第15話 届かぬ手
沈んでいく沈んでいく。
俺は水底に沈んでいく。
必死に手を伸ばしても大空を舞う鳥には届かない。
目をうっすらと開けていくと白色光が入ってくる。
目の焦点が合えば二本に並ぶ蛍光灯が配置された天井の光景。
息を吸えば消毒の臭い。
体を動かそうとするとスプリングの軋む音。
多少ぐらつきながら上体を起こすと、掛けられていた掛け布団が落ちた。
「あっ良かった。気がついたんだ」
声の方を見ればベットの脇で椅子に座って本を片手に持つ時雨さんがいた。
俺に向けられた目元は下がり、薄い朱が射す口角もふっと上がっている。
「ここは?」
「ああ病院のベットだよ。君はあの後この病院に運ばれたんだ」
病院? ああそうか水槽が割れて俺は濁流に呑まれて意識を失ったのか。
俺が無事病院に運ばれたということは、怪異は無事退治されたということか。そして俺が気が付くまで時雨さんは傍にいてくれた。
その上目の錯覚で無ければ俺が無事起きて微笑んでくれた。
これじゃまるで恋人みたいだな。
頑張った甲斐があったのかなと俺に甘い期待が芽生え始めたとき、それを踏み潰すようにドアが開かれた。
「やあ、彼気が付いたようだね」
病室のドアを開けて入ってきたのは、スーツで身を固めた優男。顔は優しげに整い、背は175くらいでスラッとしている。見た目なら雑誌のモデルで通用しそうでありながら、声も婦女子向けアニメ声優になれるくらいに色気がある。
それだけならイケメンのリア充、俺とは関係ないで終わるのだが・・・。
「前埜さん」
答える声が凜と跳ね上がっている。
頬はほんのりと桃のように染まってかぶりつきたくなるように艶が生まれ。
目は愛する主人を見る子犬のように一心に見開き心なしか潤んでいる。
先程までが月なら今は太陽、内面から生き生きと輝いている。
文学的に言えば、恋する乙女。
ゲスな言葉で言えば、雌の顔になっている。
そうか。
そうだよな。
時雨さんほどの人を運命が放っておく訳が無い。
ヒロインにはヒーローが用意されている。
「時雨、彼の服もう乾いていると思うから取ってきてくれないか」
そう言えば俺は病院服に着替えさせられている。
「はい。取ってきますね」
頼まれたことを嬉しそうに時雨さんは俺の方に視線を一度として向けること無く病室から出て行った。
「さて、果無君だったかな」
「そうですが、あなたは?」
「ああ紹介がまだだったね。君のことは時雨から聞いていて初めての気がしなかったんで。
私は 前埜 章(まえの しょう)。時雨の兄みたいなもので、仕事ではマネージャーをしている」
兄みたいなもの。つまり兄では無いんだな。
「今回は大変だったね」
「まあ。
それで、わざわざ時雨さんを遠ざけた用件は?」
まあ時雨さんから事情を聞いているのなら、用件は察しが付くけどね。
「察しが良くて助かるよ。
では、単刀直入に行こう。
これは善意で言う、時雨と別れろ」
その男は先程まで優しげな仮面はずり落ち、厳しい男の顔で俺に告げた。
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