第70話 ジャンヌ
加速する車にジャンヌの目が一瞬見開かれた。
けっ度肝を抜いてやったぜ。頼まれるのは嫌じゃ無いが、命令されるのは嫌いなんでな。これで溜飲が下がったぜ。
後はあんたが俺の見込み通りの女がどうかだな。
ジャンヌが悪かどうかはこの際置いておく。助けられた借りは返すのが主義、ここで返してしまえば、後味残さないスッキリさで逃げられる。
唸りを上げる車に、大熊が慌ててセクデスを抱えて森に逃げるのが見えた。これで森へと逃げる左右の道は塞がれたが道を真っ直ぐ抜ける退路は確保された。
立ち止まりこちらを睨むジャンヌ。
ハンドルを真っ直ぐに固定する俺。
睨み合い。
互いに瞳の奥を探り合い。
轢いてしまうと体が強張ったが、何の衝撃も無くジャンヌの姿は目前からスッと幽霊か幻か消えた。セクデス達を置き去りにして車は突き進んでいく。
「よしっ」
俺は振り返ること無く車を走らせ逃走していく。もう覆水は戻らない、この場から逃げることだけを考えろ、例えジャンヌを轢いていたとしても仕方ないと割り切れ。
祈るような数秒が流れ、チリチリしていた背中も和らいできた。
「ふうっ」
振り切った安心でアクセルを放し、スピードを少し緩めたタイミングで、割れたフロントガラスからジャンヌが猫のように滑り込んできた。
「貴方、前埜の部下?」
銃を突きつけようか悩む俺の横で、割れたガラスの破片を払いながら助手席に座り込むジャンヌ。まるで主人そっちのけで快適な寝床を作るのに勤しむ猫のようだな。
こうも無防備だと深読みする俺が馬鹿らしくなる。
「部下では無い。多少世話になっているだけだ」
「そう。どっちでもいいわ。早く前埜に連絡して包囲するように伝えて」
おいおい、当然のように言うが何処の孔明だよ? まるでこうなるのを予想して伏兵を置いてあるみたいじゃ無いか。
何も知らない俺を囮にして、包囲網の中に誘い込む。そうなら、俺は前埜に利用されたことになる。その非情さを見直すと共に、このことを優しい時雨さんに言えば前埜から心は離れるな。
くっく告げ口なんて俺が大嫌いな嫌な奴そのものだが、そうで無くては俺は前埜と同じ土俵に上がれないのだからしょうが無い。
「包囲ね。前埜とそんな手筈を整えていたのか?」
大成果もあったがそれでも囮にされたのは面白くない。多少嫌みを振りかけて言う。
「いいえ。それどころか前埜は私がここにいることも知らないと思うわ」
何言ってんだこの女?
「おいおい、それで包囲をしろなんて命令しているのか?」
「アランから前埜は金等級の旋律者且つ政治力のある実力者でもあり、協力を取り付けたとも聞いているわ」
前埜、アラン、ジャンヌとラインがあるのは確定か。要はアランが裏切った、いやセクデスに洗脳されたということか。俺も同様に洗脳される寸前だったらしい。
今までの話を総合すると。
前埜さんすいませんでした。
俺は一人で勝手に敵を作り上げていただけだったようだ。だが、この性分で生き残ってきたんだ今更変えるつもりは無い。
「そうかも知れないが、段取りも無く包囲網を敷くなんて」
仕事は段取りで九割決まるんだぜ。とまでは言わないでおいた。そこまで言ったら可哀想かなと、少し思ったのだが。
「黙りなさいっ。それでも男ですかっ。事前相談、段取り。誰でも出来るように出来ても意味は無いのです。無理を通すからこそ意味があり男であると知りなさいっ」
「はいっ」
正論を言っている俺の方が叱られた。それでいて俺の方が悪いような気がしてくる。
「S級犯罪者セクゼスを捕まえられるチャンスは今しか無いと知れっ」
この女、トップにしたらいけないタイプだ。特に日本でこの女を社長にでもしたらスーパーブラック企業の誕生だ。
理性で分かっていても従いたくなる。この女の命令なら喜んで特攻してしまいそうだが、俺は何とか踏み止まれた。
「命令するなら、まずは貴方のことを教えて貰えませんかね」
「そうか紹介がまだだったわね。名乗りを許します」
え~聞いた俺から言うの? でもまあ尋ねる時はまずは自分からと言うから、この場合の無礼なのは俺の方なのか?
「帝都大学工学部二年、果無 迫」
「それだけ?」
「俺は学生以外の何者でも無いよ。旋律者でも警察でも無い。よって何の権利も義務も無い」
俺の命令を聞く奴なんて皆無ということであり、代わりに俺がここから逃げても誰からも非難される立場でも無いということ。セクデスには一矢報いたし、正直もう関わり合いになりたくない。
「そうなのか」
ジャンヌが意外そうに驚いている。
「てっきり先程の行動力から退魔士か警察かと思ったのだが、まさか一般人だったとは」
「そうだぜ。俺が戦わなくてはならない義務はないんだぜ」
「何を言っているの?」
ジャンヌは俺の当て擦りに心底不思議そうな顔をする。
「貴方が退魔士であるとか警察であるとか、そんなこと些細なことでしょ。貴方には戦う力がある。なら戦いなさい」
時雨さんも前埜さんも俺には戦う力は無いと言い、戦いからは遠ざけようとする。それが普通であり、彼女らの優しさなのだろう。
なのにこの女、俺に戦う力があり、戦えと命令する。
そりゃあ、戦えないより戦う力があると言われた方が男である以上心が擽られる。それも下手な煽てじゃ無いんだぜ、本心から思っていることがその真っ直ぐこちらを見る湖畔のように澄んだ瞳から伝わる。
もし戦い俺が倒れたら、時雨さんは悲しみ、この女は良くやったと称える。
怖い女だ。男を死線に追い込む。
カリスマに飲まれないようにしないとな。
「俗世じゃ、そういうことこそ重要だと思うがな。それで貴方は?」
「フランスから来た、エクソシストのジャンヌだ。そう言えば伝わるはずだ。そうアランが段取りを付けていてくれるはず」
アランの名を出すその顔に少しだけ蔭が見え、この女にこんな顔されるなら悪くないと思えてしまった。
前埜さんとの繋ぎくらいはしてもいいかとスマフォを出そうとした時だった。
「左っ!」
ジャンヌの叫びに左を見れば、木々を薙ぎ倒し鬼が飛び出してきた。
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