3 傭兵なら
三人の男はそれぞれ間を取り訓練用の木剣を構えた。一方ヨハンは軽く木剣を握り、肩幅に足を開いたたままじっと相手を見据えている。
いや、見ているのはその向こうの
三人が同時に地面を蹴る。だがヨハンの木剣の動きの方が速い。まずは左から来た男の横腹に強烈な一撃を繰り出す。振り下ろされ、突き出された剣の先に既にヨハンはいない。左の男へ、更に上から二打目を叩きこむ。これで一人倒した。
続いて真ん中の男、ヘンドリクの攻撃をはじき返すと、その間に飛び込んできた右の男を蹴飛ばす。
蹴飛ばした方へ間髪を入れず追撃、呼吸一つの間に三打入っている。鞭のように横から腹部を切り上げた。絶息して男はうずくまる。
残ったヘンドリクの猛攻。三度、四度と受け、次の攻撃をいなした後のほんの一瞬で、流れるようにヨハンが背後に回った。そして木剣で切り落とせると思わせる動きで、ぴたりと首筋に止める。
全く反応できなかったヘンドリクの体から、がくりと力が抜けた。
「すげえっス…」
十秒かからなかった。全員が息を止めて食い入るように見つめていたが、ついていけたのは何人いただろうか。
「見ただろう、一騎当千とはあいつのことだ。私たちと組むことは、クヌード団にとって損じゃない。格下だと思わず、契約金はそれを踏まえたものにするべきだ」
ヴェンツェルはイーヴに向け口角を上げてみせる。
「…この商売上手が」
そしてイーヴが指名したのはユリアンだった。神がかったヨハンの圧勝後で、ものすごく気が重い。気のせいか体も重たい。
「ユリアン」
すれ違うヨハンは、一つも息を乱していない。
「ヴェンツェルに必要とされたいなら、自分でつかめ」
「いや、でも、オレ…」
イーヴと自分じゃ経験値が天と地ほども違う。まず勝てっこない。
「お前が必要なんだとヴェンツェルに思い知らせてやれ。傭兵団は強さが全てじゃない。俺たちはクヌード団とは違うだろう」
言われて分かった。本当は怖かったのだ。遠くなってしまったヴェンツェルから要らないと思われるのが。
ヨハンには絶対の実力がある。セバスチャンは情報収集と料理が上手だし、アンナさえ身の回りの世話で
けれど、自分はどうだ。オレが居て団長に何か得があるのか。ただの穀潰しなんじゃないか。一人になるとずっと考えてしまう。
けれど、傭兵団は強さが全てじゃない。ヨハンさんほどの人がそう言うんだから間違いない。
ユリアンが頷くと、ヨハンはちょっとだけ微笑んだ。
対峙したイーヴは手も足も長く、体が小さいユリアンには不利な事ばかりである。
「なんでオレなんスか。隊長ならそこは
「若者が必死こいて頑張ってる姿を見るのが、おっさんの喜びなんだよ」
あんたの楽しみに付き合わせんなよ、と心の声で毒づく。
ヴェンツェルが見ている。構えた。
打ちに行く。イーヴは反撃せず、様子見だ。しばらくすると挑発が始まる。
「おいおい、こんなもんか? 殺す気でかかってこいよ!」
言われなくても全力でやっている。
「はあああああっ!!」
「見損なったぞ? 何しに来たんだ」
長いリーチの鋭い突きはユリアンの眉間を狙ったものだった。避けるがかわしきれず、こめかみに痛みが走る。
あのスピードで眉間を突かれたら、木剣とはいえ無事では済まないだろう。
何しに来たんだ。一撃も当てることができずに死ぬのか。イーヴの言う通りだ。
激しい熱さが突き抜ける。
「うおおおおおおぉぉぉっ!」
力が溢れて、振り下ろす木剣の勢いは増したようにみえた。しかし、
「感情に振り回されるな。動きが見え見えだぞ!」
イーヴには受け流されてしまう。
「余計なもんは全部捨てろ! 命に執着するな! 体ん中全部、俺を倒すことだけにしろ」
ユリアンは二つ呼吸を整えた。
何も考えない。ただただ一撃に集中し、イーヴの攻撃を押し返した。木剣が体に当たって体に痛みが響いても、無視することにした。守ることなどせず、ひたすらに攻め続ける。
そして、気付いた時には上下がひっくり返り、白い雲とヴェンツェルの顔が見えた。
「気付いたか。ゆっくり起きてみな」
「あ、オレ、気失って…?」
「ほんのちょっとの間な」
起き上がったユリアンの頭を、ヴェンツェルはデコピンする。
「痛ってーえ!」
「まったく、死に行くような戦い方して。私はおまえにあんなの教えたつもりはない」
それでも! と反論しかけたがやめた。ヴェンツェルの目が揺れていたからだ。
「戦場であっても、生き延びることをまず考えろ。死ぬ為の戦いはするな。おまえは強くなったけど、死ぬにはまだ早すぎる。私にそんな姿を見せないでくれ」
納得はできない。だってオレは、
けれどヴェンツェルのために頷いた。
立ち上がり、イーヴの元へ向かう。頭を下げて立ち去ろうとした時、
「それでも傭兵なら、誰のために命を使うか自分で決めたい。そうだろ」
二人の間にしか聞こえない声でイーヴは言った。
◇◇◇◇
夕暮れになり、焚き火を囲んで宴会が再開される。
中座したヴェンツェルは自分の幕舎に戻り、帳簿を確認していた。一日の終わりに陣内を一回りするのが日課なのだ。普通は報告を待つものだが、自分の足で回って報告を求めた。
「所詮は傭兵あがりだから」
また、兵士たちにはまず腹を満たしてやることだと思っている。そんな話をコンスタンツェにしたら、司令官の妻名義で大量の焼き菓子や酒が届くようになり、近頃は食べ物目当てで入隊してくる者も少なくない。
その時入り口にぬっと黒い大きな影が現れ、一瞬ビクッとなる。
「なんだ、イーヴか。驚かせるな」
イーヴは興味深そうに幕舎内を物色しながら近寄ってきた。
「なあ、ヴェンツェル」
いきなり腕を取られた。距離が近い。真剣な顔が何かを求めて見つめてくる。
「なんだよ…」
「よく生きて戻ったな。本当に見違えた、昔と比べて」
「…ちょっとは強くなったか? あんたから見て」
イーヴの目が暖かな光で笑う。
あぁそうだ、以前、この光に心を明け渡したっけ。それは心地良いものだった。
しかしもう一度腕を引かれて、目の前に迫ったイーヴの胸を押し返す。
「よしてくれ。何年ぶりだと思ってるんだ」
「ほぉーぅ。さては好きな男がいるな?」
思わず詰まる。
「お前、自分じゃ気付いてないだろうが、結構顔に出るからなぁ」
二度目である。これはもう認めるしかないだろう。
ヘルジェン
掴まれた腕ごとものすごい力で引き倒され、目の前に刃が迫っていた。
「…っ!!」
反射神経でイーヴの手首を掴んで、顎すれすれのところで短刀が止まる。しかしイーヴは逆の手で、ヴェンツェルの喉頸を握り潰してきた。
声を出すこともできず、苦しさに暴れるが、のしかかってきた大きな体はびくともしない。喉を掴む腕を引っ掻き、引き剥がそうとするが無駄だった。苦しさに涙が出て、次第に力が入らなくなり、再びイーヴの短剣が閃く。
やられる。ヴェンツェルは覚悟した。
イーヴの攻撃は、数少ないヴェンツェルの弱点を確実に狙っていた。喉頸(首の前面)には強化された骨がないから、そっと刃を差し込むだけで済む。
だが、イーヴはそうしなかった。刃を構えたまま、瞳と唇を震わせていた。
その隙に渾身の力で上体を起こし、顎に鋼鉄の拳を当てる。
体を
我を取り戻したように、イーヴが刃とともに向かってくる。
「なんのっ…つもりだ!」
咳き込みたいのを抑えて応戦する。
「
「それはつまり雇い主の、アドルフの命令だな?」
短剣を握る手に力をこめる。苦しいのを飲み込んで前に踏み込む。
「なら私も引き下がるわけにいかないっ!」
イーヴの刃にはもう戦意がないのを分かって、それでもヴェンツェルは攻め続けた。
同じルトガー団の時代から、イーヴには一度も勝ったことがなかった。純粋に強かったのだ。てっきり
だから、俺と一緒に来ないかと誘われた時は心が揺れた。大げさでなく飯も喉を通らぬほど悩んだ。
「あんたの足手まといになりたくなかった。だから私も早く
ヴェンツェルの刃がイーヴの腕を切り裂く。ポタポタと血が滴る。
「それが、こんな結末のためだというのか?」
イーヴは切られた腕を押さえながら、ふっと目尻を下げる。
「ごめんな、ヴェンツェル」
イーヴが幕舎を出て行くと、思い出したように咳込んだ。体を折って、座り込む。苦しいのは呼吸ではなかった。
「ヴェンツェル、イーヴたちが急に帰っていったぞ。何かあったのか」
ヨハンだ。敷物に突っ伏しているヴェンツェルの姿を認めると、駆け寄ってくる。喉に赤く残された指の跡を見て、はっとした表情をした。
「…心配ない。昔馴染みだと思って油断したんだ」
ヨハンが隣に来て背中をさする。
「イーヴからは、おまえへの想いしか聞こえなかった。おまえも嬉しそうだったし…だから…」
「私がクヌード団を甘く見てたんだ。おまえが気にする事じゃない」
咳込んで声が裏返りながら、手が震えているのを見られたくなくて自分の腕を抱いたが、ヨハンの前では隠しても無駄なのだ。
早く出て行けよ。聞こえているくせに彼はずっと背中をさすっていた。
「…傭兵なら避けられないことだ。けど、おまえがここを出て行っていつか敵として現れたら、私はまたこんな思いをしなきゃならないのか?」
しばらくの沈黙の後、ヨハンは答えずに腕を下ろした。
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