第277話 しゃーない
殻が首を傾げて赤い花が飛び散った。
真っ赤なお顔で振り上げた拳を解いて崩れていく。
本来ならこんな姑息な手が通用するような男じゃ無かった。
この地獄で動けるのは俺と殻の二人だけ、その事実が殻に隙を産んだ。
銃声の方を見れば地獄が伸びていくその一歩先でP.Tが硝煙上がるルガーを構えていた。
この地獄で動けるのは俺と殻の二人だけに間違いはないが、元より地獄に踏み込んでないP.Tは何の影響も受けてない。それでも赤い粒で視界が悪く標的は動いているというのに一発で当てるとはP.Tもいい腕をしている。
賭に勝った。
奇襲が通用するのは一回だけの上、下手をすれば俺に当たっていた可能性もあった。そもそもP.Tとは何の打ち合わせもしていない、あのハンドサインの意味を分かってくれるかも分からない上に、P.Tなら分かった上で地獄で足掻く俺と殻の葛藤を見たいと無視する可能性もあった。
だがP.Tの本質は覗き魔、地獄に墜ちる人間は見たくても自分が地獄に墜ちたいわけじゃ無い。地獄が現出すればこのタワーマンションこそ現世が地獄に裏返っていく起点であり逃れようが無い。それは自分が観測者から被観測者になること。己が観測される立場になることなど許しがたい屈辱だろう。
もし逃げ道を見いだせていればP.Tは事の顛末を最後まで傍観していただろうが、P.Tはついに見いだせなかった。地獄で己の我をぶつけ合う男二人は極上のご馳走だっただろうに欲望と誇りを天秤に掛けて断腸の思いでP.Tは地獄を現出したくないという俺との利害の一致で動いた。
まあ俺にとってはP.Tの葛藤なんかどうでもいい、殻と主張を戦わせる青さも無い。目的が果たせればそれでいい。このチャンスに俺は崩れ落ちていく殻の脇を走り抜けようとして、腕を万力の如く掴まれた。
「!」
「行かせん」
血で顔を赤く染めつつも闘志を失わない目で殻は俺を睨み付けてくる。
どこまで深い修羅場を潜ってきた。咄嗟に頭を傾けて銃弾を頭蓋骨で弾いた!?
完全な奇襲に反応出来たというのか、派手に出ている血ほど重傷じゃ無い。一時的な脳震盪が起きた程度か。
俺の腕を力強く握る手は振り解けないどころか、握り潰されそうな握力をしていやがる。
骨が砕かれると思ったとき、唐突に圧力が無くなった。
俺と殻が睨み合う中間、俺の腕を掴む殻の腕が切り落とされ落下していく。
「くせる」
地獄でのたうち回っていたはずのくせるが起き上がって、その扇子で殻の腕を切り落としたのだ。
流石。
俺でさえ適用出来たんだ、くせるが適用出来ないわけが無いが動いた理由は?
地獄の現出を阻止したいのは己以外の者による救済を認めない傲りか?
単純に地獄を知らしめる罰の恐怖による革新を救済と認めないが故か?
まさか地獄で足掻く俺への同情で動いてくれたのか? それはないな、くせるはそんな小局では動かない。達観して覚悟を決めた殻より足掻く俺の先にこそ救済への道が見いだせるとでも思ったか故か?
どれにしろくせるも俺の行動の先に利を見いだし動いてくれた。
「行って」
くせるの言葉に俺は一目散にセウの元へ走り出した。
しかし皮肉だな。
世界を救済しようと大勢のために戦う殻が一人で戦い。
世界の救済なんて考えない己のために戦う俺に協力者が現れる。
まあどうだろうと俺の目的が果たされるのならいい。俺はセウが向かって行く産道の前に立ちはだかる。
「待たせたな」
「・・・」
反応は無い。もうセウとしての自我は無いのか?
そして俺の懐には手榴弾。爆風で赤い粒を吹き飛ばし銃弾を叩き込む当初の計画は遂行出来る。
俺は手榴弾を懐から出してセウの前に掲げるがセウに反応は無い。機械的に進んでくる。
「辞めろっ辞めるんだ」
脇から殻の声が響いてくる。
それは世界の救済を目の前にしてその手から零れ落ちていく絶望に染まった悲痛な声であり、俺が思い直す希望に縋る切なる願いが籠もった声。
だが俺の心に敗者の声は響かない。
俺に言わせれば地獄を見た程度で変わるほど人類の悪意は柔じゃ無い。
プールに墨壽を一滴零すような波紋。それでも革新の一歩と捉えるのが殻で無駄と切り捨てるのが俺。
まあどっちにしろ敗者に世界を変える権利は無い。
権利を手にするのは汚い手でだろうが勝者のみ。
「目を覚ませセウ、俺にこれを使わせるな。
お前ほどのいい女が操られて終わるな、自我を取り戻せ」
最初で最後の説得の叫び。
だがセウの歩みは止まらない。
「くっ」
自分の意思で動くなら躊躇いはなかった。
気に入った女でなかったら躊躇いはなかった。
二つ合わされば俺でもセウの助けに来てくれた時の顔がちらついてしまう。
俺は世界を救わない。
俺が救うのは俺の心。
俺は俺を絶対に裏切らない。
なら答えは出ているな。
俺は手榴弾を投げ捨てた。
「お兄ちゃん!?」
「思い直してくれたか」
「おいおい何をする気だよ」
困惑歓喜期待の三者三様の声と視線に見守られ俺はセウに向かって走った。
そしてセウに恋人の如く抱きついた。
セウをこの腕に抱けば柔らかく暖かい弾力が返ってくる。
生きている。
セウはまだ生きている。
神でもまして地獄なんかじゃ無い少女として生きている。
「一人じゃ辛いよな。
しゃーないから付き合ってやるよ」
強がりでも何でも無い心から望んで俺は笑っていた。
かつて死の淵に己で立つまでに追い詰められた自分。
望まぬままに望まぬものへと羽化する手前まで追い詰められたセウ。
己の意思をねじ曲げられようとして俺もセウも命の限り己の尊厳を懸けて必死に戦う。
力に成りたい、それが俺の素直な気持ち。
俺はセウを抱いたままに産道に飛び込むのであった。
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