第123話 一番底

 街灯と月が照らし出す運動公園、深淵の森の如く冷たい夜風のみが走る。

 ここを管理している市役所を動かすため噂にあった賄賂ネタを土産に市長を説得して、整備工事のためという名目で四日間ほど立ち入り禁止にして貰った。

 本来なら直ぐにも退治に向かいたいが、あの日ぶっ倒れるまで走り続け、干涸らびたフライドチキンのようになった犬走では嫉妬の群衆どころかそこらの変質者でも食指が動くまい。

 そこで食わせた。走らせた。

 モチベーション向上のため昨日なんか夕食に豪華なステーキも奢ってやったりした。

 おかげで俺の目の前でバレリーナにでも成れるんじゃ無いかと言うほど地面にべったりと張り付くように座って躰を解している犬走の太股は、肉が蘇り女性らしい丸みのあるフォルムを醸し出すほどに肥えた。予備日など必要なかったか。

「仕上がりは上々か?」

 俺は入念に柔軟を続ける犬走に訪ねた。

 体付きはマニア好みに仕上がったが問題は走れるか、別に嫉妬の群衆と命名されたユガミは性的に狙うわけじゃ無い、あくまで輝く走りに食い付く。

「ええ、まあ走りの方は大丈夫よ。妖怪なんか嫉妬の視線で釘付けにしてみせるわ」

 流石トップアスリートだ、躰の調整はお手の物。今までピークが大会日になるように綿密に計算し地道に調整していたのをかなぐり捨てることで短期間で復活させている。大会での優勝、後のことなど考えてない。

 馬鹿だな。

 つくづく思う。

 ユガミ被害など災害被害に等しい、ユガミを恨むは台風を恨むようなもの。

人が恨むのは人だけにしといて、死んだ親友の無念を晴らすために大会で優勝してみせるという陽の選択肢もあった。そうすれば美談にも成り今後の自分のキャリアアップにも繫がり、その先へと邁進して行ける。

 同じ己の中の思いを昇華させるならそっちの方がメリットがあるというのに、一時の感情で、いや違うか分かっていて陰を取る。

 陰と陽の選択を突きつけられ、その人間の本質が露見する。

 陽を選べる者こそ豊かで明るい未来を獲得していける。

 彼女は陰を選ぶ愚か者。

 付き合ってメリットがある人間じゃ無い。

 そんなこと分かっているのに四日も運動公園を封鎖する為いらぬ手間を浪費する。

 俺も愚者か、ならせめて美しき愚者でありたい。

「ただもう一つの方の特訓の成果はあまり期待しないでね」

「そうか」

 そっちは別にどうでもいいというか、あくまで犬走の体調が嫉妬の対象となるほど戻らなかった時のための保険。今の犬走の仕上がりなら必要ないことが分かる。

「しかし貴方まじめそうでいてというか、見た目通りなのか、相当ムッツリなのね。雪月さんも大変だわ」

 犬走は呆れ交じりに言う。

「なんでそうなる?」

「わざわざ、コーチまで派遣して」

「意図はちゃんと説明したし、お前も理解したのだろ?」

「あの賀田さんって何者なの? 綺麗で頭も良くて、それでいてあんなに艶やかと言うか色気があるというか、あなたの愛人なの?」

 人の話を聞かない上に話が逸れている。こういう筋道が通らない会話は嫌いで苦手だ。だからといって避けていては人の輪に溶け込めない。

 ここで俺も彼女同様話を別の話題に飛ばしてもいいんだが、こういう女は自分は平気でするが相手がすると怒り出す。理不尽を感じながらも、作戦開始前にギクシャクするのも何なので俺は大人になって律儀に答える。

「違う」

 愛人では無い。それは断言出来る。

 男三人で呑んで巻き込まれた事件の後始末は俺がキッチリ禍根の根毛すら残らないように除去した。それが気に入ったのか、彼女はそれ以来俺に何かと依頼をしてくるようになった。そして彼女は俺では届かない所に手が届く、市長の説得も彼女を同伴させることでスムーズにいけた。互いにwin-winのいいビジネスパートナー。

「まあ、この事件が終わったら約束通り特訓の成果を活かして、嫌いな貴方でも愛する女を演じて抱かれてあげるわ」

「おい、本気で俺の特訓の意図をちゃんと聞いていたか?」

 断じてそんな目的の為じゃないぞ。

「うん? 別に取り繕わなくてもいいわよ。私ちゃんと約束を守るから」

 真摯な表情で俺の目を真っ直ぐ見て言い切る姿は茶化すことの無い誠意が伝わってくるが、駄目だこの女。

 聞き流すというか、聞いても自分がこうと思ったらそう思い込むタイプだ。

 ここからこの女にちゃんと説明してちゃんと納得して貰うのは至難の業でそんな苦行はご免だ。別に誤解されたままでも事件後はもう会うことも無いだろうし、作戦に支障が無ければいいか。

 犬走が言うように俺は別に犬走に好かれたいわけじゃ無い。

「それはそこそこ特訓の成果があると期待していいということか?」

「一応、賀田さんには及第点を貰ったわ。

 少しは期待していいわよ」

 犬走は頬を少し染めて言う、自分でも恥ずかしいならいうなよ。

 しかし万が一の保険は蛇足だったか。

 そもそも走る犬走を囮にユガミを誘き出し、旋律士で退治する。

 簡単明快な仕事で万が一など必要ないと辞めようかとさえ思ったが、なぜか部屋に飾ってある人形命名「まどか」と目が合った時に打てる手は打っておこうと思い直して実行したが、俺の評判が墜ちただけなんじゃ無いか?

 幸運を呼ぶ人形との前触れだったが、俺にとっては不幸を呼ぶ呪いの人形だったか。ヤホオクで売るか。

 さて雑談をして時は過ぎていくが、来ない。

 あの女が来ない。

 集合時間に遅れないように10分前には俺と犬走は来たんだが、あの女は時間になっても来ない。

それでも寛容な気持ちで電話をしてせっつくこと無く10分は待ってやったが来ない。

これ以上は待てない待ってられるか。

 俺はスマフォを取り出すと六本木に電話した。

 繫がらない。

 着信拒否では無いようだが繫がらない。

 叱られるのが嫌なのか意図的に無視しているな。

 ここで無能はいらないと切り捨てられれば気持ちよく格好いいのだが、実際には替えが効かないのは彼方の方、理不尽でも此方は待つしか無い。

 何で俺が中間管理職のサラリーマンのようなストレスを抱えなくてはいけないんだ。


 更に30分くらい待った頃、申し訳程度の小走りであの女はやっと来た。

「ご免ね~電車が遅れちゃって」

 汗一つ息一つ切れていない、俺達の視界に入る距離から走り出したな。

 そもそも自分がでなく電車が遅れてか、路線事故のニュースなんて無いぞ。

「連絡くらいしろっ」

 ここで怒鳴った方が格が下がる。ぶん殴りたくなるような笑顔に気持ちを静めて言ったつもりだったが、少し刺々しい口調になってしまう。

「ご免ね~電車に乗っていたから電話出来なかったの、マナーマナー」

 可愛くウィンクしつつ片手で謝るポーズ、六本木の素材の良さと相まってアイドル並みに可愛く普通の男なら鼻の下が伸びて許してしまうのだろう。だが俺は初仕事でこの馴れ馴れしさに不誠実さしか感じないのは、俺の男の度量が小さいのか。

「電車のマナーをそれだけ気にするならビジネスマナーも厳守してくれ。

 それに電車を降りた時点でなら電話出来るだろ?」

「電話する暇があったらその分急いだ方がいいと思って」

「そんな気が回るなら、夜空の下待たされる方にも気を回してくれ。分かっていれば、事務所に入るとか・・・」

「ねちねち細かいな~女にもてないでしょ」

 六本木の笑顔が凍って砕けた下から此方を軽蔑する顔が表れ、声のトーンが下がる。

 そもそもその指摘、今何の関係がある。

「男なんだから笑って許しなさいよね」

 なんで遅刻した方が非難してくるんだ?

 なんとなく如月さんが口を濁した意味が分かったが、こちらも初心な青年じゃ無い。

 退魔官になる前は数々のバイトをこなしいなし、これより酷い奴なんか両手で足りないくらい知っている。

 遅刻なんて可愛いドタキャンされなかっただけ立派じゃ無いか。

 可愛く謝って許して貰おうなんて子供みたいで可愛いじゃ無いか。

 仕事さえ果たしてくれれば、この程度は許容してもいいかと器を大きくする。

「分かった分かったから、お互い時間の無駄は辞めよう」

 何が分かったか分からないが、主語を省略出来る日本語はこういう時便利、曖昧語は素晴らしい。

「そうね。私も早く帰りたいし」

 まるで俺の所為で仕事が遅れているような言い様だな。

「さあ気分を取り直してちゃっちゃとやっちゃおう」

 六本木は自分の主張が認められたと、さっきまでの不機嫌顔がまた一転の笑顔で元気に拳を突き上げる。

 猫の目みたいにコロコロ感情が転がる女だ。

「その人は?」

 俺と六本木のやり取りを端から見ていた犬走が会話の谷間を見計らない恐る恐る尋ねてくる。

 六本木との険悪さを引き摺って犬走の走りに影響を与えるのはよろしくない。

雇用主として雇用人のパフォーマンスが落ちる行為は慎むべきだが、示しを付けないと規律が緩む。

このバランスが難しく、やはり俺は一人で仕事をするのが似合っていると思う。

 ふう~俺にもユガミが退治出来れば一人で全ての仕事を回せるのにと嘆いたところでどうにもならない。

 俺は種々渦巻く気持ちをばっさりと切り捨て、強いて事務的口調で言う。

「彼女は六本木 ユリ。ここに巣くう化け物を退治出来る退魔士だ」

「そうあなたが文香の無念を晴らしてくれるのね。

 私は犬走 火蓮、よろしくね」

「火凜ね。ユリって呼んで」

 いきなり名前呼びかよ。

「分かったよ。ユリね」

 犬走も躊躇うこと無く名前の呼び捨て。体育会系で年上には礼儀正しく接するイメージがあったが意外だった。

 兎に角これで仕事が始められる。

 だが俺は思い知る、更なる仕事の厳しさを。

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