第166話 ビジネス

 職芸大学。伝統芸術から漫才、油絵からCG動画、日本舞踊からダンス、日本料理からラーメンまでとあらゆる芸術芸人職人的技巧を学べるだけでなく、それらの学術論までを教える、未来の芸人職人芸術家を生み出すことを目的とした大学である。門戸は大きく開かれていて試験を受ければほぼ合格できると言われている。だが入口の広さに反比例して出口は狭く、それなりの一芸か学術論が身に付いてなければ決して卒業はさせない厳しさでも有名。その所為か卒業生のその方面への就職率はかなり高い。

 色々とクセがありそうな学生がたむろする職芸大学校内にある喫茶店、最近流行の綺麗な店内のカフェと違い卒業生が寄贈した芸術品が統一感もなく置かれている。講義の空き時間に学生がよく利用する店で、今も店内には学生がちらほらいる。そこそこ混み合う店内で角の四人掛けのテーブルを一人占拠して珈琲を飲んでいる合谷の姿があった。周りに居る者達から時々非難めいた視線が送られるが当の本人はそんなこと気付かないほど険しい顔をして珈琲を啜っている。

 おかしい。林野と連絡が取れない。どうなっている?

 厄介ごとに巻き込まれてたのか?

 もし事故とか事件を起こしたりしたら、そこから手が俺に伸びてくることもある。冗談じゃねえ、ここまで慎重にやってきたんだ。そんなことで捕まってたまるか。俺はここでの足掛かりで貯めた資金とノウハウで大監督になる男だぞ。

「ふう~」

 落ち着こう。まだそうとは限らない。兎に角連絡を取らないとな。今日も連絡が取れなければ、危険だがアパートにでも行ってみるか。

「合谷、どしたん思い詰めた顔して?」

「ん? ああ、朱音か」

 赤毛のウェーブの掛かったロングヘヤーの女性「由枝 朱音」が気楽に話し掛けてくる。

 この大学において強面で通っている俺に対して、いや誰に対してもか恐れることなくフランクに話し掛けてくる。躰付き同様我が儘な性格だが大学じゃ姉御肌と言うことで人気があるようだが、鋭い俺は薄々察している。この女はどっか違う。

「どした女にでも振られたか?」

「ちげえよ」

 これが並みの男だったらこんな舐めた口を許さない、速攻で焼き入れたやるんだが。この飄々とした性格の所為か、まあいいかと思ってしまう。それにこの女は色々と顔が広い、仲良くしておいて損は無いしな。これも将来に向けた人脈作りというやつさ。

「そうか、何にしろ今日の飲み会遅れるなよ」

「分かってるよ」

 やべえ、すっかり忘れていた。

 大学での人脈作りの為に入っているサークルの飲み会、今日だったか。今それどころじゃないが、こんなときだからこそ変な行動をするべきじゃない気もする。

「なに、嫌なことなんて呑んでしまえば忘れるさ」

「ああ、そうだな」

 そうだな。このモヤモヤした気持ち。自分の所属するサークルの飲み会で獲物を物色するわけにはいかないが、飲み会で弱そうな奴をいびって気晴らしをすることは出来る。

 しかしこの女、積極的に話し掛けてくるが俺みたいな奴がタイプなのか? 今度デートにでも誘ってみるか。

 たまには腕じゃなくて口で落としてみるのも面白い。

「じゃあ、後でな」

「ああ」

 尻を振って去って行く姿もそそる。よし決めた今度のことが片付いたら、俺の女にしてやる。

 もし万が一にも俺に恥を搔かせたら、二度と笑えないように俺の腕の中泣き顔を晒して貰うだけのこと。


 日が沈み夕闇に包まれ出した繁華街の居酒屋の大部屋に大勢の学生が集まって騒いでいた。イベント研究会主催の飲み会。集まった学生達もお祭り好きの連中で早くも羽目が外れだして騒いでいる。芸に生きようとする学生達だけあって、皆中々個性的な格好で参加している。

 男は中身で勝負と特に気張った格好をすることも無く参加した俺も目に付く気の弱そうな名も知らない男子学生を捕まえては無理矢理呑ませたり芸をさせたりして楽しんでいる。

 そうそう酌をさせる女も準備しないと、ふと周りを見れば声を掛けられた。

「貴方が合谷さんですか?」

 折角余興を楽しんでいる俺に近付く奴が居た。中肉中背、特に特徴などなく、熟練営業のような笑顔を浮かべている。

「ん?」

「貴方に前から興味が有ったんですよ」

 青年はなぜか俺の周りにぽっかり空いている席に俺の許可なく腰を下ろす。洒落たモード服を着こなし金回りは良さそうで、話をする価値はありそうだ。

「おいおい、俺はホモじゃないぜ」

「違いますよ。仕事の話です。私なら貴方の力に成れると思っての売り込みです」

「ああ、ビジネスって。俺はただのモラトリアムを楽しむ学生だぜ」

 青年のどこか作り物めいた愛想笑いに警戒するが、青年は構わず空になった俺のコップを取ると焼酎の水割りを作り出す。

「あっ君、合谷さんの相手は俺がするからあっちいっていいよ」

「はっはい」

 俺が相手してやっていた奴は助かったとばかりに慌てて去って行くのを青年は確認をすると再び口を開く。

「ご謙遜を、っとそういえば名乗っていませんでしたね。それでは警戒されても仕方ないですね。

 私は、鏡剪 拾といいます」

「みきり しゅう。聞いたことも無い名前だな」

 どこかで見かけたか? 頭角を現すのはこれからと抑えて学内においては俺はそれほど有名人じゃない。よっぽど朱音の方が有名だ。それでいて俺に興味を持つ。俺の溢れる才気に気付いたと思うのは自惚れか。

 だとすれば鏡剪は俺の裏家業のことをどこかで嗅ぎ付けたのか? 嗅ぎ付けたとしてどこまで? 早急に確認する必要があるが、カマ掛けだったら余計な藪を突くことになりかねない。本当に俺の才気に気付いただけかも知れない。

 どうする?

 まあいいか、いざとなれば黙らせるのは簡単なことだ。

「どうやって俺を知った?」

「貴方は学内では私と違って有名人じゃないですか」

 そうなのか。俺が知らないだけで、みんな俺の溢れるオーラに惹き付けられていたのか。

「そっちじゃない、ビジネスの方だ」

「蛇の道は蛇。あなたが統率が取れた一団を率いて、その方面で頭角を現しつつあることは、こっちの業界では有名ですよ」

「お前」

 知っている、確実に俺の裏家業のことを知っている。

「この業界、有名になると嫉妬する者がちらほら出てきませんか?」

 鏡剪は此方を探るような目で見てくる。

 販売ルートは信頼が置ける人に託している。あの人とコネを持てたことこそ俺の人徳というもの、あの人からの線はない。

 モザイクも目線も完璧、訴えるなんて馬鹿な気を起こさないように女達への追い込みも完璧。だもんで俺達の商売のことが外に漏れるわけがないから、俺様に嫉妬してちょっかい掛けてくるような命知らずが出てくるわけがない。

 そう完璧なんだ。

 でも。

 なら。

 なんで此奴は俺達のことを知っている?

 どこから俺達のことを嗅ぎ付けた?

 鏡剪の目に背筋に汗が滲み出す、こんな俺が殴れば一発で沈むような奴に。

 そんな俺の心を読んだように言葉を続け出す。

「こう言っては何ですが、そういう時にこそ私が役に立つと自負してます。ですがまあ、ここでの商談は無粋ですね。どうです河岸を変えませんか、商談をするのにいいところを知っているのですが」

「おいおい、急だな」

 確かにこんな所でする話じゃないが、足下を見られるように飲み会をぶっちしてまで急ぐことでもない。後日ゆっくりと対策を練ってから話し合った方がいい。

「急? 遅いくらいですよ。

 危機感が足りないんじゃないですか?」

 鏡剪は小馬鹿にするように言う。普段の俺ならこんな態度絶対に許さない。だが今はそんな事に気にしてられない。点と点が繫がってしまったんだ。

「おいっそれはどういう意味だ」

 まさか林野ことを言っているのか、そうなのか。

 大声を出して問い糾したいところだが、俺はグッと呑み込んで平静を装う。これ以上此奴のペースに呑まれてたまるか。

 俺はビックになる男、クールに対応するぜ。

「ですから、場所を変えましょうと。

 貴方もこれ以上の話を誰かに聞かれるわけにはいかないことは重々承知でしょ」

「分かった」

 此奴のペースに乗せられているのは癪だが、情報さえ聞き出してしまえばこっちのもの、今までの舐めた態度と合わせて思い知らせてやる。


 合谷と鏡剪は誰に断ることなく部屋から出て行き、その様子を朱音が面白そうに眺めていたのであった。


「おい、どこにくんだ?」

「こっちにいい店があるんですよ。静かで密談するのにピッタリなね。

 あっ但し女の子は諦めて下さい、それは商談成立後のお楽しみと言うことで」

 そう言いつつ鏡剪はドンドン繁華街から外れていく方に向かって行く。だが俺に恐れはない。いざとなればこの腕力でこんな男軽くひねれる。やっぱり最後に頼りになるのはこの腕力、暴力よ。

「ふんっ俺は別に女に困っているわけじゃない。そんなにがっつかないさ」

「流石合谷さん。あっこっちの通りから行きましょう、近道なんで」

 俺のこんな状況でも軽口を言える胆力に鏡剪もお追従をしてくる。

 ふん小物が。この分じゃ本当に俺に取り入ろうと何かしらの手土産を持ってきただけかもな。タイミングよく林野と連絡が取れなくなっているから、変に考えすぎたのかもしれない。

 鏡剪は少し寂しい通りに入り込み、俺も剛胆に続く。

 完全に裏路地という奴で光は大通りから漏れる街灯のみ。ポリバケツから漏れる生ゴミの臭いがする。

 さっさと通り過ぎたい俺の背後から声が掛かる。

「合谷だな」

 振り返れば、二メートル近くある身長に全身に筋肉の鎧を纏ったような大男。そんな大男の40代厳めしい髭面のオッサンが精一杯の愛想笑いをして俺に再度問い掛けてくる。

「職芸大学の合谷君で合っているかな?」

「誰だオッサン」

 いい年して自分の息子ほどの男に愛想笑いをするなんて情けねえ。木偶の坊か?

 俺が恐れることなく答えるその瞬間、大男から風切るヤクザキックが唸る。

「うぎゃあああああ」

 咄嗟に腹を防御した腕がへし折られる勢いで蹴りがめり込んでくる。

「てめえっ」

 威嚇し一旦体勢を整えようとするが、腕が痺れて上がらない。その痺れが取れるのを待ってくれない、逆に付け込んでくる。さっきのヤクザキックが嘘のような滑らかで無駄のないジャブの連打が腕が痺れてガードできない俺の顔面に向かってくる。

「くそっ」

 必死にボクサー顔負けのヘッドスリップで躱そうとするが、ホーミングするようにジャブの軌道が曲がり、目の前が真っ赤に染まってスパークした。

「いてっいていたい。ちょまてまてって」

 情けない声を上げてしまったが、演技だ。演技しつつ俺は腕の痺れが取れたことに気付いていた。こうなったらこっちのもの、俺の必殺技を喰らわせてやる。

 俺は林野と違ってストライカーじゃないグラップラー、相手を倒してからの寝技こそ真骨頂。

 ここだ。

 俺は連打の切れ目を冷静に狙って起死回生のタックルを放ち、大男の足を絡め取った。

「勝った。ここからは俺のタ・・・」

 これで足を刈り取ってしまえばもう俺のものボコボコにしてやるというのに、後頭部がドンと響いて体中の力が抜けていくのを感じた。

 生ゴミの汁が広がる地面に顔面ダイブ。辛うじて首だけ動かして大男の方を見れば、鉄槌を打ち込んだままに残心を取る大男の姿が現れていく。

「馬鹿が。これは競技じゃねえんだ。迂闊なタックルなんぞ急所の後頭部を晒すだけだっての」

「ぐおおおおおお」

 動かない動かない体が動かない、なんか変なうなり声も漏れてしまう。

「悪いが兄ちゃん調子に乗りすぎたな」

 大男が止めとばかりに足を振り上げ、その大きな足裏が見える。あれが迫ってきたら頭を踏み潰されちゃう。

 助けて助けて、俺はこんなとことで終わる男じゃないんだ。

 大男が足を振り下ろそうとして、大きく飛び退いた。

「おっかねえな、兄ちゃん。いきなり光り物かよ」

「ふんっ筋肉達磨の怪物共に文明の利器で挑んでなにが悪い」

 大男が睨む先鏡剪は闇の中でもきらりと輝くナイフを持っていた。

「見逃してやろうかと思ったがそんなもんを出した以上覚悟は出来てるだろうな」

「そっちこそ」

「ナイフを持ったくらいで俺に勝てると思ってるのか」

「まさか」

 鏡剪は懐からおもちゃの銃を取り出す。そうおもちゃの銃、緑の蛍光色のプラスチックが薄暗闇でも目立つ。

「兄ちゃんそんなおもちゃで何する気だ?」

「ゴリラに人類の叡智を教えてあげよう」

「そんなおもちゃでか?」

「時代遅れが。いまじゃ金属並みの耐久の強化樹脂と3Dプリンター、そして頭があれば何でも作れるんだぜ」

 鏡剪は自分の頭を誇らしげに指で叩くと引き金を引いた。

 本物の銃声より響く銃声が繁華街に響く。

「うごっ」

 大男は肩を押さえて崩れる。

「てめえ。今ので殺れなかったこと後悔させてやる」

 俺が今まで喧嘩してきた相手なんか比じゃない殺気の籠もった目で睨み付けるが、鏡剪は平然としている。

 負け知らずの俺を軽くあしらう大男と強がりでも追い詰められてでもなく平然とナイフで人に切りつけ銃を撃てる男。

 俺が粋がっていた世界が猿山だと思い知らされる。

 一体どうなっているんだ?

「それはどうかな、こんな繁華街で銃声が響いてどうなるかなんて、ゴリラでも分かるだろ」

「!」

 大男も何かに気付いたように周りを見渡し、その隙に鏡剪が俺に近寄ってくる。

「合谷さん、立てるか」

 鏡剪が俺に手を貸して立たせてくれる。

「警察が来る前にずらかるぞ。走れるな?」

 言われて初めて思い至った。そうか銃声なんかが響いたら警察が来るか。

「ああ」

 俺と鏡剪は逃げ出すのであった。


 何とか大男を撒き、繁華街から完全に外れた路地裏にいた。

「おっお前銃なんかを・・・」

「まあ、今回はサービスということでいいですよ」

「サービス?」

「私がたまたま一緒にいて運がよかったですね、合谷さん。でなければ今頃山の肥やしか魚の餌か」

 そっそうだ。大男は間違いなく俺の命を狙っていた。

「これで分かったでしょ。この業界、名が知れればこうなるんですよ」

「名が知られればって、俺が喧嘩を売ったどころか、全く知らないんだぞ。それがいきなり命を狙うのか」

「やだな~何を言っているんですか。

 貴方の商売が繁盛すれば、誰かが割を食う、恨まれて当然、恨まれれば命を狙われるのは必然じゃないですか」

 唖然とする。そんなに短絡的なのか。

「または貴方の商売が繁盛するのを知って、誰かが欲しくなったんじゃないですか。欲しいのなら奪うだけでしょ」

「そんな友達のおもちゃを欲しがる子供じゃないんだから」

「それが裏家業、子供より欲望に素直なんですよ」

 何とか言い返した俺を鏡剪はばっさりと切り捨てる。

「子供世界と同じで、この業界、暴力無しでは渡り歩けない。逆に言えば暴力があればどこまでも渡り歩けるんですよ」

 シンプルに鏡剪は言い切る。

「そんなのどうすれば」

 たった今俺なんかが足下にも及ばない暴力を見せられたというのに、そんな世界を歩いて行く自信なんか無い。

 かといって諦められるのか俺? つまらないサラリーマンになれるのか俺?

「やだな~だからこそ私が来たんじゃないですか。

 例えばこの銃、今回はこの銃のおかげで助かった。その銃を商談さえ成立すれば、合谷さんにお譲りしますよ。

 これでほら、今回程度の奴は怖くなくなる」

 ごくっ。

「いいお顔です。いいビジネスが出来そうですね」

 鏡剪は極上の魂の契約が成立した悪魔のようなスマイルを浮かべるのであった。

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