第183話 雨女と果無
警察の包囲を抜けるどころか、包囲の中心に位置する廃工場の敷地内に隠すようにワゴン車が駐められていた。検問が解かれるまで、ここでやり過ごすつもりなのだろう。通報してやりたいところだが、俺の目的はこんな小物じゃない。警戒しつつ俺は工場の敷地内に踏み込み、光が漏れる窓に近付き中を覗く。
天井が高くバスケットコートほどの平屋の工場の中は債権者に機械を根こそぎ持っていかれたのか何も無く伽藍と物寂しい。唯一残されていた裸電球の明かりが、右手と右足、左手と左足を麻縄で縛り上げられM字拘束された雨女を淫靡に照らし出す。
女としてこの上ない屈辱的な格好でコンクリ打ちっ放しの床に転がされている少女は未だ気を失っているのか目は閉じられ、薄い呼吸と共に胸の陰影が動くのみ。
「はい、はい、指定された場所に無事着きました。この後はどうすれば」
会計士っぽい男がスマフォで誰かの指示を仰いでいる。接触式盗聴器は工場内部の声をクリアに伝えてくれる。相手はフォンか? 違ったとしてもフォンに近しい者だろう。
「分かりました。では迎えが来るまで基本待機ですね」
他の二人に比べれば幾らか仕事は出来そうな感じなので、この三人の中のまとめ役的存在のようだ。背広を着てきちっとした髪型、見た目だけならまじめそうでこんな裏社会と関わりがなさそうな男。何をしでかしてフォンに目を付けられたのか、人生は落とし穴だらけだ。
まあ今はどうでもいいか。大事なのは別の誰かが来るということ。幸いここまでの追跡で静音ドローンを一体使い潰したが、後二機いる。十分追跡できる。
「えっそれまで暇なら女を好きにしていい? 本当ですか?」
まあ、悪党に捕まった正義のヒロインの末路など決まっている。ましてや人の破滅を愉悦するフォンに取ってみれば正義のヒロインが墜ちていくのは堪えられないだろう。
「ボーナス、はいはい。ありがとうございます」
会計士は悲しいサラリーマンなのかいない相手に頭を下げつつスマフォを切った。
そして、期待の視線を向けている二人に言う。
「後で迎えが来る。それまでは女を好きにしていいそうだ」
「本当かよ。フォンさん意外と気前がいいな」
「うひょ、女だ女だ」
てっきり儚い月のように美しい少女はフォンに献上されて手を出すことなど許されないと思っていた二人は大喜びで、歯っ欠けなど生ゴミを漁る野良犬のように雨女に飛びついていく。
「へっへ、女だ。綺麗な肌だな~すべすべだぜ」
歯っ欠けが乾いてガサガサの掌で素肌が晒されている雨女のしっとりとして滑らかな太股を擦り、雨女に反応が表れる。
「うっううううんん」
雨女の瞼が卵が孵化するかのように震える。
「おや、目が覚めたか」
「だっ誰? かっ体が動かない」
覚醒し立てでまだ意識がハッキリしてないだろうに歯っ欠けの露骨な欲望に晒され少女の本能が刺激されたのか、雨女は逃げようとするが動けないことに気付く。強制的に開かれている雨女の体の前に入り込み歯っ欠けは細い肩を押さえ込む。
「そう怖がらないで。お嬢ちゃん、おじさんと楽しいことしようよ」
「やっ辞めなさい」
にたっと笑う歯っ欠けから涎が雨女の肌に滴り落ちて垂れていき、嫌悪感と恐怖に雨女の顔が年相応の少女のように歪む。
「いい顔、これからおじちゃんと気持ちよくなろうね」
「おい待てよ。何でオッサンが先なんだよ。俺に先にやらせろよ」
ニット帽が割り込んでくる。
「こういう時には年上からだろうが」
「そんなの関係あるかよ」
「おいっ喧嘩は止せ」
揉めだした二人を会計士が宥めようとする。まとめ役は辛いな。
「いい子ぶるなよ」
「そうだ。会社の金を横領してにっちもさっちもいかなくなった奴が」
「なんだとっ!!! 俺はお前みたいに仕事も家族も失ってない」
おいおい、仲間割れかよ。プロ意識のない素人もいいところだな。
会話から推測するに借金などの何かしらの弱みをフォンに握られいいように操られた即席の手下共か。自分の身元を手繰られないように工夫するのはいいが、もう少し質は選んで欲しかったな。ここで少女を引き取りに来た奴の跡を付ければフォンに辿り着けるというのに、トラブルは困る仲良くしていてくれ。
助けないのかだって?
別に雨女は何の罪も無い無垢の市民じゃない。理由はどうあれその異能の力で他者の命を奪っている。そんなことを続けていれば、いつかこういう報いを受けることになる。
それがたまたま今日、俺の目の前だっただけのこと。おかげで俺は胸くそが悪くなるまな板ショーを見るハメになるが、フォンを捕まえられるなら安い代償だ。
多少雨女に同情する気持ちが無いわけじゃ無いが、割り切れないほどじゃない。
別に殺されるわけじゃないし、雨女など殺し合いをしただけの仲であり、捕まえる義務はあるが助ける義理などない。
時雨やキョウ達とは違う。
雨女を助けたところで何のメリットがある?
正義感、はっ。お笑いだ。
人として当たり前の優しさ。本当に人間の心が優しいなら俺の心が壊れたりしない。
何も無い。
フォンを捕まえられる以上のメリットなど無く、目の前で何をされようとも俺の壊れた心が動かされることはない。
観察を続ける俺に背筋が氷るような侮蔑の声が響く。
「醜いわね」
「なんだと!」
侮蔑の言葉を浴びせられた三人が口論を辞めて一斉に雨女を見る。
その怒気を含んだ三つの視線の束を少女は侮蔑の視線で叩き折る。さっきまで震える小鳥のような少女はもういない。捕まえられたというのに騎士のような気品がある。
先程の弱気は意識が覚醒したてで出た根の部分?
「醜いと言ったのよ。
下半身に支配された醜い生物」
「はっはっそんな男を受け入れることしか出来ない格好でご大層な台詞を吐いてもカッコつかないぜ」
「ぐぎゃあっ」
ニット帽が無防備の少女の引き締まった腹をブーツで踏み付ける。
「暴力を使わなければ女も抱けない可哀想な欠陥生物に言われたくないわ」
「言ってくれるな~。
この前も小賢しいことを言っていた女をちょいと懲らしめてやったけっな。そうそう、こんな風に踏み込んでいったら、最後は子供が産めなくなると泣いて謝ってきたぜ。まあ、ちょいと力加減間違えてフォンさんのお世話になっちまったけどな。
お前はどうかな?」
ニット帽は徐々に力を入れて足を雨女の腹にめり込ませていくにつれて、顔が加虐心に歪んでいく。
此奴は真性のDV男だ。弱い者を平気で踏み潰せる俺の最も嫌いな人間。そして洗えば間違いなく牢屋にぶち込める。何でこんな奴が野放しになっている。だから雨女みたいなのが必要とされてしまう。
「うぐぐぐっ」
雨女は腹筋を引き締めて抵抗し歯を食いしばって苦しみに耐えている。
「苦しいか? 御免なさいすれば許してやるぞ」
「誰が」
適当に謝っておけばそれ以上酷い目には合わないというのに、挑発する気はないのだろうが雨女はその屈しない目で睨み返し、それが男を苛つかせる。
雨女は拘束され魔の力も使えない逆境だというのに、その気高い心が折れることなく立ち向かっていく。
多分雨女にとって魔の力があるなしなど関係ないのだろう。
「その目、苛つくぞ。こりゃもっと思い知らせてやらないといけないな」
「陵辱したければするがいいわ。
私が綺麗な体だとでも思った?
髪の色が抜けるほど涙を流して
生きる為に涙を啜ったわ」
俺は知らずに拳を握り締めていた。
俺が雨女に共感しているとでも言うのか?
巫山戯るな。か弱い女を助けるなんて、幸せな奴が余力でやることだ。
「ほ~そりゃ凄い凄い。でもそれがどうした、お前は俺に踏み付けられてんだぜ。それが現実だ」
「貴方達はそう、女が流す涙を踏みにじって感じもしない。
だから私は貴方達の頭上に女の涙を降らせてその罪の重さを思い知らす」
それがこの女の魔の魂源なのか。
陵辱され踏み付けられても決して折れなかった心。
壊れてしまった俺の心とは強さの格が違う。
悪意に叩かれ日本刀のように強く美しくなった心、悪意に折れたが折れた骨が強度を増して再生するように歪に強くなった心。
同じじゃない。
同じじゃないが・・・。
「勇ましいね~、なら俺はお前の顔面に白い雨を降り注いでやるよ」
嚇灼に染まった怒りに下劣な侮辱で返す。
猛る弱者と奢る強者、いつか見て経験した光景だ。
「今更そんな汚い棒の一本や二本入れられてところで何ともないわ。
私は絶対に貴方に涙を重さを知らしめる」
「面白れえ~その言葉本当かどうか試してやる。
おいオッサン」
あくまで自分に屈しない雨女に苛つくようにニット帽は歯っ欠けに言う。
「なんだ」
少し引き気味だった歯っ欠けは急に呼ばれて驚いたように応える。
「順番なんてどうでも良くなった。先手を譲ってやるよ」
「えっいいのか」
「ああ、その代わり後ろの穴に入れろ」
「えっ」
「な~にこの女前の穴には大分自信があるようだからな。別に構わないだろ」
「そっそうだな。俺後ろの穴なんて初めてだぜ」
歯っ欠けはいそいそとズボンを下ろし始め、雨女はその様子を醒めた目で見ている。
「なっなんだよ。そんな目で俺を見るな」
「弱い人。
貴方は何も守れない人。仕事も家族も、自分の誇りさえ」
「うっうるせええよっ。知った風な事言って哀れむんじゃねえ。
俺の妻もそんな目をして家を出て行った。分かるかっ!家族を守る為に必死に働いていたのにリストラされた途端慰めの言葉一つ無く子供を連れて出ていったんだぞ」
「それは貴方に誇りがないからでしょ。だから見限られた」
「小娘ッ」
歯っ欠けは痛いところを突かれたのか激情のままに雨女をぶっ叩き雨女はコンクリの床に打ち付けられる。
どうでもいいが雨女は馬鹿なのか? 折れない高貴な心もいいがドンドン自分にヘイトを集めて状況を悪くしていってるぞ。
適当にお茶を濁してチャンスを待つ狡猾さはないのか?
それとも未だ叩かれて強くなるとでも言うのか?
このままじゃ陵辱されるどころか殺されてもおかしくない。
なのに、それでも俺は助けないのか?
俺は別に正義の味方になりたいわけじゃない。
複数の女にモテたいわけでもない。
なのに学を積み、武術を磨いた。
権力も握ろうと色々策謀もした。
それも全部。
二度と俺の自由を奪わせない為。
二度と俺の尊厳を踏みにじらせない為。
己の我を貫くが為。
そう己の我を貫くが為に、俺は俺の為に強くなった。
それの何が悪い?
悪くない。悪いはずがない。
皆己の為に生きているに過ぎない。
人の為になど綺麗事に過ぎない。
あの時誰が助けてくれた、誰も助けてなんかくれなかった。
俺の考えに間違いはない。
ないが、俺の貫きたい我とは何だ?
生きているだけじゃ納得できないからこそ。
我を貫きたいからこそ強くなった。
なら貫きたい我とは何だ?
分からない、確かに我を貫くと誓った。
生きているだけじゃ納得できないと、強さを求めた。
なら、ここで耐えて手柄を立てることが己の我を貫くことになるのか?
分からない。
だが。
だが明確に今分かることはある。
この光景、俺は気に入らねえ。
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