第151話 群衆の空白

 眼下に見える人々の往来する様は蟻の行進を見ているようだった。

 最初は人の形をしていた者が、此方が徐々に高みに登るにつれて虫螻の如く見えてくる。 なるほど展望台からいきなり眼下を見るのでは味わえない、上り詰めていくとはこういうものかと疑似体験させてくれる。

 デートスポットより、新入社員への帝王学の教育の方があっているじゃないか。みんな出世しようと頑張るだろ。それとも二人で上り詰めていこうと一体感が増すのか?

 時雨と一緒に支配者の気分を味わうのも悪くない。まあ時雨はそういうの引くだろうな~。やはり、普通にすごーいたのしーいと馬鹿っぽくしていた方が親しみが湧くかな。

「もしも~し、なに外見て黄昏れているんですか~」

 失礼な、時雨とのデートに備えての景観のチェックと会話のシミュレーションだというのに。

「この風景を見るために、わざわざアホらしい行列に並んだんだ、見て当然だろ」

「違うっつーの。ヘタレ君はアッシーに雇われたの、こうなんてーの陰みょうじ?あべのせいめー?みたいな~感じで御札とか出して調べるのっ」

 水波はジタバトと身振り手振りを交えて俺に迫り来て抗議してくるが、根本で勘違いしている。

「俺にそんなことは出来ないぞ」

「なんですと」

 振り子のように前に出した怒り顔が後ろに引いた驚愕する。いいリアクションしてくれる。此奴ギャルやってるより、芸人になった方がいいんじゃないか?

「俺は普通の人だ、そんな超常の力なんて無い」

 俺はしれっと淡々と嘘偽り無い事実を告げた。

「詐欺じゃん」

「失敬な。俺は一言もそんな力があるなんて言ってないぞ。

 なんなら法廷で白黒付けるか?」

 話をしてたら此奴が勝手に食い付いただけのことで、俺は食い付いた魚を釣り上げただけだ。そうでないといつまでも時雨の連絡先を教えろと付き纏われるからな。こんな厄介な奴を時雨に近づけさせられるか。

「んぐぐぐぐぐぐ。

 でも出来ないとも言ってない。説明責任果たしてないつーの」

 くっ此奴、ギャルのくせに何でそんな言葉を知っている。おおかたワイドショーか何かで聞き囓りやがったな。

「出来るとは言わなかったが出来ないとも言わなかったまた出来るかどうかの説明を求められなかったし出来ないかどうかの説明も求められなかったつまりこの件に関してこの出来るか出来ないかは重要でないことが両者の間で暗黙の了解となっていたことは明白であることが明かでありよって本件において説明するかしないかは全く問題にならないことであることが・・・・」

「待ったストップウェイト」

 水波は俺の口元に掌を伸ばして黙らせる。

「なんだよ」

「よく分からないけど、政治家みたいな~秘書っぽい~煙に巻こうとしている?」

 水波は上目遣いに睨んでくるが、何か子犬に睨まれているみたいで怖くなく微笑ましいとさえ思ってしまう。

「失礼な。俺をあのたぐいと一緒にするな。ちゃんと説明しているだろうが」

 官僚っぽく、言い回しをこねくり回して本題を分かりずらくしているだけだ。

「そんなのどうでもいいっつーの。兎に角アッシーの全財産払ったんだよ」

「お前が勝手に啖呵切って払うって言っただけじゃないか。それこそ俺は金銭を要求したことは一度も無かったはずだぞ」

「うぐっアッシーの全財産」

 涙目で訴えてくるが、同じ手はそう何度も通用しない。

 女の涙は武器だが、早々に切り過ぎたな。もう慣れた、全く心は痛まない。

「だからこうして一緒に天空のエスカレーターに乗っているじゃ無いか」

 喫茶店で結んだ口約束の契約通り実行している、非難される謂われは全くない。

「これじゃただのデートじゃん」

「安心しろ。俺にそんな気は全くなく、デートとは『親しい男女が日時を決めて会うこと。その約束』というのが一般的定義、つまりこれはデートじゃない。

 強いて言えば仕事」

「嫌な奴」

 ありがとう最高の褒め言葉だ。

 言い返せない悔しさを込めた水波の顔を見て俺の心が和む。

 この俺をヘタレ呼ばわりしてくれた意趣返しはこのくらいにしておくか。

 大分気分がスッキリしたし、主導権も取り戻せたし、気分も爽快になった。

「だから契約通り、天空のエスカレーターの調査をしているじゃないか。

 ここからの眺め噂通りなかなかいいぞ。見ておいて損は無い」

「こっこっこ」

 鶏か? 怒り怒髪天を突くって感じで小麦色の肌が真っ赤になって声を詰まらせている。

 あー此奴からかうとドンドンさっきまでの曇っていた心が晴れるが、俺は大人でプロフェッショナルだ。

 愉悦に浸っているわけにはいかない。

「お前は何か勘違いしているぞ」

「何が」

「特殊能力は無い、それでも俺はお前よりは優れている」

「むかつく~」

「まあ、顔を河豚のように膨らませてないで見てみろ」

 俺は人差し指を立てて天井を指差す。

「何よ。追加料金でやっぱり一回追加」

「それは勘弁して下さい」

 速攻で頭を下げた。

 クソッ、予想の斜め上だぞ。取り返した主導権を放り投げそうになる。

「ちょーMMC」

 水波が静かにゆっくりとだが息吹をしつつ構えていく。

 口で勝てないことをついに理解して手で来るか?

「あー話が進まない。もうもったいぶらない、格好付けない。

 天井にカメラがあるだろ」

「それが~」

 水波は天井を見て防犯カメラがあるのを確認するが、それでも此方の意図は分かってくれない。

 こう此方が種を明かせばぽんぽん打ち返してくる知的バッターが欲しい。

「死角無しで配置するほど予算はなかったのだろうが、それでも一定間隔には配置されている。

 つまりだ。お前の友達がこの天空のエスカレーターに入ったのなら映像として記録されているということだ。そして・・・」

「そんなの当たり前じゃん。アッシーに写メ送ってきたっつーの。何度も言ったつーの、写真も見せた。そんなこと疑ってない」

 折角もったいぶらずに答えまで言おうとしたのに、猛然と割って入って邪魔してくる。

 ちょっと今までからかいすぎたか?

 仕方が無いのでキャンキャン吼える姿を鬱陶しいと思いつつも水波の気持ちがある程度落ち着くのを俺は冷静に待つ。

 そして流石に息切れした瞬間を捕らえて俺は言う。

「そして出た記録がなければ事件だ」

 やっと言えた。

「えっ」

 水波は悟りでも開いたかのような顔をした。

 天空のエスカレーターは一本道、何処にも逃げようがない。なら話は単純入った者がどこかの監視カメラに写らなくなればそこで失踪したことになる。こんな風防で覆われた逃げ道がないトンネル状の通路の途中でいなくなれば、ユガミとまで断定は出来ないが何らかの事件性は十分疑える。それで旋律士は兎も角警察は動かせる。

 もっとも俺も半分警察なのでもう既に動いているようなものか。

「でも監視カメラの映像なんて見せてくれるの?」

「誑し込め。腕の見せ所だ、得意だろ」

 俺は水波の得意気に晒された胸の谷間を指差していう。

「ぐううううう、やってやるじゃん」

 決意を固めた顔をして返事をするが、別に期待していない。

 一等退魔官の権限を使えば記録映像を提出させることは可能だろ。問題は二日前の映像データが残っているかだが、二日前程度なら残っていると考えるのが普通、問題ないだろ。問題なのは部下のいない俺は二日前の映像データを延々と本来なら自分で調べなければならないことだが、今回に限りは映像データとのにらめっこを自分でする必要が無い。

 なぜなら友情に厚い此奴なら喜んでやるだろうし、ごねたら誑し込むのを失敗したことを口実にしてやらせる。もう既に誑し込むは十中八九失敗と俺は見込んでいる。ただ単にキャンキャン吼えられた溜飲を下げるために言っただけ。一番めんどくさいポイントは、どう転んでも水波にやらせるつもりなので楽なもんだ。

 それに水波も自分で調べれば、どんな結果が出ようとも納得するだろ。

 しかしどうしてだろう、此奴を見ていると効率重視の俺が仕事が遅くなるのが分かっていながら、からかってしまう。

 気にしてないつもりだが、無意識下でよっぽどヘタレ君呼ばわりがむかついているんだな。それでも少しやり過ぎたかな、上に着いたらデートの調査を兼ねてランチくらいは奢ってやるか。

 さて問題解決したことだし、俺は本来の目的を果たさせて貰うか。

「これで分かっただろ。もう俺達がこのエスカレーターに乗って調べることなど無い。

 だったら風景でも見ていた方が有意義というものだ」

 そう言って俺は再び外の風景を見る。外を見ようとベルトに乗りかかった俺の腕に暖かく柔らかいものが押しつけられる。

「うわっすご」

 見れば子供の様に目を輝かせる水波の顔が直ぐ傍にあった。

「おまっ」

「楽しまなきゃそんなんでしょ」

 俺を見上げる水波がウィンクして言う。

「ふふ、サービスで腕も組んで上げるっしょ」

 あっという間に蛇に絡まれるように俺の腕に自分の腕を絡ませる水波、何というか俺とこう根本的に相性が悪いというか天敵?

 あっという間に主導権を取り返されてしまった俺だった。


 事故があったときの言い分けように付けたが予算の関係上死角のある監視カメラ。

 入場制限により適度に空けられた間隔、前を見たとしても前のカップルの足くらいしか見えなくつまらない。そうで無くてもエスカレーターに乗った人達の興味は外の風景、前後の人になど意識しない認識しない。

 条件が揃い。

 これだけの人に囲まれながら、誰にも認識されない魔の時。

 群衆の空白がひょっと生まれる。

「ん?」

 俺はふと外の風景から認識を外せば、いつの間にか人の気配が消えているのに気付いた。

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