第206話 あっかんべー

「さて果無君」

「はい」

 ここから何を言われるかと思うと僅かに緊張する。

「君も退魔官として働いているのなら魔の恐ろしさは分かっているはずだ。

 そして旋律士の重要性も」

 二人きりになった途端怒り心頭になるかと思えば意外と理知的な滑りだしだった。

「はい」

 ここで一般論を出すなら一般論で答える。ここで例外もあるとか初手から変則技を出すほど俺も子供じゃ無い。

「そして社会人だ。個人の気持ちだけで社会が回らないことも分かっているね」

「はい」

 この世界愛だ好きだだけでは、どうにも立ちゆかない。

 やはり金や権力が無くして、上手く立ち回ることは出来ない。

 金や権力があれば犠牲を強いられることもなく、逆に犠牲を強いることが出来る。

 尤もこの人達は誰もが嫌がる犠牲的立場の旋律士を敢えて引き受けることで金と権力を得ているのは、この家を見れば分かる。

 魔から人々を守る為というヒロイックな感傷だけでは歴史は刻めない。だから別にそのことに関して侮蔑する気は全くない。寧ろそれで社会の安定に貢献していることに感心する。

 ここで大事な事実はただ一つ、この人達にとって旋律士であることが力の根源。

 決して正義の心では無い。

「よろしい。

 その目で見て旋律士は普通の人とは違うのは理解しているね。別に普通の人を馬鹿にしているわけでは無い、そこに優劣は無い。

 だが違う」

 流石弁えている。

 支配する者は支配される者がいて初めて成り立つ。

 たまに波柴息子みたいな馬鹿な奴がのぼせて被支配層を踏みにじって反感を買う、利口な支配者は被支配層に支配されていると悟られないように上手く煽てて富を搾取する。

「旋律士はその長い歴史の中で魔と戦うためにその血を磨き旋律を奏でるのに特化した人種になっている。

 もはや普通の人が成ろうとして成れるものではない」

「分かっています」

 ここは否定しないでおこう。

 俺がどんなに努力しても旋律士に成れるとは思わない。

 だがな。天から降臨した神の子が始祖なら話は別だが、雑多な人間の中から旋律士の始祖が生まれた以上旋律士の家系以外でも旋律士に成れる奴は探せばいるはず。アイドルのオーディションとでも偽って集めれば、案外簡単に素質を持つ人間が見つかるかも知れない、時間と金は掛かるがな。

 まあそんな才能を持った奴を苦労して見つけ出し、開花する可能性に賭けて修行させるより、血という才能を継いだ子孫に投資をした方が労力もリスクは少ないのは分かる。

 故に今は否定しない。

「それは旋律士に限ったことでは無い。

 伝統芸能演奏家バレリーナ、皆才能ある家系に生まれ幼き日より技術を磨いている」

 それは認めよう。

 雑種の家系から生まれた天才がその分野に幼き日より興味を持ち、且つ家がそれを許すほどの財力がある。

 三つの天賦天命天運が重なることは希にしか無い。

 同じ才能なら早くに修行を初め時間を積み重ねた者が勝つ、そういった努力を飛び越えられるのは次元が違う天才のみ。だから段々と家系で職業を担っていくようになる。

 分かる分かるさ。呉さんが言っているのは皆一般論だ。一般論を理解出来ないとは言わないのが理系、筋が通れば納得する。

「ここまで言えば私が何を言いたいか、帝都大学に入れるほどの秀才である君なら分かるな」

「ええ遺伝子学として理解出来ます。

 旋律士に成れる優秀な遺伝子を持つ雪月家に音楽駄目運動人並みの劣等遺伝子の塊である俺は相応しくないと言いたいのでしょう。

 古くさい言い方をすれば、俺みたいな劣等種と交われば血が穢れる」

 こんな事、遺伝子が解明される前から上流階級が持っていた思想で今更だ。

 別に上流階級の妄想でも傲慢でも無い。現に世代交代のサイクルが短い植物や家畜など原種から人間に都合の良い別種に作り替えられている。

 人間も同じ事、ハードスペックを向上したいなら、ひたすら優秀な人間同士を数多く掛け合わせるトライアンドエラーしかない。長い年月の家に劣等な優性遺伝子は淘汰されていき、優秀な優性遺伝子のみになる。

 まあ、その内意図的に優秀な遺伝を組み合わせた子供が作れるようになるかも知れないが、現状では古来より続くその方法しか無い。

 そして古来より続く名家の家系なら、そろそろ凡種と枝分かれしていても可笑しくない。

「いや、そこまで言うつもりは無いんだけど。君、帝都大学に入れたくらいだから努力したんだろうし頭いいんだろ」

 何で喧嘩を売ってきているそっちが少し引いてフォローしてくる。ここは俺の尊厳をへし折りに来るところだろう。

 時雨の父だな、どこか育ちがいい。

「いえいえ、旋律士のような優良種の方々の希少性に比べれば雑種、ゴミですね」

 俺が到達出来るのは努力すれば手が届く領域のみ。天才のみが感じ取れる世界など俺が知ることは無いだろう。

 その手に世界の律を掴むは世界の真理を掴むに等しい、俺にもしそんなことが出来たらどんな世界が開けるんだろう。

 思えば嫉妬で身が焦がれ狂いそうに成る。

 俺は寧ろシン世廻の連中に近い思想の男なのかも知れない。ただその身に才能が無いが故に危険な男には成れない哀れな道化。

「弁えては居ます。別にとってつけたように慰めて下さらなくて結構です」

「私はそこまで傲慢じゃ無いんだが」

 呉は、ははっと困ったような笑みを浮かべる。

「傲慢でなければ何々ですか?

 まさか私のよう劣等種に手放しで喜んで娘をやるとは言わないんでしょ?

 貴方がこんな事を言う以上、時雨には既に優秀な遺伝子を持った雄を宛がう算段は付いているんですね」

 こう言うと俺と時雨が将来を誓い合うほどの中のように錯覚するだろうが、そもそもの前提条件を呉さんは誤解している。

 放っておけば一年後には契約が切れて俺と時雨は望み通りの赤の他人になっていただろうに、わざわざ俺を懐に招き入れ縁を深めてくれる。

 この逆風をヨットの如く前に進む原動力にしてみせる。その程度出来ずして一年後の時雨との縁は掴めない。

「雄という言い方」

 気に触ったか顔に険が走る。

「より速く走る為だけに遺伝子を掛け合わされていくサラブレッドと何が違うと?

 遺伝子を何より重視しているようでしたので学術的に雌雄で話しましたが、気に触るようでしたら多少言葉を飾りましょう。

 旋律士名家のご子息と婚約を結ぶのですね」

 何処の家だろうな。一等退魔官の権力で調べ上げてやる。

 職権乱用、いえいえ力は使うべき時に使ってこそ手にした意味がある。

「君は思った以上に捻くれた男だな。

 旋律士を抜きにしても親として素直に喜べない男だよ」

 呉さんは苦虫を噛み潰したような顔で此方を見てくる。

「素直な男でこの悪鬼羅刹の世界を渡っていけますか?

 路傍の石ころなら放って置いて貰えますが輝く宝石には誰もが手を伸ばしてきます」

 例え俺が引いたところで時雨を手に入れようとする新たな男が現れる。

 時雨が誰かと結婚をしたところで、その輝きを失わないのなら欲する男は現れる。

 至高の宝玉を欲するならばその身に刻め。

 手に入れた時がゴールじゃ無い、果て無く続く戦いの始まり。

「結局怖いのは人間ですよ」

 人間が純粋な悪なら恐ろしくない。

 人間は善と悪が入り交じっているのが悪魔より質が悪い。

 故に期待してしまい、より高いところから突き落とされる。

 故に懐に招き入れて、より深く刺される。

「時雨もよりにもよってこんな恐ろしい男を・・・」

 僅かほんの僅かだが呉さんが尻込む、この男とて妻を家を守り続けているだろうに何を今更。

 まあいい。

 侮蔑でも嫌悪でも無い恐怖を俺に僅かでも感じたのなら、俺は決して勝ち目がない戦いに挑んでいるわけじゃない。

 元より負けてやるつもりは無かったが、勝てるとも思ってなかった。いいとこぐだぐだの泥試合と思っていたが、勝ちを狙えと悪魔が囁く。

「人を人間たらしめるのは遺伝子で無く、意思。

 犬ですら主人を守ると意思を持てば、それは獣を超えた番犬と化す」

 ハードスペックが優れようがソフトが駄目なら宝の持ち腐れ。

 そしてソフトだけは遺伝でなく後天的に如何様にも作り替えられる。

「なら君はその意思で旋律士に成れると言うか」

 結局そこに集約される、この人の力の源泉旋律士。

 だが俺も一歩踏み越え、血を否定した以上もう後にも有耶無耶にも出来ない。

「そりゃ無理ですね。無理なものは無理、奇跡なんか起きませんよ。

 ですがね、目的を達成する為の手段は生み出せるかもしれない。

 人は空を飛べないが故に羽を生やすのでは無く飛行機を生み出したように、魔を滅ぼせないと旋律という技術を生み出したように。

 旋律士に成れないなら魔を滅ぼす別を手段を生み出す。

 それが人間ですよ」

「君は旋律士すら否定するか」

 そこを否定されては旋律士として看過は出来ない、呉さんが初めて怒気を露わにした。

「いえ、それが一朝一夕で出来る簡単じゃ無いことは分かっています。

 私も一等退魔官として旋律士の重要性は理解していますし、ここで時雨と反対を押し切って駆け落ちをしたところで幸せに成れないことも理解しています」

 まあ、そもそも時雨が俺との駆け落ちをしてくれないけどな。

 だが俺は錯誤を呉さんに植え付けておく。将を射んと欲すればまず馬を射よってね。

「話を聞けば、大事なのは時雨の遺伝子なのであり、旋律士の遺伝子を残すこと。

 それは理解し認めました。

 時雨の体は諦めましょう」

 俺の一言に怒濤の押し出しから引き倒しをくらったかのような顔を呉さんはする。

「そうか、父として娘を諦められるのは少々複雑だが、君が思った以上に理知的で良かったよ。何代わりに雪月家として君の支援を約束しようじゃ無いか。

 んっ? 体は?」

 ほっとして胸をなで下ろしたような表情をしていた呉さんは俺の言い回しに気付いた。

「ならば俺は時雨の心を頂きましょう」 

 金でも権力でも手に入らない。

 俺は時雨を時雨たらしめる意思が欲しい。

「待て、それは」

「貴方は意思を否定し、遺伝子を尊んだ。

 つまり大事なのは時雨の気持ちで無くその身に流れる才能、血であると。

 俺は貴方がいらないと言った時雨の心を貰い受けると言ったまで、何か問題が?」

「ちょっちょっとまて」

「名家の御曹司と結婚でも何でもさせればいい、だが時雨の心は渡さない。

 あなたも旋律士当主だ。言った言葉を呑み込みませんよね」

「抱けない女のために心を捧げ続けられると」

 苦し紛れの低俗な言葉とは思わない、ある意味真実で真理、平常時なら賛成もする。

 だが敢えて否定する。

「遂げられない思いほど永久に燃える思いは無いと知るがいい。

 性欲など風俗にでもいって解消してしまえる一時のもの。だがこの身を焦がす心だけは金じゃ解消出来ない」

 性欲など金で解消してしまえばいい。それで済むなら倫理など紙切れの如く吹き飛ばす。

「そんなことこの私が許すとでも」

 逆なら最低クズ男だが、これなら純愛と賞賛されてもいいと思うんだが。

「別に貴方の息子に成るわけじゃない以上貴方の許しはいりませんね。

 俺は勝手に体は金で心は時雨で満たさせて貰うだけのこと。

 話はこれだけなら、もう帰ってもいいですか?」

「そんな話を聞いて父親として生きてこの家から帰せると思うか」

 腰を浮き掛けた俺を呉の殺気が押さえ込む。

 分からないな。俺の提案は実質雪月家に何の不利益も無い。

 それとも心の自由すら許さないという傲慢か。

 ならば戦うまでのこと。

「こう言っては意外でしょうが俺は結構歴史を感じさせるわびさびとか好きなんですよ」

 真実俺は神社仏閣とか城趾とか見て回るのは好きだ。

「なんのことだ?」

「この家が灰燼と化してもいいなら来るがいい」

 俺は堂々と真正面から宣戦布告する。

「思い上がるか凡俗」

「思い上がるか旋律士。

 お前達は自分で言ったように退魔特化、人間の恐ろしさを思い知るがいい」

 驚いたことにここまでボディチェックは無かった。俺を舐めきっていることもあるが、旋律士としての慢心が見て取れる。

 フル装填された銃弾6発にスタンガン。切り札に小型C4爆弾。対して向こうは無手。

 身体スペックが彼方が上だとしても、やりようによってはやれないことはない。

「はいはい、そこまでです」

 パンッと障子が開けられタイミングを計ったように五月雨さんが介入してきた。そして、その横には時雨が何とも言えない顔で座っている。

 何が手料理だ気配を殺してずっと聞いていたなっ!!!

「母さん」

 嬶天下かあの呉が何とも情けない声を出す。

 馬鹿が敵を前にして隙だらけだと思うが、五月雨さんの視線が俺の動きを牽制してくる。

「二人とも少し頭を冷やしなさい。

 果無さん」

「はい」

 俺に向けた五月雨さんの顔は魔と戦っているときの時雨の顔と瓜二つだった。

 つまり今の俺は敵という訳で、決して先の会話で俺を認めて味方に成ってくれたわけでは無い。

「貴方の覚悟は分かりました。

 ならば貴方にチャンスをあげましょう」

「チャンス?」

「貴方は旋律士に全く向かないけど、それ以外で己の有用性を示しなさい」

「具体的には?」

 金でも稼げというのなら、それはそれで面白い。

「貴方には幾つかの試練を乗り越えて貰います。

 別に頭の切れる旋律士が居ても困りませんし、それにたまには新しい血を入れないと濁りますからね」

「ただ働きはご免ですよ」

 流されるがままは安く見られると俺は抵抗する。

「勿論正式に依頼は出します。

 ただ貴方に拒否権はありません。拒否した時が時雨を諦めた時と見なします」

「それだと其方に有利すぎませんか?」

 別にごねているわけじゃ無い。その条件だと絶対達成不可能な依頼を出されたら一発で終わってしまう。

「貴方が拒否すれば時雨が一人で行くことになります。

 そんな真似出来るのかしら、彼氏さん」

 なるほど。元々はその依頼をするためのパートナーに婚約者でも宛がう積もりだったのか、その席に俺を座らせるのか。

 逆に言えば俺が無能なら娘の時雨が危機に陥ることになるが、そこは俺と恋したことに成っている時雨にも責任を負わせるという事なのか。

 フェアか。

「それなら拒否出来ませんね」

「いい返事です。

 はいっではもう終わり。お仕事の話は終わりにして夕飯にしましょう」

 ん? 作ってなかったんだろ? それにこの雰囲気で一緒に団欒とかでも無いだろ。

「チャンスをあげたのです。つまり将来貴方の義理の母になる可能性もあるんです。せいぜい媚びを売りなさい」

 悪い笑顔の五月雨さんは俺の心を読んだかのように先制してくる。

「私と時雨の手料理は後の楽しみ。

 今日の所は我が家の料理人の腕を楽しんでね」

「時雨の手料理は後のご褒美に取っておきますよ」

「いい返事です」

 俺の返事に満足し、五月雨さんと呉さんの二人は夫婦揃って仲良く部屋から出て行き、俺と時雨が残された。

「ボクの心、君に奪われた覚えないけど」

 時雨は俺を睨みながら言ってくる。

「これからゆっくりと貰い受ける予定さ」

「バーカ。ボクはそんなにチョロくないよ。

 奪えるものなら奪ってみせてよ。べーーーっだ」

 時雨は俺にあっかんべーをすると去って行った。

 あんな子供っぽい面もあったんだな。想い人の新たな面に出会えて新鮮な気持ちになった。

「やれやれ」

 どうでもいいが、一体誰がこの広い家の中俺を食事の場に案内してくれるんだ?

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