俺嫌な奴になります。

御簾神 ガクル

第1話 出会い

 俺は人間が嫌いだ。

 昔人よりちょっと違うというだけで、俺が何嫌なことをしたわけじゃ無いのに酷いいじめを受けた。

 その時普通の人としての心は死んだ。

 多分俺が人並みの幸せを掴むことは無いだろう。

 たかがいじめと他人は言うが、本人にとっては元に戻せない傷となる。

 大けがをしたとき、体は元に戻らない。絶対に傷跡は残る。

 それと同じだ。

 俺の心はもう普通には戻れない、奇形となって生きていくしか無い。

 故にいじめを受けた者は普通の幸せは二度と手に入らない。

 俺はいじめを受けて心に傷を負い、傷が塞がったときには人が信じられなくなった。

 だからといって他人を拒絶したりしない、そんなことしても何も成らない。

 迫害されるだけだ。

 知恵を身に付けた俺は、笑顔で適度な距離を保って付き合う。

 所謂いい人の仮面を被った。

 人に対して嫌なことはしない。

 でもそれだけじゃ人間舐められまた虐められる、だからもう一つの掟を刻む。

 されたら全力で仕返しをする。

 これはそんな俺の物語。


 バイトが終わった帰り道。陸橋を昇ったところで黄昏時になった。

 沈み往く太陽で世界が赤く染まりだし、昼と夜、現実と幻想の境界がぼやけだす。

 視界が開けるほどに広く空中庭園のような陸橋の上はいつもなら誰かしら通行しているはずなのに、夕日に溶けるように誰もいなかった。

 俺だけがいる陸橋の上、すうっと先が消えてない手首だけが浮いていた。

 手首はゆらゆら上下しておいでおいでと誘っている。

 俺が訝しみその場に止まっていると、手首が増えていた。

 一つから二つ、おいでおいで俺を誘う。

 こっちは楽しいよと手は誘う。

 瞬きすると、三つ四つ三つと増えている。

 こっちは仲間がいるよと誘う。

 うざいと思ってみれば、七つ八つ九つ十と増えている。

 一人は寂しいでしょ。

 おいでおいでこっちは友達もいるよ。

 無数に増えていく手首が俺を誘う。

 いい加減にうっとおしい。追い払ってやろうと一歩踏み出そうとしたところで、凜と鈴の如く堅く澄んだ声がした。

「誘いに乗っては駄目」

 声の方を見れば夕日から滲み出てくるように少女が世界に入ってきた。

 三つ編みに束ねた黒髪に赤い簪をした少女。

 身に纏っているのは紺のブレザー。

 女子高校生のような出で立ちでありながら少女は右手に小太刀、左手にUの字をした銀色に輝き夕日を跳ね返す音叉のような物を持つ。

 空中に浮かぶ手首より幻想的な少女はトンと音叉で空気を叩いた。

 何も音はしない当たり前だ。

 だが少女は構わず二度三度と音叉で空気を叩いて回り出す。

 旋回する軌道で小太刀を振るう。

 舞いを踊るように少女は音叉を振るい小太刀を払う。

 何の意味があるのかは分からない、分からないが心は綺麗だと感じた。

「綺麗だ」

 俺が呟き音叉が振るわれたとき。

 プーーーーーーーーーーーーーーンと小太刀が共振をした。

 トンと音叉を振るえば小太刀が共鳴し、共鳴した小太刀が空気を切り裂く時。

 世界に美しい、一音が響いた。

 それはトライアングルのような音。

 一音響いて、舞い踊り、二音が響いたときには旋律が紡がれ出す。

 少女は可憐に踊り、旋律を奏でる。

 幻想的に硬化質。

 例えるなら雪国の夜。

 降り積もり雪原。

 風も無く冷たく静寂に包まれ空気さえも凍り付き。

 ただ月だけが楚々と月光を降らす。

 時さえ凍り付き空気すら砕ける。

 そんな幻想が浮かんでくる。

「雪月流、風凍る夜」

 少女が舞いを踊りきり、そう宣言をすれば。

 右手に持つ小太刀が振動し銀光に輝く。

「参ります」

 左手で音叉を振り小太刀を共振させつつ、すーーと滑るように地面を駆け抜ける。

 流星の軌跡に見穫れる暇も無く間合いを詰め空中に浮かぶ手首にその刃を突き立てれば、手首はかしゃんとガラスが砕けるような音を立てて砕けた。

 そこで手首は少女を自分の敵と認識したのか、少女を掴もうと無数の手首が少女に襲いかかる。

 少女は左手でシャンシャンと音叉で空気を叩き、右手の小太刀が白銀に共振する。

「無駄だよ」

 四方からの攻撃を鶴が羽ばたくように舞って躱して返す動きで手首を砕いていく。

 瞬きする間もなく全ての手首は砕け散り、地面に落ちる前に砕氷の如く蒸発していった。

「ふうっ」

 全ての手首を砕いて少女は一息付くと俺の方に向かってきた。

「大丈夫?」

 少女は心から俺の安否を心配して問いかける。決して義理とか義務ではない、見も知らずの取るに足らない俺のことを気づかってくれている。

 決して怪異退治のついでに俺を助けたんじゃ無い、俺を助けるついでに怪異を退治したんだ。

「平気なようだね良かった」

 その顔は母のように全てを包み込む柔らかさがあり、先程まで戦っていたときに見せた月光すら弾き返す氷のような凜々しさは氷解している。

「いい、今日のことは悪夢だと思って忘れなさい」

 俺より年下だろうに、俺に助言する顔は弟に対する姉のように偉そうでいて親身。

 先程までの張り詰めていた少女の気は完全に緩んだ。その緩んだ気につけ込み、俺の背後に隠れていた手首が二つ少女に襲いかかった。

「くっ」

 一つは少女の細い首、一つは恐ろしい刀を持つ右手を掴む。

 少女は唯一自由に動く左手で首を絞める手首を外そうとするが、純粋な力では手首の方が上のようで、少女の顔はリトマス試験紙のように青く染まっていき息が荒れてくる。

 そして俺は動いた。

 手刀を少女の右手首に叩きつけると同時に握力が緩んだ隙に少女の小太刀を奪い取る。

 少女の裏切られた思いがこもった瞳が俺を見つめる。その瞳から視線を逸らさないままに、俺は小太刀を振るった。

 一閃、少女のように踊るような優雅さは無いが無駄を削ぎ落とした実用美の直線が少女の首に襲いかかる。

 パリン、少女の首を絞める手首が砕けた。どうやら俺が使っても小太刀の威力は発揮されている。小太刀の主を助けたい思いが俺に力を貸したのか?

 返す刀で少女の手首を掴む手首を砕いた。

「かはっ」

 解放された少女は膝を付いて咳き込む。

「大丈夫か」

「うっうん」

 少女が俺の指しだした手を掴んで立ち上がる。

 柔らかく小さな手だ。

「ありがとう助かったよ」

 少女がお礼を言い、俺がいつもの如くいい人の仮面でお互い様と言って手を離せば。

 糸が切れるように俺と少女の縁は切れるだろう。

 そして二度と出会うことは無い。

 少女が何者かは正確には分からないが、怪異に巻き込まれたモブの俺を助けに来た心根優しい娘であることは分かる。

 少女に非は無い。

 ただ俺が少女と一緒にいたいと思ってしまっただけだ。

 他人とは深く関わらない。

 他人に嫌なことはしない。

 そう誓って生きてきたが、今その誓いを破る。

 この誓いを破った代償は大きいことも分かっている。

 これからはまた悪意が俺に襲いかかってくるだろう

 それでも少女と少しでも長くいられるのならいいと思ってしまった。

 今誓いを破って、俺は嫌な奴になる。

「ならお礼に俺と付き合え」

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