担任教師との面談
真っ白な面談室。
ここは【タレント】を発揮できない部屋だともっぱらの評判だ。古くさく言うのであればまあ、結界、とでもいうところ。ある程度のタレントの持ち主であれば、この部屋に入った瞬間皮膚感覚でそのことがわかるという。
もっとも俺には関係のない話だ。……どちらにせよ俺は、鬼ヶ原に入学してからいちどもタレントを用いていない、いや、――もう二度と決して用いないと決めているのだから。
そもそもが、面談室での二者面談などというのは、感情のひとつも動かされないものなのであって。
「矢野。だから、おまえはどうしたいんだ」
この春から、俺の担任教師となった
「いや、だから俺は……べつに」
「わかってないようだから繰り返し言うが。矢野、おまえは留年したんだぞ。本来は三年生に上がるべきところを、もう一度二年だ。情けなくはないのか。わが学園は原則として留年を認めないことは、校長先生からもよくよくお話があったよな。つまり特例的処置だ。それでいま何月だと思ってる。五月だ。もうすぐ中間テストなわけだが、おまえの素行は相変わらず悪い。悪すぎる。最悪だ。遅刻早退欠席、たまに授業に出てきたと思ったら、寝てるか空を見てるかだ。……この事実をどう思う」
「はあ……その事実は知ってるけど」
「その上その態度。繰り返し指導してると思うが。教師に敬語も使えないのか? おまえなあ、いつまでもそんな態度だと、――内申点、下がるぞ?」
【内申点】――その言葉ほど、この学園の生徒たちに影響力のある言葉は他にそうないだろう。……【地上】に暮らす、一般の学生たちとは決定的に意味が違うのだ。
「……下がるぞ、じゃなくて、下げるよって言ったほうがいいんじゃないか。今年からは累ちゃんが俺の内申点つけるんだろ? だったら脅しだよな。なら下がるよとか自動にそうなるみたいに言わないでさ、」
「屁理屈はやめろっ!」
担任教師は、バン、と机を叩く。
……ヒステリーとはかくも嫌なものだよなあ。
そしてそのまま累ちゃんはお説教モードに入ってしまう。ジェスチャーとして手を動かすたびに、もともとあまり手入れのされていないっぽい茶髪が更に乱れていく。……ちゃんと髪を整えて化粧のひとつでもすれば、それなりに美人になるかもしれないのに。生徒からモテちゃったりするかもしれないのに。ああ、もったいない。俺が憂いたって一ミクロンも意味のないことだけど。
……まあ、【世界人類社会】の公務員である鬼ヶ原の教師が、もしも仮に鬼ヶ原の生徒と恋愛なんかしたら、問題も大問題、その時点でまともな人生への道はシャットアウトされるだろうけれど。
「……だいたいおまえはいつもそうやって、」
「あのさ累ちゃん。話ってそんだけ?」
累ちゃんは眉を吊り上げる。……まるで俺が言葉を発する人間だということを忘れていたかのような顔だな。失礼な教師だ。
「テストも近いし。俺、早く帰って勉強しなきゃなんだよね」
「嘘つけおまえが帰って素直に勉強するわけがないだろう。寮長からもおまえの態度は筒抜けなのだぞ。門限破りの常習犯だって、おまえ職員室でも有名なんだぞ。……夜までいたって楽しい場所など、鬼ヶ原にはどこにもないだろう」
俺はなにも返さない。……楽しい場所がこの地にはないということに限ってはまったくもって心底同意だが。
鬼ヶ原と呼ばれるこの浮島には、鬼ヶ原高校と寮以外、なにもない。文字通り、なにも、だ。街もないし、かといって自然が広がるわけでもない。ただふたご島のようにして、学園エリアと寮エリアがあるだけなのだ。……生徒たちはそこを行き来するだけ。教師たちは、夜になれば、当直の当番以外はみな、温かな光のある地上の世界へ帰っていくというのに。
「だいたいな、おまえは勉強もだし、部活のひとつもしないからたるんでるんだよ。私だって学生時代は剣道部で社会というものを学んだ。部活に入れ部活に。おまえは二年なんだから、いまからだったら間に合うだろう。……だいたい、わかってんのか?
「それ義務?」
「……なにがだ」
「部活に入ること。義務なのかって。……校則違反だったら一番楽な部活に入るけど」
「……校則違反ではない。そういうことではない……これだから矢野、おまえは……」
これからこの教師が言うことなんて、簡単に予測できる。予知能力ではない。このくらい。……この教師に、もう何十回何百回って言われていることだからな。
「鬼ヶ原の生徒として、おまえはいつでも見られていることを忘れるな、背筋を伸ばした生きかたを心がけろ、……っすよね。それって俺らいつでも監視されてるってことっすよね、二十四時間三百六十五日。寮ったってそこしか住む場所がないんだ。……帰してくれるんならいますぐ帰ってやるけど」
俺はわざと要求するような右手を差し出してなどみせる。
……帰せるわけがない。
俺が、【世界人類社会】に復帰できるわけもないのだ。
累ちゃんは変なものでも見るかのように顔をしかめる。俺を見つめてくるが、悲しそうな色などそこにはない。角谷累子は善良な教師というわけではない。この教師はただ、俺がうっとうしいだけなのだ。
俺もあえて視線を逸らすことはしない。ひとの目をまじまじと見ることができるのは、たぶん俺の特技なのだと思う。
「……ああ。ああ、その手を引っ込めろ。……今日は帰っていい。中間テスト、しっかりやるんだぞ」
俺はしゅっと手を引っ込め、かばんを引っかけると、お辞儀もあいさつもせずにただ淡々と部屋を出た。
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