第125話 それぞれの感情
「ここだ」
左手にはテニスコート、右手にはスリーオンスリーのコートがある隠れる場所など無い視界が開けるストレート区間、ここで発信器の信号は途絶えた。
前回は曲がりくねって木々に人目が遮られる区間だったが、今回は人目そのものがないからと遠慮が無い。だがそのクセ前回逃がした如何にも罠臭い少女を躊躇うこと狙う。人目を気にするのに、囮には気付かない、このちぐはぐさ知恵があるのか無いのやら。それともあれだろうか、人目が無いと輝く才能と二つの条件さえ揃えば自動的に発動するトラップとみたいなものなのだろうか?
ユガミは一部の例外を除き一つ一つが違う。今まで出会ったのと似てるからと安易に経験則で判断すれば死に直結する。一期一会の疑心暗鬼こそ生き残れる秘訣。
「行くぞ」
俺は六本木に向かって手を伸ばし、その手を六本木は汚物のように見る。
「この手は何? もしかして握れって事?
キモッ。
キャバクラの同伴と勘違いしてませんか?」
六本木は前を締めたコートのポケットにさっと両手を入れて答える。
本気で俺を舐め腐っているな。
「キモイのは認めてやる。だがこれは仕事だ」
「私の手を握りたいだけでしょ」
この顔がイケメンだったらこんな煩わしいやり取りをいちいちしなくても済むのだろうが、イケメンじゃないのでしょうがない。口を開いて言葉を尽くして説明するしか無い。
「現実と幻想の狭間の空間に入る際にバラバラになったらどうするんだ?」
「ええ~そこから入るだけでしょ、簡単じゃ無い。やっぱ触りたいだけだ。
セクハラよセクハラ」
女子の決まり文句を言うが、それならこっちだって言葉の暴力、パワハラよパワハラと言い返したいが、ここは楽し喧し学校じゃない。
仕事だ。
「言っておくが犬走をしっかり認識出来なければ、このストレートを通り過ぎていくだけだからな」
「そのくらい出来るわよ」
如何にも売り言葉に買い言葉的な感じで胸を張って言い返してくる。
「そうか、分かった。ならお手並み拝見させて貰おうじゃ無いか。
レディーファーストお先にどうぞ」
そう六本木の言うとおり犬走を認識していれば狭間の空間に入るのは、そう難しくない。
だが万が一、俺が先に狭間の空間に突入して六本木が突入して来れなかったら?
簡単に迎えに戻っては来られない、無力な二人がユガミの前に差し出されるだけ。
上手くいけば前回と同じ決死の脱出劇の繰り返し、下手すればジエンドだ。
「ふん、見せてあげようじゃ無い」
六本木はすたすたとストレートを歩いて行き、そのまま進んで小さくなっていく。
あっ止まった。
肩がわなわなと震えているのが見える。
「本当にここなの?」
全速力で戻って来て迫る六本木の顔に少し涙が滲んでいる。
「証明してやるから手を繋げ」
「もし違っていたらセクハラで訴えてやる」
「ご自由に」
正解だった場合の条件を提示したいところだが、大分時間を無駄にした。前回の経験から取り込まれて直ぐにどうこうなるようなことはないはずだが、予断は禁物だ。
手を握り感じるのは柔らかく滑らかな感触の手の甲と堅く高質化した掌。それに俺は少し安心する。
俺は犬走を頭の中に思い浮かべ、その姿を網膜に戻しストレートの先にその姿を投影する。犬走はそこにいると、俺だけが認識する犬走に向かって歩き出す。
一歩。
二歩。
三歩。
踏み出していく足、特に違和感を感じること無く進んでいく。
左手にテニスコート、右手にスリーオンスリーのコートがある変わらない風景。
俺達二人だけの風景、静かな冬の夜。
そよぐ風の音さえ響く。
語らず手を繋いで歩く二人は、端から見れば逃避行をする恋人同士にでも見えるかも知れない。
そのまま静かにやがてストレート部を通り過ぎようとしていく。
「ちょっといつになったら入れるのよ。やっぱセクハラ」
「これを見ろ」
俺は六本木の手を離し受信機の画面を見せる。
途絶していた電波を再び受信しだし、犬走が元気に走っている様子がマーカーが移動していることから分かる。
「じゃあ、早速追いかけましょう」
「その必要は無い」
マーカーが示す地点に走り出そうとする六本木を俺は止める。
「どういう意味?」
「ここで旋律を舞え。
犬走は何があっても決められたペースを守る。だとすればもうじき一周してここに戻ってくる。追いかけるよりここで待ち受けた方が効率的だ」
犬走の精神は強い、決められたとおりのペースで走っているのがマーカーの移動速度から読み取れる。
「私貴方のそういうとこ嫌い。
なんで人が危険に晒されているのに、そう冷静に計算出来るの?
人間らしい感情無いんですか?」
他人のことで、基本的に犬走が俺の守るべきものリストに入ってないからか。リストに入ってないものなどディスプレイを通して見る人に等しく、殺されようが笑おうがテレビを見ている以上の感情は湧いてこない。
っと素直に言えば好感度が上がるどころか、六本木との溝は深まるばかりで仕事に支障を来す。
俺は馬鹿じゃ無い、自分で感じることが出来なくても他人の感情を類推することは出来る。出来るなら合わせることも出来る。全くどうして他の連中は己の感じる感情こそが普通で正しいと思っている。そして自分が感じた感情以外を感じるものを異常者とレッテルを貼って恐れ排除しようとする。
くっお笑いだよ。感情なんて一分後には真反対に感じているかも知れないものを行動指針にするなんて、日時計を頼りに大航海に出るようなものだろ。
言い合うのも面倒、この女に責任を放り投げてもいい、別に出世に興味は無い。
だがここで犬走が危ないと慌てて駆けつけるのは、彼女を侮辱したことになる。
犬走は俺の守るべきものリストには無いが、彼女は俺との段取りを守り着実に実行している。己の復讐心に狂ってユガミに無謀な特攻をすることも、恐怖に負けて止まったりペースを速めてしまうことも無い。
彼女はプロでは無いがその精神はプロだ。己の果たすべき仕事を着実にこなそうとしている。ならば安っぽいヒューマニズムでなくプロとして応えることこそ彼女への最大の敬意だと俺は信じる。
彼女は計算した時間通りにここに来る。
ならばすることはただ一つ。
「幾らでも嫌え、親にだって言いつけろ。
だがその台詞、頭ではそれが正しいと分かっているな」
そうこの女も頭の回転が悪いわけじゃ無い、ただ感情が優先されているだけ。
「分かっているなら悪いことは全て俺に押しつけて旋律を舞え」
「あなたって本当に嫌な奴なのね」
「その通り、俺は嫌な奴で嫌な気分を振りまく。
だがお前は違う、ここでお前が一発決めてくれればみんなハッピーな気分で家に帰って眠れる。
なんなら夕食くらい奢ってやってもいいぜ」
「ほんと」
ん? 予想外の笑顔の答えが返ってきた。
「ああ」
「じゃあ、フレンチのフルコースね。もうキャンセルは効かないから」
なんなんだ、奢って貰えるなら嫌いな奴とでも食事が出来るのか?
類推するに、ここはあんたなんかと食事するくらいなら便所メシの方がマシよとか啖呵を切るところじゃないのか?
「犬走と一緒に奢ってやるよ」
「よーーーし、頑張るぞ」
六本木は前を締めて完全防寒体勢を取っていたコートをバッと勢いよく脱ぐ。
コート下から表れたのはレースクィーンが来ているような襟付きの白のビキニで強調されたグラマーな躰だった。
膨らんだ胸を覆い隠すことで逆に開いた胸の谷間が際立ち。
豊満な尻を引き締めつつもギリギリまで下げられたラインで肌を晒す。
上下に彷徨う視線には引き締まった腰から盛り上がる腹筋に魅惑的なアクセントを与える臍が映り込む。
これで上下に彷徨っていた視線が全体を俯瞰して見るようになって気付く天が与えた黄金比の体。
この女が多少天狗になるのも頷ける、つくづく旋律士よりそっちの方が天職と思う。
美術品を鑑賞する気持ちになる俺に六本木はコートを放り投げる。
「高いんだからちゃんと持っててね」
アイドルの付き人扱い、まあ綺麗なものを見させて貰った礼に文句は言わない。
ん?
どこから出したのか見逃してしまったが、いつの間にか六本木は身長の半分ほどもある銀に輝くリングを両手で持っていた。
あれが旋律具なのか、リングには六つの太鼓が等間隔に固定されていて雷様が背後に背負っている雷鼓のような形状をしている。
「感謝しなさいよね、私の超絶美しい旋律を見せてあげる」
いきなり六本木はリングを上に放り投げ落下してくる輪の中にその体を入れると同時に、腰を回し出す。
ふりふりと尻を振れば、連動してリングも腰を起点に回り出す。
これだけなら何のことも無いフラループ遊びだが、六本木は尻を誘惑するように左右だけで無く上下運動も加えれば、リングも水平に回るだけで無く袈裟に回り逆袈裟に旋回を始める。
尻をふりふりぐるんぐるんと振り回し。
幻惑するように月光を反射して回るリング。
リングがミラーボールのように月光を反射し六本木をキラキラと上から下からと照らす。
照らされ輝き六本木の上半身もダイナミックに踊り出す。
跳ね上がり胸が揺れ、腕が振られる。
さながらディスコのお立ち台、六本木は踊りリズムを刻み出す。
「イエイ」
六本木は体がリズムを刻みノリ出せば回るリングに付いている太鼓を叩き出す。
ん、トゥ。ん、トゥトゥ。
出だしはゆっくりとして力強いバラード調のビート。
段々と段々とリズムはアップする。
それは鼓動。
ドクンドクンと心臓に合わせて胸が上下する。
命の鼓動。
溢れんばかりの生命の迸り。
白き肌が朱に染まり汗が湧き出ては流れ落ち生きていると主張する。
そして情熱。
命の迸りを情熱に変えて体で表現する。
衝動のままに全身で踊る。
洗練された動きじゃ無い、それは太古の原始。
炎に狂い、人が純粋に神に捧げた心のままの踊り。
どんどごどんどご、ドンドン。
体中の血が湧き上がってくるようなリズムに俺もいつしか寒さを忘れタップを刻んでいた。
時雨の幻想的な美しい旋律と対極的な荒削りで純朴な旋律、こういうのも悪くないと思っていると、前方から犬走が嫉妬の群衆を引き連れ此方に走ってくるのが見えた。
旋律のクライマックスは近い。
「ダッシュ」
俺の号令に犬走は機敏に反応した。
少し腰を落とすとその足を爆発させた。ぐんぐんと嫉妬の群衆を引き離し俺達の傍まで駆け寄ってくる。遅れて追いかけてくる嫉妬の群衆、決してスピード上げたりしないでじわじわと迫ってくる。
手口が安定で変わらなくて助かったぜ。
これで六本木と嫉妬の群衆の間に障害は無い。
「六本木流、情熱の鳴動。
はああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ」
リングを手に持って左に振り払えば、リングにそこから切れ目が走って真っ直ぐ伸びて棒となり。
右に振り払えばカチンカチンと各所がワイヤーを介して分離していき鞭となる。
「ふんっ」
そして天に振り払えば、ぐんぐんと10メートル以上は伸びて天に向かってそそり立つ。
「はっ」
六本木は天に伸びた鞭を向かってくる嫉妬の群衆に向かって振り下ろし、叩き付ける。
瞬間火山が噴火したかのような大爆発が起こる。
「ぐわっ」
咄嗟に腕で庇ったが爆風で体が一瞬浮き上がった。嫌がらせか、こうなるなら離れろと一言あっても・・・。
湧き上がる噴煙に轟音、目が塞がれ耳が馬鹿になる。
「ちっ」
状況が全く分からない。取り敢えず後方に下がって行くが、退治も洗練された時雨とは対照的におおざっぱだな。
視界一杯の土煙、息苦しさえ感じる。
段々と後ろの光景が透けて見えてくるのに連動して息苦しさも薄れていく。
耳鳴りが治まり視界が晴れた先には地面がクレーターのように剔れ、あちこちに嫉妬の群衆を構成していたものの手や足、首、あるとは意外だった内蔵とかがトッピングされている。
凄いが、今回は狭間だから良かったが通常空間でこれを放ったらユガミとは別の大惨事が発生するな。もしかしてこれが如月さんの所で書いていた始末書の原因か?
まさか犬走は巻き込まれてないよなと見渡せば俺の直ぐ傍にいた。
足とかに転んだ擦り傷も無い、走っていたから返って爆風の威力を流せたか。
まず一安心。
「どうよ」
クレーターと俺達の間に立つ六本木がそれはもう得意気に此方に振り返ってくる。
早く褒めろ喝采しろと体中で表現している。
俺は油断無く散らばった肉片を見ているが、徐々にだが塵と成って消えていっている。
倒したようだな。
業腹だが、褒めてやるか。
色々あったが此奴は此奴で仕事を果たした。
仕事さえきちんと果たしてくれるならリップサービスくらい・・・。
うらやましい。うらやましい。
気が緩んだ俺の背後よりどろりと怖気立つ嫉妬の声が木霊してきた。
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