第278話 陰陽和合

 神へと孵化する産道を落下していく俺とセウは恋人のように抱き合いながら睦言を交わしていく。

「馬鹿ねあなた」

「そうか」

 薔薇の棘のように怒った口調で言うセウに俺は羽毛のように軽やかに応える。

 彼女にしてみれば自分を止めて欲しかっただけで、一緒に地獄に墜ちて欲しいわけじゃ無かった。恋人でも無い俺のこの行為は全くの自己満足の余計なお世話というわけだ。

 対照的に俺としてはセウの姫武者のように凜々しい顔も美しい肢体も間近で堪能出来るし、何より自己満足を果たせて俺の心は実に晴れやかだ。

 セウは俺が一緒に落ちてくれた怒りから自我を取り戻している。他人のために怒って自我を取り戻すなんて、どこまでお人好しなんだか。人ごとながら悪い男に騙されないか心配になる。

 だがこれも流星が消え失せるほどのひとときの奇蹟。

 抱き合っている肌から伝わる。

 タワーマンションは電波塔が周りの電波を拾うように、都会に住む人間が発する悪意を拾い集めていく。そして集めた悪意を風船に空気を流し込むようにセウに流し込む。後はセウという風船が悪意に耐えられなくなり破裂すれば地獄という神が現出する。

「そうよ。

 あたしなんかに付き合って」

 本来ならもうとっくに破裂しても可笑しくないのだが、目の前にいる俺を助けたいと必死にセウは内部から膨れ上がる悪意を押さえ込んでいる。

 俺が体験した罪との等価の地獄でも苦しかったのに、セウは濃縮された悪意を注がれその何倍も苦しんでいる。強がって平静を装い憎まれ口を叩くが、俺のセウを抱いている掌がぐっしょりとなるほど脂汗が滲み出ている。

 人のために苦しみに耐えて頑張るセウの顔は俺とは対極で眩しく美しい。

 そんなもの見せられては俺ももう一つくらい馬鹿をしたくなる。

「なら馬鹿にもう一つ付き合ってくれないか」

「何よ」

 駄目な兄を叱る妹のように応える。

「悪意を半分引き受けてやる。だから根性で神への覚醒を耐えろ」

 セウは今奇蹟で戻った自我で制御して神に孵化するのを耐えている。ならばこのまま耐えきってしまえばいい。元々セウが孵化直前にまで熟したから開いた産道、そんなに長い間維持出来るわけが無い。

「ありがたいけど、こんなの半分も任せるわけにはいかないわ」

 セウは今自分が感じている苦しみを俺に擦り付けることに対して拒否感を示す。波柴の馬鹿息子達を地獄に墜とした悪には容赦ない少女とは思えない優しさだ。

 悪には容赦なく弱者には優しく、全ての人間に対して一歩引いてしまった俺とはほんと違うな。

「ば~か」

「なにお」

 俺の馬鹿に仕切った口調に怒るセウ。

「どうせこのままならお前は神に覚醒して俺は地獄に墜ちるんだ。

 勘違いするな、これは俺が助かるための必要なことなんだ。

 半分で足りないなら、俺が助かるために6割でも7割でも引き受けてやる」

「でも」

 なおも躊躇うセウのおでこにデコピンをする。

「痛い」

「だから遠慮するな。俺に神へ覚醒する才能は皆無。ならば幾ら悪意を注ぎ込まれても神に覚醒する心配は無い、どんとこい」

 いくらい注いでも俺は神に覚醒はしない、最悪でも俺の自我が悪意によって消滅するだけだで誰にも迷惑は掛からない。

 セウにしたって神へ覚醒する才能はあるにしても、こうなってしまったのは乃払膜達によって過剰に魔に覚醒した心を研ぎ澄まされ体の穢れを禊ぎしたことで神に孵化する土台が整ってしまっただけのこと。そう容易く神へ覚醒出来るわけでは無い。

「こう見えて俺も男の子、可愛い女の子に頼られれば嬉しいし頑張れる。

 格好付けさせろよ」

 未だ躊躇うセウに俺は笑って言う。

「そもそもそんなことどうやってやるの?」

「丁度俺は男でお前は女。

 男と女は陰と陽、陰陽和合で悪意を互いに循環させることが出来る」

「本気。あたしがどんな女か知っているんでしょ?

 あたしの体穢れているわよ」

 セウは俺を試すようにそれでいて少し悲しそうな目で言う。

「そんな事言えば俺は体は綺麗でも心は穢れているぜ」

 体なんぞ1年もあればすっかり入れ替わって新品、気にすることは無い。それに比べれば囚われる限りいつまでも変わらない心の方が汚い。

「ふふっ、そうかあたし達お相子なのね」

 セウが初めて俺の前で心の底から笑ってくれた、それだけで一緒に飛び込んだ甲斐があったというもの。

 セウは別の道を辿った俺であり俺はセウが選ばなかった道を征く者、セウの救済は自分の救済。

「そうさ。だが代償で互いの過去を垣間見ることになる。

 どうする? 俺を受け入れるのが嫌なら諦める。癪だが殻のオッサンの世界救済とやらの結末を地獄の底からお前と共に見物するのも悪くない」

「いいわ。一緒に地獄に墜ちてくれるいい男なんてそうそう出会えないしね。

 あたしもこんな所で終われない。あたしもあたしのやり方で世界に抗う」

 先程までの自分を犠牲にして俺だけは助けようとしていた下らない自己犠牲はセウから消え去った。己の道を進む強く凜々しい目に戻って俺を見詰めてくる。

 俺を対等と認めてくれたと思えば、俺も心の底から力が湧いてくる。

「決まりだ」

「優しくしてよね」

 セウはこんな地獄の産道に不釣り合いなほどに甘い声で言う。

「悪いが経験不足で約束出来ないな」

「しょうの無い人。そこは嘘でもロマンチックに応えなさいよ」

「なら、最高の一夜を与えてやるよ」

「調子に乗りすぎ」

 そう言って笑ったセウは俺の口を塞ぐのであった。

 そして二人は溶け合い一つとなって墜ちた。


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