第212話 喜劇
入ってくるなり波柴は顔を真っ赤にして俺を睨み付けてくる。
そんなに怒りを買うことをしただろうかと予想外で予想以上に早く嗅ぎ付けてきたな。
一緒に入ってきた黒田は抜け目なく波柴の背後でドアを閉め鍵を掛けている。殺人でもする気かよ。
「命じられた事件の捜査ですが」
「そんなことを聞いているんじゃ無い。
なんであそこのボケをなおして、なんで儂の息子をなおさんのじゃ」
ああ、そういうこと。相変わらず公私の区別が付かないオッサンだ。
「そう言われても私が命じられたのは事件の調査。波柴さんの息子さんを直すことではありません」
他派閥への他意とかはまるで無い。合理に従ったまでのことなんだが。
波柴の馬鹿息子を直したとしても大野のように口を割るとは思えなかった。そりゃそうだろうしゃべれば刑務所行きだ。自分を絶対に守ってくれる権力者が居るんだ、大野のように司法取引などという妥協の余地は無く、オヤジが来るまで頑として口を割らなかっただろう。そうなれば俺は波柴と匹敵する力を任務を果たす為に下げたくない頭を下げて貸して貰うしか無くなる。流石の俺も成り行きならともかく、好き好んで最初から派閥抗争をするような道を選ぶようなことはしたくない。
これでも穏健派なんだぜ。
「口のへらへん餓鬼じゃな。
だったら命じちゃる。儂の息子を直せっ」
「お断りします」
俺はきっぱりと告げるのであった。
「なんだとっ。己が今吐き出した啖呵、もう呑み込めへんど」
波柴の目つきが一層細まり、こめかみには青筋が浮かび上がってぴくぴくしている。だが読みではまだ威嚇の段階、今すぐ謝れば取り返しは付く。
「今貴方がここに居ることで貴方と私の信頼関係は崩れました。信頼関係の無い相手とビジネスを続けるほど私の肝は太くないんですよ」
「ああ、何分け分からんこといっとんじゃっワレ」
波柴は瞳の毛細血管が見えるほどに顔を接近させて睨み付けてくる。
もう後戻り出来ない、潰すか最低退けないと俺に明日は無い。
「確か首輪は付けない約束でしたよね。それで私は貴方の依頼を受けた。なのに貴方がここにいるということは、私に首輪を付けましたね」
波柴がここに居るということはそういうこと。
鈴鳴さんが裏切るとも思えない、スタッフの中に鈴が居るのか俺には察し出来ない尾行者がいたのか、どちらにしろ俺は監視されていたらしい。
まあ完全に自由にさせて貰っているとは思ってなかったが、こうもあからさまに見せ付けられた以上、対処しなければ舐められる。
「定期的に報告する約束だったな。儂はまだ報告を受け取らんが」
波柴も体育会系のパワハラだけかと思えば、覚えているとも思えなかった俺との約束で切り返してくる。
「勿論一区切りが付いたら報告をするつもりでしたよ」
俺はわざと連絡をするタイミングを明確に決めておかなった退路に逃げ込む。
「詭弁を言うな。現に今息子の呪いを解く方法を見付けておいて何の連絡もなかったぞ」
魔の力を呪いというが、確かにその方がしっくりくるな。
「呪いが解けるかどうかも分からない不確かな内に報告してもしょうが無いでしょ」
「舐めるなよ、若造。そのお嬢ちゃんがフランスで聖女と呼ばれていることは掴んでいるんだ」
ちっ思った以上に波柴の情報収集力が上がっている。
誰がブレーンに着いた? 昨日までは魔関連の情報はほとんど持っていなかったはず。 だが今そのブレーンの姿は見えず、所詮は付け焼き刃の知識なら。
「聖女といえど魔の力が勝れば呪いは解けない。それに呪いが解けたとしても、どんな副作用があるかは解いてみなければ誰にも分からない」
別に嘘は言っていない。ただジャンヌの力が強いのでその可能性が低いだけのこと。それに副作用に関しても、大野をもう少し経過観察しなければ最終判断は出来ない。
「あなたはどうせ息子さんを実験第一号にすると提案したら反対していたでしょ。絶対にまずは適当な奴で試してみろと命じたはずです。
つまり貴方が乱入するまでは貴方の望み通りに展開していたのですよ」
「ぐっ。ならもう一度上官として強く命じる息子の呪いを解け」
「忘れているようですが、私の上官は貴方ではありませんよ。私は私の上官に言われて貴方に協力しているだけ。命令のごり押しをしたいのでしたら、まずは私の上官に話を通して貰えますか?」
もし波柴がこれ以上私を優先させるなら波柴派は五津津派に更に大きな借りを作ることになってしまう。それを他の派閥メンバーは許すのだろうか?
「当然ですが、後ろのジャンヌに対しては貴方は命令する権利は全くない。したければフランス側と話を付ける必要がありますよ」
「わかっとるわ。
ジャンヌさん」
「はい」
波柴はジャンヌに一転して落ち着いた紳士的口調で話し掛ける。
「頼む。息子を助けてくれ。親としてお願いする」
波柴はジャンヌに頭を下げてお願いする。確かに個人的なお願いなら問題は無いかもしれない。そして子を思う親の情でジャンヌの情に訴えるという、ジャンヌに対して最も効果的な攻撃をする。出世したのは伊達じゃ無い、人を見抜く目は大したもんだ。
「悪いが断る」
俺はジャンヌと波柴の間に入って手で遮る。
「お前には関係ない話のはずだぞ」
「関係はある。
俺とジャンヌは今回の仕事では提携している。俺にはジャンヌの行動に口を出す権利がある」
現状形の上ではジャンヌの上司は俺であり、上司ならば守る義務がある。
「おどりゃあは、子を思う親の気持ちすら踏みにじるというのかっ」
公で私で邪魔立てをする俺に波柴は弾みで俺を殺しても不思議じゃ無い殺気を放つ。
「悪いがこれはそんな感情論じゃ無い。
ジャンヌの力は無制限につかえる訳じゃ無いんだ。これから俺とジャンヌは捜査の為に外に出る。その過程で敵に襲われたときに力が残ってなかったので負けましたとは言えないんだよ。
その時に貴方は責任を取れるのか?」
「どこまで・・・、何処まで己は人でなしなんじゃ」
「波柴さん引きましょう」
ついカッとなってやってしまいましたと朝刊に載る寸前だった波柴を黒田は羽交い締めにして抑えた。
「離せ黒田」
「抑えて下さい」
殿中で馬鹿殿を抑える家臣みたいだな。
「ここまで決裂しておいて何だが一つ尋ねていいか」
「なんじゃい」
黒田に抑えられながら波柴は怒鳴り返し、黒田は火に油を注ぐなという顔をする。
「波柴さん、あなた息子さんをどうする積もりなんだ?」
「勿論助ける」
「その後だ。
俺が事件を解決しようがすまいがいずれ呪いは解ける。だがあんたの馬鹿息子がしでかしたことは消えはしない」
「何があっても息子は守る。それが親だ」
確かに親だな。俺もこんな親が居れば人生イージーモードだったのだろうか。少し波柴の馬鹿息子が羨ましくなった。
「そうか。
呪いが解けて息子が真人間になってもか?」
「どういう意味や?」
「真人間に戻った息子さんは自首するぜ。その意味を考えておくんだな」
俺はこれが初犯だとは思えなかった。そう思って調べれば似たような事件が起きていることが分かり、その結末も知ることになった。
「依頼された仕事は果たすつもりだ。
行くぞ、ジャンヌ」
「はい」
今度こそ俺は下らない喜劇に幕を降ろして捜査の幕を上げるのであった。
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