第035話 誠実な男

窓から朝日が差し込み、小鳥の囀りが聞こえる。


幼馴染の少女は無防備な寝顔を晒している。

長く黒い髪に白い肌、綺麗なうなじが見え隠れしている。

寝顔は天使。まさしくそれだと思う。一体、誰が言い出した言葉なんだろうか。

可愛いと綺麗。その丁度中間といえばしっくりくる。

僕は今、そんな少女に抱き枕にされている状態だ。


寝覚めが近いのか、彼女が寝返りをうつ。ようやく解放された。

僕は逃げるようにゆっくりと身体を起こす。


二度目の朝チュン。


前回は速攻で気絶させられ、目が覚めても全く動けないという最悪の気分だった。

今回は今回で、ある意味最悪だった。何せ一睡もしてない。


年頃の女の子に抱きつかれて、脚を絡められて、胸を押し付けられて、スヤスヤと眠れるわけねーだろ!


彼女がモゾモゾと動くたび、理性が飛びそうだった。

“変な事をしない”という約束を、忠実に一晩守った自分自身を褒めてあげたい。


僕は誠実な男だ。


⋯⋯もしかして不能なのか?


いやいや、息子さんは一晩中ずっと元気ですよ。ホント。


この生殺しのような状況、流石に自室に戻って“処理”をしてたい。

そのあと一眠りしたい。

昼まで寝てても、誰も僕を責めないはずだ。


彼女を起こさないよう、ゆっくりベッドを降りる。

忍び足でコソコソと動き、静かに扉を開けて部屋を出た。


「キャ!」

「ん?」


扉の前には、何故か女性がいた。

優しい表情、ゆったりとしたローブ、長い赤髪をした女性。

セイナだった。


「おはようございます。こちらの部屋がジンの部屋でしたか。 ではこの右隣がカヨの部屋ですね」


僕の頭はフリーズした。


「んー?」


間の悪い事に、後ろでカヨが目を覚す。その声にピクッと反応したセイナ。


展開、ベタ過ぎない?


セイナは扉の奥を覗き見る。

彼女は口元を押さえてニッコリと笑った。


そして僕の股間もチラリと見る。


「あらあら。あらあらあら。そんな、シングルベッドでご一緒なんて⋯⋯失礼しました」


彼女はくるりと振り返り、立ち去ろうとしていた。


「待てセイナ!」


ガシっと肩を掴んだ。


ここで逃してはまずい。

誤解を解かないと。

いや、そもそも誤解? 誤解なのか?

一晩同じベッドで寝ていたのは事実だ。

一切、行為を及んでいない。


あー⋯⋯いやそんな話を信じられる訳ないですよねー?


「ジン、迫る相手を間違えてますよ」


セイナはふふーんと笑いながら僕の手を払いのけた。


「待て、話を聞け」


あまりの慌てように僕の敬語が崩れる。


「カヨは僕の部屋の左隣だ! あの閉まってる扉からカヨが出てくる!」


何を言ってるんだ僕は。イリュージョンかよ!

自分に突っ込みたくなった。


「何を言ってるんですか。カヨはあなたのベッドで寝ていたでしょう?」

「いいや、違うね。ちょっと待ってろよ!」


僕はダッシュで部屋に戻り、鍵を締める。

ベッドの上には寝ぼけたカヨがいた。


「ジンがなんで私の部屋に⋯⋯あっ!⋯⋯ああ⋯⋯!」


彼女は彼女で、段々と昨晩の事を思い出してきたようで目が泳いでいる。


だがそんなのは知った事か、今はそれどころでは無い。


僕はしーっと人差し指を立て、小声で話す。


「カヨ!緊急事態だ、僕がこの部屋から出るところをセイナに見られた! 壁を抜けて僕の部屋から出てきてくれ! 頼む」

「え? え? どういう事?」

「頼む!」


寝起きにこの情報量。 彼女は事態を把握していない。


ーーコンコン


左隣の部屋⋯⋯つまり僕の部屋をノックする音が聞こえた。


「カヨ、起きてますか? ジンにこの部屋だと聞きました」


セイナの大きな声が聞こえる


「おかしいですね⋯⋯もしかして、他の部屋で寝てるのですか? 誰かと寝てるのですか!?」


あ、朝っぱらから何を口走ってやがるあのアマァァ!


カヨは焦りながら魔法を唱えた。


「な、な⋯⋯!!ーークアンタマイズ!」


彼女は壁を抜けて僕の部屋にダイナミックエントリーしていった。


よし、これで何とかなる。


「セイナァ!」


僕は部屋から飛び出た。


「セェイナァァァ!!」


カヨも隣の部屋から飛び出る。僕よりも気合が入っている。


「あ、あれ? どうして隣の部屋から?」


予想と違う展開に驚きを隠せないセイナ。


「私が誰と寝てるって!?」


「いえ、ジンと同じ部屋で寝てるのかな?と」


「見ての通り、隣の部屋で寝てたわよ!」


セイナはため息をついて残念そうに頭を振った。


「はぁ⋯⋯なんだ、私の見間違いでしたか」


「ええ、そうよ!」


まあ、見間違いじゃないんだけどね。


「それでこんな朝から何の用かしら?」


凄い迫力でセイナに迫るカヨ。


「え、延期になってた北壁の迷宮ですが、明日行きませんか?という相談です」


カヨは荒い鼻息を少しずつ収めていき、対応する。


「ふー⋯⋯分かったわ。ジンもいいわね?」


「ああ、体も装備も問題ないよ」


セイナは今までの事をごまかすかのように笑顔で対応した。


「では午後2時にギルドで打ち合わせをやりますから、来てくださいね」


セイナはこちらをチラチラと見ながら、何か言いたげに去っていった。


廊下に残される僕とカヨ。セイナという嵐が去り、安堵する。


「⋯⋯」


「⋯⋯」


ゆっくりと横を見ると、彼女と目が合ってしまった。


「⋯⋯」


「⋯⋯」


沈黙が流れ、カヨの顔が赤くなっていく。僕もちょっと直視できなくなった。

そう言えば死ぬほど恥ずかしいから、ほっといて欲しいって言ってたな。栗栖ジンは約束を守る男だ。


よし、ほっとこう。


何も言わず⋯⋯いや、何も言えず、そそくさと僕は部屋に戻った。

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