすた遠慮なく部屋に入って、ヴェンツェルが座り込んでいる広いテラスまで来ると、放られた紙を拾い上げる。


「なにこれ? あぁ、統治帝たちの名前と家族構成か。馴染みのない人はこれ覚えるの大変でしょ?」

「漢字の名前が全然頭に入ってこなくて、もう心折れそうだ」

「全部数字でいいんだよ。一帝、二帝、一帝の二男って具合にね」


「ふぅん。あんたの雇い主の欧葉オウハ帝は、えーっと、八帝なんだな」

「うん。皇帝の末の弟だ」

 リュートの明るい紫水晶の瞳がきらめく。綺麗な色だと思わず見入ってしまう。


「さっきは世話になった。クリスティーナ様を救ってくれて感謝している。砂嵐の中とはいえ、もっと警戒するべきだった」

砂暴ルザヴィグ相手じゃ厳しいよ。俺だってたまたま気付いただけさ」

「さっきもそう言ってたな。何者だ?」


「砂漠を根城にする犯罪集団だよ。この国で黒いものには全て奴らが関わってると思った方がいい。砂漠は奴らの庭だから、オアシスを使うにも砂暴の”許可”が要る。砂漠に入る前、ガイドに金を払っただろう? あれも砂暴の手の者だよ」

「くそ、なのに襲ってきやがったのか。金返してもらわなきゃな」


「そっち? あんた面白いなぁ」

 リュートは目尻にしわを作って笑う。年齢はヴェンツェルより少し上だろうか。

「そう言いながら早速敵陣視察か?」

 茶を飲みながら、とっつぁんが鋭い目をリュートの背中に向ける。


「興味津々なだけだよ。賊との戦いを見てたけど、あんたたちすごく強いね。やっぱ世界は広いや」

 きらきらした目を向けてくるリュート。


傭兵団長クロムヴェンツェルは、大陸東部では最強って言われてるんでしょ? あの『雷帝クヌード』を倒した」

 言われている。が、当の本人に全くその自覚はなかった。


「俺はヘルジェン王国と戦ったことは無いけど、相当厳しい戦線だって聞いてる。あんたの名は伊達じゃないってことだ」

「だから何だ?」

「でも俺なら、あんたの鋼鉄の体を斬れるかもな」


 一筋の悪気もなくリュートは言った。嫌味や、傷つけ挑発しようというよこしまな感情が入り込む余地なく、ただ力比べで勝ちたい。そんな風だったから思わずヴェンツェルは笑ってしまった。


「あんた、もしかして『静剣リュート』かい」

 戦場でまみえたことはなくても、その名は聞いたことがある。その剣捌きは殺されるまで気付かぬほど速く、静かだと。


「え、俺のこと知ってるの? 嬉しいなぁ」

 すると遠慮なしにヴェンツェルの顔に顔を近づけ、頬に手を添える。

「さっきの笑い顔、すごいかわいかった。思ってたよりずっときれいだし、好きなタイプだなぁ」


 その言葉は、灼熱の地でヴェンツェルを凍り付かせた。とっつぁんが盛大にむせて茶を吹く。

「そうやって人をからかうな。私は男だぞ」

「嘘つけ。俺には女にしか見えないよ」

 ヴェンツェルは手を振り払うと立ち上がり、リュートから離れた。


「へえ、鋼鉄の体って聞いたけどお尻は柔らかいんだな。上に乗ってくれたら気持ちよさそう」

「……!」


 声を失ったのは急なセクハラにではなく、尻を揉まれるまで全く気付かなかったからだ。ヴェンツェルが立ち上がって距離を取ったとき、リュートは確かにしゃがんでいた。それが立ち上がり近寄ってきたのなら必ず動きを感じるはずだが、一切わからなかった。


 ヴェンツェルの肘が走るが、既にリュートの体はそこに無く、肘は空を突くだけだ。

「くそっ……!」

 静剣リュート。なんて奴だ。


「また宴で会えるよね。そうそう、俺の他にもう一人とんでもない奴がいるよ」

「キサマ! 初対面でいきなり人の尻を触るとは一体どういう教育を受けてきたのだ!」

 するといきなり怒鳴りつけるとっつぁん。


「あれ? そう言うとっつぁんも昔、いきなり私の胸つかんだよな?」

「その話を今するなぁ! つかむほどの胸もないくせに! 私はお前のために抗議してやってるのだぞ!」

「へぇ、とっつぁん優っさしい」


 そのやりとりを見つめていたリュートがハハッと笑う。

「そのうち嫌じゃなくさせてみるよ、きっと」

「おのれ、また触るつもりか⁉」

 再びヴェンツェルより先に答えるとっつぁん。


「タダでってわけにはいかないな。とんでもない奴ってのは何者だい? 教えな」

「お前! そんなあばずれだと思わなかったぞ⁉」

「いや最初にセクハラしたのはとっつぁんだよ?」

「ぐぬぬ……! 昔の話だ!」 

「こういうのはね、された方はずっと覚えてるもんだよ」

 するとリュートが困ったようにゴホンと咳払いしたので、どうぞと促す。


「そいつは二帝に雇われた傭兵だ。細身なんだが、恐ろしく速いし一撃で確実に急所を仕留める。不思議なことにどんな攻撃にも当たらないんだ。まるで動きが全て読まれてるみたいにね。元々東部戦線にいたって聞いたけど、二帝に雇われてわずか二年でその名を帝国中に轟かすまでになった。今や『砂漠の狼』って呼ばれてて———」


「ぅげっ…!」

 ヴェンツェルは目を見開いた。

「なに、知り合い?」


 狼と呼ばれる傭兵。傭兵界広しといえと、そんな男は一人しかいない。ヴェンツェルが傭兵界最強の『雷帝クヌード』を倒せたのも、ヘルジェン国王アドルフを討てたのも、半分以上はその男のおかげだ。


「『孤狼のヨハン』だろう?」

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