戦後70年談話についての私見

くねべてかち

2015年8月14日の安倍談話を読んで、当時思ったこと


安倍首相の戦後70年談話全文

http://www.sankei.com/politics/news/150814/plt1508140016-n1.html 他



 今回の安倍談話は、

有識者の意見を集約しただけあって個人的には良い内容だったと思う。



 これまで存在しなかった

「太平洋戦争について日本側からみて総括したもの」

の1つと言ってもいいのかなと。


 「村山談話」の村山元首相や、14日放送の某報道番組などでは、

被害国側の気持ちを過度に気にして、談話のあれがダメ、これがダメ

と言っていたが、全面的に譲歩して相手の望み通りになることは

真に「オトナ」と「オトナ」が対等で良好な関係を築くキッカケとはならず、

むしろ、2時間ドラマなどで相手の弱みを握った奴がそれをネタに

恐喝をし続ける、ああいう関係性になっていくような気がしてならない。



>日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。

>あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の

>子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。


 その通り!


 謝罪の心を常に持たねばならない相手の国を、「友人」とか「友好国」とは言えない。近隣のあの国々とは友好国になれないよって状態で、次代にバトンを渡すのは忍びないことだ。



 今はまだご高齢の元兵隊さんも数多くいる状況だから、

「謝罪しろ!」と求められても仕方ない部分もあるが、さらに年数が経てば、

かの侵略戦争に参加した日本人がお1人もご存命でない時代が必ず来る。


 もしその時になっても、「謝罪しろ!」と言い続けられていたとしたら、

未来の日本国に対して、

その国と「友好国」になりたいと思うのは無理だ、諦めろ!

と、私なら言うことだろう。



 侵略した国と、された国、それでも掛け値なしに仲の良い友好国になるには

「された側」に許すと言ってもらうしかないのだ。

そして、それは相手に一任されているので、日本側からお願いできる立場にない。


 だから、未来においても、「謝罪しろ!」って言われていたなら、

それはもう「友好国にはなりませんよ」ってことと同意なのだから、

諦めたうえで、それ前提の関係性をその後は構築していくしかないのだと思う。



 これは決して逆ギレで言ってるのではない!


70年という時間は長い。すでに人1人の平均寿命に肉薄してきている時間だ。


 ここまで時間が経ってもなお許さないという人たちに対して、

「それでも許してもらえるまでひたすら謝り続けたい」という

何割かの日本国民の想いは、もはや誠実さではなくエゴではないだろうか?

と思うのだ。



 もちろん子孫として、先輩方のおこなったことへの反省と、

反戦への思いは持つべきと思う。


が、謝り続けることの必要性についてはハテナである。




 身近な例を挙げよう。


 親しい友人を傷つけてしまい、「絶対に許さん」と言われたとして。


 そういう精神状態の相手に対し、

とにかく謝罪し、許しを請うことは絶対必要だと思う。しかし、

「何度謝られようが、今日は絶対に許さん!」と念を押された場合に、

さらにしつこく謝り、「今、許すと言ってくれ」と求めることが

果たして誠実なのか?


「それでも許してもらえるまでひたすら謝り続けたい」

という考えそのものが、相手には押しつけがましいと思われている可能性もなくはないのだ。



 フランス、イギリスなどの欧州諸国は、ドイツを許した。イタリアも許した。

しかし、日本は近隣のどの国からもいまだ許されていない。



 その違いは何なのだろう? 日本が悪い?


 いや、単純にそうとは言えないと思う。



 例えば、韓国は当時の従軍慰安婦への賠償金を「日本国」として払えと言っている。日本の民間団体などに集まったお金の受け取りを拒否した上でのことだそうだ。

 飛躍しすぎかもしれないが、私には、それは日本側のかつての過ちをネタに

恐喝する側とされる側の関係をまだ続けたいって要求のようにも思える。

 少なくとも、韓国側のこの要求は「友好国」になりたいがための要求ではないのは明らかだ。



 許す者と許される者が真に雪解けするときは、

許す側の「寛大な心」が不可欠だ。



 遺恨を残すような解決策を求める「許す側」は、まだ許さないと言ってるのと同じなので、私は、「日本の現首相、韓国の現大統領とでは無理ですね」と早く結論付けて、その結論の上でできる最上級のことはどういうことかを探り合った方が互いに有益と思う。



 例えば、北朝鮮は……。この国のことは論じられる段階ではないだろう。


 ずっと反日感情を抱えたうえで、拉致問題を起こし、

一方では反日感情を共有する韓国とも不仲だ。中国とも微妙と言われるし。

いずれにしても、中韓と仲良くなってもらうことが先決なので、それを願うのみだ。



 例えば、中国は数年前に、日本製であるというだけで日本車を破壊し、

日本の商業施設というだけで暴徒が暴れ、店内や窓ガラスをぐちゃぐちゃにした。

 これについては、中国国民による中国共産党への不満を緩和する捌け口にされたという説が当時の日本のマスコミのあいだで語られたりもしたが、

そんな考察に何の意味があるのか?


 国内の反日感情をコントロールすることに中国共産党にメリットあり

と考えている中国はもはや戦争による傷は完全に癒え、日本が望まない方向へと

その後のステップを一段一段駆け上がっていってるように思えてならない。


 一方で、中国人がインバウンド消費のため来日して大量買いしていく実情からして、中国国民の上流階級および中流階級の大多数は、すでに反日感情などないように思える。


 自分たちにとって得か損かという尺度で物事を考える中国人に対して、

許しを請い、「友好国」となってくれと望むことは、そもそもピントが合ってないのではないか?


 それは中国に、掛け値なしの「友好国」が1か国も存在しないことからも明らかだ。



 太平洋戦争と限定すれば、日本が唯一の敗戦国である。

さらに唯一の被爆国でもある。


 悲しいことだが、同じ気持ちを共有できる国はどこにもおらず、

なぐさめ合える国はどこにもいないのだ。



 敗戦国日本側の心にできた大きな傷について、

戦後70年の間、あまりにも無視し続けられてきた。



 勝てば正義、負ければ悪。



 確かにそうなってしまうが、当時の日本本土への攻撃は本当にやりすぎてはなかったのか?



 人道的な範囲内の攻撃だったのか?




 そのような意味で、精神的孤立をしてきた日本が

70年後の今になっても、国として当時の非を責め続けられて、

しかも日本国民にも同じ気持ちでいろと強要されるのだとしたら、

それは「卑屈」になれと言われてるのと同じ!



 さすがに、そんなのは御免である!




 1日も早く、日本側のつらい立場を配慮してくれる国が現れることを求む。



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