第33話 鍋奉行
「すいません、ちゃぶ台の上拭いといて貰えます」
「ああ」
キッチンで時雨さんと大友さんは仲良く料理の下拵えをしている。背後から見る白いエプロン姿の時雨さんは家庭的で初めて見る側面だった。思えば俺は時雨さんの旋律士という尖った部分しか見てないで惚れたんだな。
おっとここで突っ立っていると時雨さんの小振りのお尻を眺めている変態に思われてしまう、俺は大友さんから布巾と受け取り、ちゃぶ台の上を拭く。
「すいません、ガスコンロ用意して貰えますか」
「ああ」
キッチンにいる大友さんから収納場所を聞き、戸棚に置いてあったガスコンロを取り出しガス缶をセットする。
「寒いから雨戸閉めてよ」
寝転がってスマフォを見ている矢牛に言われた。
「何よ」
「別に」
「私はこう見えて護衛という仕事をしているんだから。交換条件で女の子と付き合うようなクズはせめて豆に尽くしなさいよ」
こいつ俺と時雨さんの経緯を聞いたな。まあ互いに愛称で呼び合う仲だ不思議じゃ無いし、別に俺は時雨さんに口止めもしていない。
馴れ初めを聞いたのか。
だから俺のことが嫌いなのか。
「何よ急に険が取れた顔しちゃって」
「いやお前が俺を嫌う理由が分かったから納得しただけだ。そうだな、お前が忠告してくれた通り豆に尽くさせて貰うよ」
納得がいく理由がある以上仕方が無い。
「ふんっそんな事したってプラスには成らないからね。精々負債が少し減るくらいよ」
「借金を抱えてから奮起して成功した男は大勢いるぜ」
「ばっかじゃない。それに私は絶対に貴方のこと認めないから。絶対にシグと別れさせてやる」
「ロミオとジュリエット。障害がある方が愛は燃え上がるんだぜ」
ついつい強がって見せたが、それも種火となる愛が少しでもあればの話だけどな。俺と時雨さんの間には無い。つまり障害なだけだが、これも嫌な手を使って時雨さんと付き合った代償だな。
矢牛さんはこれ以上俺と話したくないとばかりにスマフォを弄りだしたので俺も窓際に行った。窓を開けると冷気がすっと吹き付けてくる。寒い寒いと思いつつもベランダを確認する。洗濯物の取り忘れ無し。考えすぎだと思うが不審物が設置されていないか確認するが無し。異常なしで俺は雨戸を閉めた。
「すいません~、鍋持って行って貰えます」
「はいはい」
大友さんの呼ぶ声に俺はキッチンに向かい、大友さんから水の入った鍋を受け取り、ガスコンロにセットする。
先にお湯を沸かしておくかと火を付けようとした。
「まだ火は付けちゃ駄目だよ」
時雨さんはキッチンで洗っていた昆布を持ってきて鍋に丁寧に伸ばして入れていく。
「火は入らないのか?」
「ふふ~ん、鍋はこの昆布の出汁をうまく取るのがミソなんだよ。まずは水に付けるんだ」
時雨さんは得意顔でうんちくを語り出した。
「めんどくさいな。鍋の元を入れちゃ・・・」
時雨さんが虫けらを見るように告白したときですら見せなかったすっげえ冷たい目で俺を睨む。
「駄目ですよね~」
「暫く君に用はないから今のうちにお風呂に入って来なよ」
「へいへい」
逆らえない雰囲気なので大人しく風呂に入ることにした。まあゆっくりしてくれば鍋も丁度煮えているだろ。
「ふう」
風呂から出てくるとちゃぶ台で女三人昆布が入っているだけの鍋を囲んでいる。
「何してるんだ?」
矢牛さんはどこか諦めたような顔でスマフォを弄っている。
大友さんは目を蘭々を輝かせて時雨さんを見ている。
そして時雨さんは呼びかけすら聞こえないほどに鍋の中を凝視している。
異様な時が流れ鍋の水が温まり泡がぽつぽつ湧き出てくる沸騰直前に時雨さんは昆布を鍋から取り出した。
「凄いな、職人みたいだな。何にせよ出汁は取ったんだから食材入れようぜ」
俺は席に着くと用意してあった菜箸で具を入れようとしたら手を軽く叩かれた。
「めっ。最初は出汁が出るものから」
そう言うと俺から菜箸を取り上げ白身魚や牡蠣を入れだした。
そして時雨さんはじっと食材の煮え具合をチャックしていく。
「よし野菜を入れだそう」
鍋なんて煮ちゃえば同じだろという俺とは次元が違う。
これが噂には聞くが初めての遭遇。
時雨さんって鍋奉行だったんだな。
その後も手を出そうとすると叩かれ最後まで時雨さんが仕切る中、やっと鍋が出来上がった。
「よしっ、出来た」
確かに、煮上がった具材は程よく火が入り彩りよく染め上がり、見栄え良くかつ人間の食欲に訴えかけるように鍋の中に彩りよく並べられた具材。一枚の絵、芸術と言ってもいい輝きを鍋は見せている。
「それじゃあ。頂こうか」
俺はお玉で具材を掬おうとした。
「めっ」
また手を叩かれた。
「ちゃんといただきますの挨拶をしてから」
時雨さんに怒られてしまった。
「まったく育ちが悪いわね」
矢牛さんがあからさまに呆れ顔を作り侮蔑の吐息を吐く。
本当にそうだな。怒られて侮蔑されているのに、ちょっと嬉しい。
「じゃあするよ」
「「「「頂きます」」」」
四人揃って挨拶をした。
全く食事前に頂きますの挨拶なんて聞くのはいつぶりだろうか? 一人でずっと食事を続ける内、いつしか無言が当たり前になっていて忘れていたな。
「じゃあボクがよそってあげるね」
今までの厳しい時雨さんは何処へやら一転して優しくなった時雨さんは、俺から小鉢を取るとよそってくれる。
牡蠣、野菜、キノコ、それはもうバランスが取れた内容でした。
何だかんだで、久方ぶりの賑やかでおいしい食事が終わり、時雨さんが入れてくれたお茶を啜っているとベランダの方からカタッと音がした。
瞬間時雨さんと矢牛さんの顔付きが引き締まる。
「何か音がしなかったか?」
「ベランダの方だね」
「風じゃ無いんですか?」
「ボクが様子を見るから、キョウちゃんは大友さんの傍にいて」
大友さんの楽観を無視して時雨さんは矢牛さんに指示を出す。
「分かったわ」
「君は下がっていて」
時雨さんが立ち上がって窓際に行くので俺も付いて行こうとすると厳しい顔で命令された。
戦場での罠発見機は捨て駒の役目、俺は時雨さんを無視して強引に前に出ると雨戸に手を掛けた。
「開けるぞ」
力任せにバッと勢いを付けて雨戸を開けると、俺はベランダに飛び出す。
日が沈み月明かりに照らされてぼんやりと影の輪郭が見える。
ペラペラペラ。
木枯らしに吹かれてはためいている。
ペラペラペラペラ。
物干しにぶら下がりツナギでも干しているかのよう。
ぽとぽとぽと。
脱水でも甘かったのか、滴が垂れている。
ぽとぽとぽとぽと。
ベランダに溜まり広がり血臭を漂わせる。
まるでプレス機で押し潰したペラペラの皮のよう。
物干しにはペラペラと皮に様になった砂府が吊されていた。
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