第119話 嫉妬されない男

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「ねえ」

 肩を並べて走る沈黙を先に口を開いて破ったのは私だった。

「なんだ?」

 呼ばれて初めて少し鬱陶しそうに答えるコートの男。

 普通こんな可愛い娘を助けてそのまま会話を途切らすか?

 普通色々と話し掛けてくるだろ、なんか私なんかに興味が無いとばかりでむかつく。

「貴方が雪月さんの知り合い?」

「違うな」

 そうなんだ。

 ならこの人は何でこんな夜の運動公園に一人いたんだ。助けて貰っておいて何だけどやっぱりこの人も変質者?

 まあ、助けて貰ったんだけど。

「恋人だ」

「はっはあああああああああああああああ!?」

 こんな偏屈そうな男が可愛くて性格が良いと評判の雪月さんの恋人!? 雪月さんの恋人ならイケメンとか、さもなくば性格が良いとか。今のところどっちも及第点に達してないぞ。

「面白い顔だな少女。そう尋ねるという事はお前が犬走 火蓮か」

「フルネームで言うな。そうよ、私が火蓮よ」

 そもそも少女って、あんたそんなに年が離れてないだろ。

「はあ~」

「何で溜息を吐く」

 あからさまにがっかりしたような溜息を見せ付けるようにこの男はしやがった。

「お前、時雨に家でゆっくり休めと言われなかったか?」

「なによっ。文香、今どんな目に合っているか分からないのよ、家でゆっくり休んでなんかいられないわ」

「人の好意を踏みにじるのが趣味か?」

 私の湧き上がる闘志に的確に水を差してくる。ここは普通共感して賛同してくれるところじゃないの? 嫌な奴、何で性格の良い雪月さんはこんなのと付き合っているんだ。もしかして雪月さん優しさが致命的になって対極の駄目男を放っておけないとか。

「失礼なこと言わないでよっ。雪月さんには感謝している、おかげで心が軽くなったし。でもね、心が軽くなったのなら尚更家でじっと何かしていられないの」

「勇ましいお嬢さんだ」

「カ・レ・ン。

 貴方の名前は? いい加減名乗りなさいよ」

「変質者が襲いそうないい餌がいるかと思ってそれとなく見張っていたら、時雨が守ろうとしたその人だったとはな」

「人を元凶みたいに言うな。そもそも変質者に襲われそうないい餌って何よ」

「変質者受けしそうなマニアックな良い躰、魅力的だと褒めているんだぜ」

 コートの男は口角を上げてニヤッと笑う。

「マニアックな躰って何よ。それに人を餌にするなんて最低ね」

「俺はお前の行動に何も干渉してないぜ。仮にだが俺が危険だから走るのを辞めろと言ったところでお前言うこと聞かないだろ、むしろ俺のこと変質者と通報するだろ」

「っぐ」

 その通りだ。私はきっと反発していた。むしろ初見で変質者の犯人だとだと決めつけてました。

「それでも人として注意するもんじゃ無いの?

 頼まれたんでしょ恋人の雪月さんに」

「俺が依頼されたのは事件の調査であり、解決でもましてお前を助けることでも無い。利用出来るものを利用して何が悪い」

「最低」

 コートの男が話せば肺が爛れる汚物のように見えてきた。

 結果を出した途端にすり寄ってきたコートや教師と同じだ、汚い。

「随分な目で見てくれるな。そんな目は慣れたもんだが、一つアドバイスをしてやろう」

「なによっ」

 此奴の吐いた息に触れたくも無いが、話をしてしまう。

「そういうことは胸の内に秘めて表に出さない方が良いぞ、余計な敵を作るだけだぞ」

「私は汚い大人になんか成りたくない」

「そうかい。そういうの嫌いじゃ無いが、そういう生き方をする以上付けいる隙の無いほどに強くならないとな」

「なるわよ」

「そうか」

 コートの男は私の子供みたいな主張に反論すること無く頷いた。

「まあお前を認識していたおかけでこの空間にも入れたし、ユガミも認識出来た。後は無事脱出出来れば仕事は完了だな」

「何よ。逃げるの?」

「そりゃ逃げるさ。

 変質者なら兎も角ユガミ・・怪異といった方が良いかな、じゃしょうがない」

「退治しないの?」

「しないじゃなくて、退治なんか出来ない」

「一体何しに来たのよ」

「面目ない」

「・・・・・・・・・・・・・・」

 あっさりと認めた、私の同級生ですらもう少し気概があるわよ。

 でも私何でこんなにこの人に憤慨しているんだろう、怒るのは期待の裏返し。

 そもそもこの人の主張を全部信じれば、何で私を助けに来たの?

 何かの答えに辿り着きそうな私の思考を遮ったコートの男の声が届く。

「兎に角走っていればひとまずは大丈夫だ。

だが肝に銘じておけよ。嫉妬するような連中は、前を走る奴が躓かない内は何もしてこないが、ひとたび躓けば嵩に掛かって追い込んでくる」

「私より貴方の方こそ大丈夫なの?」

 私はまだしもコートの男はコートなんか羽織って靡かせているし靴も革靴、決して走るのに適した格好じゃ無い。

「ごもっともなご指摘ありがとう。俺の体力がある内に脱出方法を見付けないとな。

 そういうわけだ、暫く俺は黙るぞ」

 男は宣言通り口を閉じた。

 そして、再びただ黙々と二人並走して走りだす。

 男の目は真っ直ぐと前を見ているようで何処にも焦点が合ってないような、仏像が世界を見るような目をしている。

 私の存在など忘れてしまったよう。

 何でそれを少し寂しいと思ってしまうのだろう。そもそもさっきから私だけが横目で男を盗み見ている。

 何か釈然としない。

 ただ走る。

 並走して走る。

 私が吐いた息を彼が吸い、彼が吐いた息を私が吸う。

 命あれば息をする。

これは互いの命が循環させていることになるのかしら?

こんな状況なのにとりとめも無いことを考えてしまう。

こんな状況なのにただ走る、一緒に走る行為に幸せを感じる私がいた。

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 パンッ。

 どれほど二人揃ってただ走っていたのか、いきなり尻を叩かれた。

「ほらっ背中が丸まっているぞ」

「もう」

 叩かれた一瞬だけ背筋が伸びたが、正直私の限界は近い。精神力ではどうしようもない足の限界が近付いている。

「彼奴等の嫉妬の対象はお前ただ一人のようだな」

「あなたは?」

「悔しいが俺は嫉妬されるような男じゃ無いようだ」

 コートの男は軽々と肩を回して跳ねてみせる。

 確かに嫉妬の視線にべっとりと絡みつかれてそんな軽々しく躰を動かせない。

 私は嫉妬の視線に随分と体力を消耗させられている、本来ならこんなに早くへばったりしない。

「へえ~そう。それで貴方一人でだけで逃げるつもり?」

 当て擦り気味に嫌みを言う。

 どんな減らず口を返してくるか期待している私がいる。

「言ったろ。俺が時雨に依頼され請け負ったのは、事件の調査のみ。

 元々俺にお前を助ける義務は無いし、お前を助けるためにここに来たわけでもない」

「そっそう」

 分かっていた分かっていたけど、こうもあっさりと見捨てられて事にショックを受けている感じてしまう。私はコートの男は私がどんな憎まれ口をきいても見捨てないなんて、心のどこかで甘えていたのかも知れない。

「だからお前も俺を助ける義務は無い、気にするな。

 何があっても前を向いて走り続けろよ」

 そう言って最後に私の尻をひとしきり強く叩くと、コートの男はみるみる私に置いていかれて下がっていく。

「えっ」

 振り返って伸ばした手は届かない。

指先が男に触れることすら出来ずに、どんどんと私とコートの男の間の距離は開いていく。

 ざっざっざっざっざ。

 私と嫉妬の群衆の距離は変わらない、相も変わらず嫌がらせのように一定の距離を保っている。

 コートの男が言ったように嫉妬の群衆にとってコートの男など眼中に無い嫉妬の対象外。

 ならば距離を取って嫌がらせをする必要も無い。

 ざっざっざっざっざ。

「いっ今助けに」

「前を見てただ走れ、倒れるまで走るんだっ」

 止まろうとする私の背中を押す男の声。

 声に押されて走るのを止められなかった。止められなかった数歩の間にコートの男は嫉妬の群衆に追いつかれ、群衆にあっという間に飲まれてしまった。

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