第82話 回る世界

 廻の輪郭がじわじわと染みこむようにぼやけだす。

だがそれは廻の輪郭がぼやけているのか、世界の輪郭がぼやけているのか。

 自分と世界の二律。

 世界があるから自分が確立され、自分がいるから世界を認識する。

その境は自分を決めると言っても過言では無い。

 だが、その境を明確に決めることはできるのだろうか?

 世界は命は循環する、この世界に留まるものはなし。

 体だって絶えず構成物質を入れ替えていく。

 生まれた時から残っている物質なんて無い、循環、捨てられ作られる。

 体が物質が自分なら、とっくに自分は入れ替わって別人。

 それとも捨てた自分も自分というのなら、自分は世界に拡散していく浸食していく。

 拡散し、そして捨てだ自分もいつかは自分に帰ってくる。

 廻り回る、世界は自分は。

 食べたものは自分なのか?

 消化されれば自分なのか?

 出したものは自分なのか?

 吸った空気は自分なのか?

 取り込んだ酸素は自分か?

 吐き出す二酸化炭素は自分か?

 人は循環する流れ、一部分にて全体、境などありはしない。 

 セクデスは死と生の境が分からないが、廻は廻る世界を突き詰めていく内に自分と世界の境が分からなくなる。

 廻の吐き出す息がセクデスに、瀕死のセクデスの出す微かな息が混じり合いセクデスの体もぼやけ出す。


 裸の人が漂う。

 中心を見れば確固たる人だが全体を見るにつれ、体の輪郭がグラデーションの如く段々と薄くなっていき、いつの間にか段々と濃くなって行くと別の人が漂う。

 近付けば何十人という裸の人間が境無く漂う世界、量子論にて成り立つ原子分子の世界に近いかも知れない。

 裸の人間が漂う世界は醜悪とみるか美と見るか、だが群体を捕らえようとグーと引いて俯瞰の視線に立てば、それは肌色の雲。

 混沌の世界に漂う雲。

 それは水蒸気の粒で無く何十人という人で構成された雲、人雲。

 雲とは俯瞰で見れば雲と分かるが、近寄っていってもどこからが雲なのかは分からない。まさに世界に溶け込むように漂う。

 蒸発した水が天に上がり雲に引き込まれるように、滲み世界の楔から解放された人なのだろうか烽火がひいふうと儚くすーと立ち登っていき人雲に引き込まれていく。

 世界に漂う人雲。

 再び近寄ってみれば分かる。

 人雲を構成する人達は、各分野で天才ともてはやされながらも突然行方不明になり、一時世間を騒がした人達。更には、二年前に廻討伐に参加し行方知らずとなった退魔士達もいる。

 何十人もの人達で構成された雲、これこそが「廻 一」という魔人の精神いや魂。


 滲む世界が元に戻った頃、セクデスは陽炎のように霞んで消えていた。

「ふむ、これでまた新たな視点が開かれた」

 廻は満足した顔で言う。

 一人が二人になった時には、驚愕の成長を遂げた。

 だが段々と成長の度合いは鈍化していく。

 十に対して一が増えても一割、成長と共にその割合はどんどん低くなる。

 だから質を高めようと優秀な人間を狙った。

 襲い掛かってきた退魔士達を吸収した。

 それでもまだまだ足りない、人を越え神に成り世界に循環を取り戻すほどの我を手にするには矮小すぎる。

 新たな視点を求め苦労してセクデスを招いたが、その甲斐あって廻は久々に成長を実感できた。

 一人でも数十人に匹敵することもある、人間は偉大だ。


「見切ったわ」

 米占の粘度ゼロで放つ回し蹴りをスウェーで躱して回って、矢牛は最期のステップを刻む。

「オッーレッ」

 燃えるような掛け声と闘牛の如き踏み込みがなされ、右手を水平、左手を天高く掲げたポーズを取れば、ドンッと振るわす重厚な一音が轟いた。

 轟音と同時に矢牛のブーツの底から炎が燃え上がる。

「矢牛流 炎螺猛進」

 炎に会心の笑みを浮かべる顔がライトアップされ、鼓舞するかの如くポニーテールがはためく。

「くっ、粘度の操作が・・・」

 米占が空気の粘度を替える先から炎による上昇気流で舞い上がってしまう。最早米占はただの人に等しい。しかしそれでも、逃げない。

「その根性は褒めてあげるけど、甘いわね」

「何っ!」

 廻と京を結ぶ直線上に米占はいなかった。京は米占の攻撃を避け、旋律を奏でつつも微妙にでは有るが米占を軸線上から外していたのだ。

「悪いけど、頭を取らせて貰うわ」

 矢牛は米占を無視して廻に向かって最速の蹴りを放つ。

 最速だが、最早では無かった。僅か数秒の差、米占は仕事は果たしたと言える。廻は最速の蹴りを放つ京を認識し、認識されたことを京も感じたが、若さ故に最速で押し切れると曲げない止まらない突っ走る。

 素人では見ることすら敵わない蹴りだが、音速は出ていない。音速を越えないのなら進む先に生じる空気の振動は矢牛より先に伝わっていく。その波を感じて廻はサーファーの如くその波に乗るだけで高速の矢牛の蹴りを自然と躱して側面に回り込める。

「なっ」

「元気なお嬢さんだ」

 廻が手を払えば、くるっと回って矢牛は地面に叩きつけられた。

「がはっ」

 叩きつけられた反動を利用して京は素早く立ち上がると同時に廻から距離を取る。

「一発で旋律が消された」

 冷や汗で消えてしまったかのようにブーツは鎮火していた。

「二年前に戦った退魔士達に比べると君達はまだまだ技が青いね」

 ゆっくりと京に近寄っていく廻。

「そこは若さでカバーするわ。

 でもその前に一つ教えて欲しいだけど」

「何かな?」

「行方不明になった退魔士達はどこにいるの?」

 京もまた二年前の戦いは聞いていた、そして行方不明になった退魔士達のことが気になっていた。

「みんな僕になったさ」

 京に答えるその顔は優しい保父さんのようでいて、京は全身から体液が溢れるほどの恐怖を感じた。

「ははっこれも濡れるって言うのかしら。

 正直来るんじゃ無かった」

 自信溢れる顔は最早無い。京は蛇に睨まれた蛙、ワームで拘束をされたわけでも無いが心が拘束された。誰かが心を解き放たなければ、この場から一歩も動けやしない。

「さて、行きがけの駄賃だ。

 時雨君、君の精神も僕に堪能させて貰おうかな。たまには未成熟な精神もいい刺激になる」

 援軍はもう来ない。セクデスも吸収した。なら廻に急ぐ理由は何もない。ゆっくりと気の済むまで蹂躙すればいい。

 廻は心が折れた京よりまだ瞳に力が宿る時雨の方に近付いていき、廻の吐き出す息と時雨の必死の叫びが混じり合い始める。

 そして自分が何をされるか理解してしまう。

「いやだ。ボクは拒否する」

 時雨は叫ぶ。死はある意味覚悟していた。だが己が己で無くなる、それは我を持つ人間として魂をレイプされるに等しい恐怖。

「今更舌を噛み切っても無駄だよ」

 恐怖に見開いた瞳で廻を見る時雨、思考を読まれたというより伝わってしまった。

「嫌だ。ボクはボクでいたいよ。

 だっ誰か助けて」

 旋律士として戦士として生きてきた。人を助けるのが当たり前だった時雨が恐怖から初めて普通の少女のように助けを吐き出してしまった。

 伸ばされていく手に恐怖で顔を歪める時雨。

「怖いのは最初だけだよ。僕と一緒に神へ至ろう」

「中年オヤジみたいなことを言って時雨を穢すな」

 力有る言葉、太刀の如く悪意を切り裂く。

「ああ、ああ」

 立体映像のように廻の背後に表れた俺に、時雨は声を詰まらせ視界が涙に霞む。

「時雨を泣かすんじゃね」

 背後から放った体重の乗った回し蹴りを廻はさっと躱し俺と対峙する。

「さっき何か異物を感じたと思っていたが、君だったのか?

 なら君は僕の一部になったはず、なぜそこにいる?」

 廻はおおざっぱだった。実験をするなら丁寧に異物は除去しておくのが基本。異物のせいで予測不能の反応が起こることほど嫌なことは無い。

「お前が言うとおり、確かに俺はお前の雲に吸い込まれた」

「それでいて僕には成らないだと?

 僕の一部となることで人のままでは得ることが決して出来ない超越感を得ることが出来る。それは根本が上を目指すように設計された人間にとって抗えない魅力だったはず」

「俺は俺、誰にも成らない誰かに成らせない」

 俺もまた向上心、欲を持っている。持っているじゃ無い、虐められ人が信用出来なくなった俺は一人で生き抜くため人並み以上に力を求めている。

 暴力、権力、魅力なんだっていいさ。

 力を手に入れられるなら、人すら捨ててもいい。

 だが、それもこれも俺でいるため、我を貫くため。

 力を手に入れるため我を捨てたら、意味は無い。

 俺は俺のままで上を目指していく。

「孤高成る我か」

 廻は俺を未知のウィルスいや抗体でも見付けたように見る。

「循環する世界。

 水蒸気に成り。

 雲と成り。

 雨と成って舞い戻る」

 俺の正拳突きが真っ正面から廻に向かって放たれるのであった。

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