第136話 妹に来訪者

 国立能力開発センターは、国民の能力開発を支援する名目で立てられ、時々ではあるがオリンピック候補とかが身体能力の科学的データの取得に来たりもする研究機関であり訓練機関でもある。

 センターは人里離れた険しい山の麓にあり、敷地内には、各種研究棟の他に体育館、屋内プール、武道場、運動場だけでなく、食堂兼購買、寮と揃っていて敷地内だけで生活が出来るようになっている。

 何処にでもあるような平凡でありふれた名前のセンターだが、その敷地は3メートルは超す高い壁で囲まれ、入口は鋼鉄のバーゲートで閉じられ、精悍な顔付きをした守衛に守られている。

 大型車一台分の幅のゲートの両脇に一人づつ不動の姿勢で立つ男達は見事に引き締まった体付きと、一般の人では持ち得ない鋭い眼光で当たりを警戒し無駄口一つ立てない。こんな山奥の人が滅多に来ないようなセンターの守衛では勿体ない人材と感じられる。そして更に言うなら日本のガードマンではあり得ないような、左の懐が膨らんでいたりもする。

 こんな山の麓で元々人が通りかかることも無いだろうが、通りかかったとしても敬遠するような男達がガードする入口に近付く者がいた。

 少女だった。小学生高学年から中学生くらいと思われ黒曜石のように輝く黒髪のおかっぱに簪が朱を添えている。右手に風車、左手に手鞠を抱え牡丹が描かれた紫の鮮やかな振り袖を着ている。時代劇から抜け出てきたような愛くるしい艶姿、それがセンターへと続く林を抜ける道を歩いてくる。その顔は朗らかな笑顔を浮かべ、少女だというのに母を見ているような気分にさせる。

 抜ける先など無い一本道、センターに用がある者以外は通らない。その道を歩いて来る少女にガードマンの一人が話し掛ける。

「お嬢ちゃん、こんな所に一人でどうしたんだ? 保護者の方はいないのかい?」

 怖い顔を可能な限り綻ばせつつ少女の目線まで屈み、少女を怖がらせないように話し掛ける。

「ううん、いないよ。おじさん私の心配をしてくれるなんていい人なのね」

「じゃあ迷子かい?」

 こんな子供がこんな所で迷子、ガードマンのもう一人は言いしれぬ嫌な予感に襲われながらも、同僚と少女のやり取りを見守っている。

「違うよ。

 私ね、この中に用事があるの。入れてくれないかな?」

 少女は見る者の心を和ませる笑顔でガードマンにお願いする。

「この中にお父さんでもいるのかい?」

「ううん違うの。おとーさんはいない、この中にいる友達を迎えに来たの」

「そうなんだ。名前は何て言うんだい?」

「早乙女 燦、おじさん知ってる?」

「離れろっ」

 見守っていたガードマンの一人が叫んだ。

「おい利田、こんな小さい娘に何を・・・」

「直ぐに進藤隊長に連絡しろ」

 利田はもう一人の非難を無視して警備室にいるもう一人の同僚に指示を出す。そして躊躇うこと無く銃を抜き少女に突きつける。

「お前何をしているか分かっているのか」

「尾仁、お前こそ何を誑かされている。

 こんな山奥に一人、早乙女 燦を尋ねてくる少女が普通の訳が無いだろっ」

 言われても尾仁は戸惑うように少女を見るだけだった。

「お前は誰だ? ここに来た目的は何だ?」

 利田は尾仁を無視して少女に詰問する。彼は叩き込まれている、魔人やユガミが決して見た目通りの存在で無いことを、物理法則を歪ませるそれが魔。それは同僚の尾仁とて同じなのに、どこか人のいい彼の見た目にすっかり安心している姿に苛立ちを覚える。魔人やユガミであると断定するのは早計かも知れないが、A級特秘事項になっている早乙女 燦を知っている時点で、一般市民で無いことは確実である。

「夢違 くせる。

 言ったでしょ、早乙女 燦を訪ねて来たって」

 くせるは利田、いや突きつけられて銃口すら全く恐れる様子無くさらっと名と目的を告げる。

「名前だけじゃ無い、誰の差し金で来たっ。早乙女に会って何をするつもりだっ」

「何をそんなに興奮しているの?」

 次々に興奮していく利田と対照的にくせるは可愛く首を傾げる。

「俺をおちょくるなっ」

 ますますヒートアップしていく利田。

「そんな怖い顔して、やっぱり現世は苦しいの?

 やっぱり現世は、地獄なの?」

「何を言っている」

「地獄に撒かれたその魂、私が救世ってあげる」

 そう言うと少女は仏の笑顔を浮かべて踊り出す。

 

 楽しそうにくせるが風車を翳してくるっと回れば、風切り音が甘い笛の音を響かせる。

手鞠をぽんと一つつけば、ぼっと燃え上がるように虚空に鮮やかな赤い蓮華の花が一つ浮かび上がる。

「なっ何が起こっている。旋律なのか? 魔なのか?」

ぽんぽんとつくごとに、真紅の蓮華がぼっと咲き甘い音に流れて浮遊する。

 それは何とも言えない光景、あり得ないほどに幻想的。ガードマン達も暫し我を忘れて魅入ってしまった。

 それでも利田は頭を振って正気を取り戻すと、垂れ下がっていた銃口をくせるに定め引き金に掛ける指にも力が籠もる。

「少女を撃つんじゃ無い。魔を化け物を撃つんだ」

「それは、やめろ。俺が捕まえる」

 必死に自分に言い聞かせる利田が引き金を引く前に尾仁は射線上に割って入って素手でくせるに飛び掛かる。

「馬鹿がっ」

 利田は舌打ちしつつも同僚を撃つことは出来ないとばかりに、一旦引き金から指を外す。

尾仁の少女に発砲出来ないさせない優しい行動だが、絵面的には少女を誘拐しようとする悪漢にしか見えない。

 尾仁の猛然としたタックルをくせるは蝶が舞うようにひらりと振り袖を靡かせ躱してしまう。

 そして踊りと風車と蓮華が世界を紡ぎ出す。


 人は汚泥に撒かれた蓮華の種


 一輪の花を咲かせましょう

  生まれて

  老いて

  病に出会って

  死の花が咲く

  汚泥に足掻くが人生か

 救いを求めて汚泥の底より芽を伸ばす


 風車を日本舞踊の藤持ち枝の如く艶やかに振り回し旋律を奏で、振り袖で羽ばたき手鞠をつく。

虚空に浮かぶ蓮華に彩られ地上で遊ぶ天女、もはや人の手が届く存在に思えない。

 焦れた利田が叫び尾仁を後ろから蹴り飛ばす。

「どけっ」

 利田はくせるの顔を見て一瞬だけ躊躇ったが引き金を引いた。しかしその銃弾すらくせるはひらりと躱すか、いや銃弾自ら逸れて行くのか。銃弾はくせるに当たること無く虚空に無粋な銃声と共に呑み込まれていく。

 それが最後の抵抗だった。

 ゆったりと甘い笛の音の音楽。

 虚空には無数の真っ赤な蓮華の華がゆらゆらと漂う。

 音楽と蓮華に彩られ、菩薩の笑みを浮かべる少女が舞い踊る。

 迷い込んだか極楽浄土。

 ささくれだった心の棘は抜かれ、まろやかに軽やかに。


 一輪の花を咲かせましょう

  愛して分かれ

  憎しみに出会う

  手を伸ばしても入らず

  ままならぬ心を抱えて執着する

 汚泥に沈むが終着か

 死して汚泥を抜けるが終着か


 もはやここに闘争は無い。

 穏やかな心で穏やかなときが流れる。

 ああ極楽浄化の黄金世界、あれほど険しい顔付きをしていたガードマン達は子供のように険が取れたあどけない笑顔を浮かべて踊りをうっとりと眺めている。


 一輪の花を咲かせましょう

  四苦八苦を糧にして

  極楽浄土の道標

 死相蓮華の花が咲く


「へぶっへぶへぶ、へじゅんべ」

 利田の険が取れた顔の米神の辺りの血管があり得ないほどに浮かび瘤のように膨れあがっていく。

「ごらじゃおごらじょが」

 尾仁の左目が真っ赤に染まりデメキンのように飛び出てくる。

「「ひゅびゅん」」

 利田の瘤が破裂し、尾仁の眼球が大砲の弾のように打ち出され、血が噴水のように噴き出す。

 噴き出した赤い血は天に伸び上がり、ふわっと開いて蓮華の華となる。

 曇り無き鮮血の蓮華、それは虚空に浮かぶ蓮華と同じであった。

「ふふっ綺麗ね。極楽浄土には行けた?」

 くせるは利田の米神に生えた蓮華を手折ると鼻に近づけ、その香りにうっとりとする。

「あなたはどう?」

 くせるは振り返り尾仁の眼球を突き破って生えた蓮華を見る。

「これも綺麗ね。

 さて、もっともっと救世って上げないとね」

「お嬢」

「ん?」

 くせるが振り返るとそこには黒スーツを着込み腰に日本刀を下げた黒髪ストレートの美女がいた。

「瞑夜来たの」

「来たのじゃ有りません。お一人での行動は危ないとあれほど言ったのに・・・」

「お説教はいいから、門を開けて」

「お嬢今日という今日は・・・」

「開けて、おねがい」

 子猫のようにくせるはお願いする。

「はあ~分かりました。鼠」

 甘えられればもう怒れない甘々の自分に溜息一つ吐くと瞑夜は後ろに控えていた男達の一人に命じる。

「ほいほい」

 鼠と言われたこれまた黒服に身を包んだ痩身の男が守衛所に向かう。

「あっついでに花も摘んできて」

「はいはい」

 鼠が守衛所に入ってほどなく入口を塞ぐ鋼鉄のバーゲートが重々しく開き出す。

「じゃあ、みんないこうか」

「はい、お嬢」

 くせるを先頭に瞑夜、鼠、巨漢の大男、更に一歩下がって黒服の男達が続いてゲートを潜っていくのであった。


 その様子をモニターで見ていた男がいた。

 髯を生やした精悍な顔つきの壮年で影狩達と同じ制服に身を包む男、進藤である。

「諸君喜べ。

 自衛隊特殊戦部隊の初手柄を上げるときが来た」

 進藤は後ろに控えていた部下達に振り返って自信たっぷりに語りかける。

 そう彼等こそセクデスのテロを受け各自衛隊の部隊から魔に対抗出来る素質があるのと見込まれ選抜され、魔の研究の権威である桐生博士の下で国立能力開発センターで対魔戦を想定して訓練を重ねてきた戦士なのである。

「これで税金泥棒も終わりですね」

 副隊長と思われる美丈夫が答える。

「そうだ。セクデスの事件を受け結成された我々の真価を示すぞ」

「「「「「はっ」」」」」

 部下達の声に恐怖無し、意気揚々と敬礼で答えるのであった。

 今ここに魔旋律士くせる一味と国の威信を賭けて結成された特殊戦部隊、魔と科学の戦いの火ぶたが切って落とされたのであった。

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