第228話 自己紹介

 下界が遠ざかり天が近付く。

 薄汚れたビルの背面を見せられるうんざりするカキワリが取り払われ一気に視界が広がった。

 風が吹き体に纏わり付いた澱んだ空気が一掃される。

 星の海が眼下に広がり、美女を片手に空の遊泳。

 悪くない。

 一瞬だが人生の勝者の気分に浸ってしまう。

 そんな俺の余韻に構うこと無くドローンは仕事を果たす為四方を囲んでいたビルの屋上に降下していく。

 五階程度だったので何とか俺の腕もドローンのバッテリーも保ってくれた。これが十階以上のビルとかだったら途中でイカロスの如く無謀な挑戦の代償に墜落しているところだった。

 降りると同時に俺は最後の力を振り絞ってポニーテールの女を降ろし、ドローンから手を離す。

 ドローンはバッテリーが切れかかったこともあり勝手にスリープモードに切り替わって屋上に着地すると機能を停止させた。後日これを持って帰るのかと溜息を吐きつつ俺は痺れた左腕を擦っていると、此方を睨むポニーテールの女に気付いた。

「そんなにあたしは重かったかしら?」

「いい肉付きだった、誇っていいぜ」

 実際抱いた感触は適度な柔らかさと適度な弾力のブレンドが素晴らしかった。

「はあ~まあいいわ。

 それであたしをどうするつもり?」

 ポニーテールの女は俺と繋がれた右手を挙げつつ聞いてくる。取り敢えず今すぐ俺との縁を切るつもりは無く、今暫くは俺と付き合ってくれるようだ。

 ここでここから戦いになったら先程のチャクラムを操る腕前を見るに、体術勝負では俺に勝ち目はなし策を絡めて互角といったところ、正直救われた。

 俺に惚れた?訳は無く、俺と戦い疲弊したところで殻との連戦になるのを避けた計算なんだろうな。

「取り敢えず自己紹介でもしようか、お互い名前も知らないんじゃ親睦も深まらない」

「ほんと図太いわね。

 まあいいわ」

 ポニーテールの女は呆れつつもどこか興味が惹かれたように言う。

 レディーの許可が下りた以上、男から名乗るのが礼儀だろうな。

「俺は一等退魔官 果無 迫。

 魔の力を使い私的制裁を行った容疑でお前を連行するように言われた哀れな宮仕えだ」

「天影 セウ。

 悪意を狩る者よ」

 俺の嘘偽りの無い名乗りと身分を述べた誠意が伝わり、名前くらいは本名を言ってくれたと信じよう。勿論報告書には俺が別のいい名前をプレゼントしておく。悪いがセウは俺が独占しておきたい。

「悪いようにはしない。ここは大人しく俺に付いてきてくれないか」

 この後波柴に出世の為身柄を引き渡すかギリギリの綱渡りをして手元に置くかはたまた意気投合して駆け落ちするか道を違えて不倶戴天の敵になるか未来は分からないが、まずは怖いオジサンから逃げて話し合ってみなければそんな未来も始まらない。

 自律行動のドローンでいつまでも殻を抑えてられるとは思えない、今にも前回のようにビルを駆け上がってきても可笑しくない。時間は無い。

「男らしいこと。でも屋上なんかに逃げてこの後はどうするの?」

 セウが挑発的に言う。

 確かに普通に考えれば逃げ場の無いビルの屋上に逃げるのは悪手もいいところ。だが舐めて貰っては困る、策士が逃げ込む先が袋小路の訳が無い。

「安心しろ、退路を確保しておくのは策士の常識だぜ」

「じゃあその自信のほど見せて貰いましょうか。

 今後はヘリでも迎えに来てくれるのかしら?」

 そんな予算が何処にあると言えたらいいが、ここは紳士の態度でグッと呑み込む。

「まずはあっちのビルの屋上に飛び移る」

 俺はこのビルの隣に立つ一段低いビルの屋上を指差す。

 勿論その後のルートも考えてある。ランダムにこのビルを起点に選んだわけじゃ無い。この要領で忍者の如くビル群の屋上を駆け巡っていけば最後には用意しておいた縄梯子を使って無事に地上に降りられる。

「本気?」

 セウは目を丸くして俺の正気を疑うように問い糾してくる。

「ビルの間は1メートルくらいしか無い上に此方の方が高い。

 普通にしていれば何の問題も無い」

 ここいらのボロビル達の屋上には作業員以外の人が出ることを想定していないのでフェンスが無いのが多い。おかげで助走した勢いで飛べるので1メートルくらい楽勝である、恐怖に飲まれなければの条件は付くが。だが、この女がそんな可愛い性格をしているわけが無く、実質ノープロブレム。

「普通ね~」

 セウは嫌みったらしくまた右手を挙げてくる。俺とセウは左手と右手手錠で繋がれたままの二人四脚。ぶっつけ本番で息が合わなければ10メートル以上下に真っ逆さま。流石に無事じゃ済まない。

「俺が離れずいるんだ心強いだろ。安心して俺に合わせて飛べ」

 俺はリズム感も良くなく人に合わせるのは苦手だが、セウは所作の端々に舞踊とかをやっていた者に見られる美しさとリズムを感じる。だったら合わせられないが故に独自になる俺にセウが合わせるのが合理的だろ。決して傲慢的じゃ無い。

「負けたわ」

 セウは呆れ果てたように肩を落として言う。少々オーバーアクション気味な態度、やはり舞台で生えるように訓練されたのを感じる。

「快諾してくれと嬉しいよ」

 セウの此方を見る目が冷たい気がするが気にしたら負け。俺は空気を読まない。

「ならさっさとしよう。もたもたしているとおっかないオッサンが追いかけてくる」

「そうね」

 こうして俺とセウはビルの上を駆け巡る逃走劇を始めるのであった。


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