第33話 松永家
面白い御家だ。
そう新たな主家、松永家の事を本多弥八郎正信は思った。
当主の松永久秀は、京の商家の出である。
それが管領細川家の家宰であった三好家の当主、三好長慶に祐筆として仕えて、出世して、家を興したのだ。
当然、譜代の家臣などいない。
松永家の家臣といわれている者は、かつて久秀と共に三好に仕えていた同僚の者や、正信の様な氏素性の怪しい者のどちらかである。
妙な連中が多い。
例えば楠木甚四郎正虎という、五十過ぎのオヤジが居る。
書の名手で、祐筆として久秀に仕えているのだが、祖先はあの楠木正成だと言う。
楠木正成いえば大覚寺統の後醍醐天皇に仕え、足利の初代公方、尊氏と戦った男だ。
長らく朝敵とされていたこの祖先を、正虎は放免してくれるよう朝廷に嘆願していたという。
それに久秀が手を貸してやり、嘆願は聞き届けられ、以降、正虎は久秀の下で働いている。
他にも土岐小次郎頼次という、二十歳そこそこの若者がいる。
頼次は元々、美濃の守護の家に生まれたが、幼き日、父頼芸が家臣の斎藤山城守利政に謀叛を起こされ、国を追われた。
初めは、母の実家である南近江の六角家に身を寄せていたが、その六角も織田信長に攻め滅ぼされ、久秀の処に落ち延びているのだ。
高貴な生まれで、品の良い顔立ちをしているが、幼き頃より諸国を彷徨っている為か、その瞳の色が恐ろしく暗い。
変わり者と言えば、高山飛騨守友照と結城左衛門尉忠正の二人も、変わった男たちだ。
二人とも三好家に仕えていた、久秀の元同僚なのだが、耶蘇教に改宗し、それぞれダリオとアンリケという耶蘇教の名まで持っている。
そして毎日、南蛮の坊主に従って、耶蘇教を広める手伝いをしているのだ。
久秀自体、耶蘇教には改宗していないが、南蛮の文物知識には興味があるらしく、領地での布教を許す代わりに、二人から南蛮人を紹介してもらっているらしい。
居城の多聞城の本丸が、天守と呼ばれる塔なのは、南蛮の建物を習って作っていると言う話だ。
天守という名自体、耶蘇の神の事を天主と呼びことから来ているのだそうだ。
変わった城だ、そして変わった御家だ。
高くそびえる天守を眺めながら、正信は思う。
松永の家が変わっているのは、おそらくその源流である三好の家がかわっているのだろう。
三好家は元々、阿波の国衆の家である。
先代当主長慶が、商家の出である久秀を重用したこと自体は、さして珍しいことでは無い。
国主が譜代の家臣を差し置いて、身分の低い者、武士でない者をとりたてて、側近として置くことは、無い話ではない。
甲斐の武田信玄や尾張の織田信長などは、そういう家臣たちが何人もいる。
しかし長慶が変わっているのは、久秀をそのまま使っていることだ。
例えば信玄であれば、側近として、馬場信春、内藤昌豊、山県昌景、そして高坂昌信の四人が有名である。
馬場ら初めの三人は甲斐の身分の低い地侍の家の出で、高坂昌信至っては農民の出だ。
それを信玄は、それぞれ甲斐の名跡を継がせ、家中での折り合いをつけている。
普通はそうだ。
あくまで武家とは御家が基本であり、主君と家臣とは、家と家とのつながりなのである。
才覚のある者に、由緒ある家を継がせ、その才を振るえる場を与える。
そういうものだ。
しかし三好は違う。
長慶は久秀に、阿波の名跡を継がせず、松永久秀として使い、それでいて弾正という官位を与えている。
なんとも不思議な話だ。
そして名跡を継がなかった久秀には、当然、養子先の親類の様な、譜代の家臣はいない。
居るのは正信の様な、有象無象の輩である。
妙な家だが、面白い。
そう正信は思う。
少なくとも、譜代の家臣たちが幅を利かせる松平の家よりは、数段ましである。
ここからのし上がればよい。
久秀が三好の家を踏み台にしたように、自分も松永の家を踏み台にしてのし上がれば良い、それだけの事・・・・。
「本多どの」
声を掛けられ正信が振り返ると、そこに若い侍が立っていた。
「弾正さまがお呼びでございます」
若い侍、ジュストとか言う耶蘇教の名を持つ、高山友照の息子に、承知した、と返事をして正信は城の奥に進む。
本丸の庭に、小さな茶室がある。
中に入ると、先客が居た。
「おぬし・・・・・・」
見覚えのある若者だ。
「知り合いかい?」
ニヤリと微笑み、久秀が問う。
ええ、少し、と正信は答える。
その表情を見るに、おそらく久秀は顔見知りである事を、知っているのだろう。
「名は確か・・・・・」
座りながら、正信は相手を眺める。
「鈴木孫三郎だ」
若者はぶっきらぼうに答える。
「そうだったな」
正信が昔の主人を狙撃するのに雇った、雑賀の鉄砲撃ち、鈴木孫三郎重朝だ。
「何用で御座いますか?」
久秀はニヤニヤ微笑みながら、茶を点てるでもなく、秘蔵の茶釜、平蜘蛛を撫でながら口を開く。
「織田どのに逢うてきた」
「お赦し頂いたので?」
「まぁな」
正信は久秀の方を見ながら、目の端に映る雑賀の鉄砲撃ちの事を考える。
なぜ久秀が重朝を呼んだのか?
「そこでなぁ」
スッと切れ長の目を、久秀は細める。
「お前さんの元の主人に、会うたぞ」
「そう・・・ですか・・・・」
ああっ、と言って久秀は頷く。
「徳川三河守どのにな」
はぁ、と正信は気の無い返事をする。
本当に興味が無いからだ。
正信は、松平次郎三郎元康こと、徳川三河守家康に元々それほど興味も関心も無かったが、今は全く何も無い。
「如何で御座いましたか?」
一応、問う。
「つまらぬ男じゃのう」
久秀は苦笑する。
「あれではお前さんを、使いこなせまい」
「・・・・・そうですなぁ」
重朝を見ない様にしながら、正信は話の行き先を見極めようとする。
しかし読めない。
「だが織田の三郎どのは、えらくお気に入りのようじゃ」
「そのようで」
短く正信は答える。
「ああ、その様だ」
久秀がニヤリと笑う。
正信が話の行き先を読もうとして読めないでいるのを、楽しんでいる様だ。
「それにもう一人・・・・・・・」
平蜘蛛を撫でていた久秀は。その手を止める。
「近江の浅井新九郎長政」
「確か、織田どのの妹婿とか・・・・・」
ああっ、と久秀が頷く。
「この二人が織田どのにとって、大事な盟友、いや弟分と言うべきかな」
「そうですな」
「そしてわしには、邪魔な者だ」
微笑んだまま、穏やかな口調で久秀は告げる。
「織田どのには、もっとわしを頼りにして貰わねば困る」
「・・・・・信頼ですか?」
わざとらしく皮肉な笑みを浮かべ、正信が応じる。
「信じて頂く必要はない」
同じ様な笑みで、久秀が答える。
「ただ頼りにして貰わねばいかぬのだ」
なんとなく、話の行き先が正信には見えてきた。
「それには・・・・・・特に、浅井新九郎が邪魔だな」
「始末しますか?」
鈴木重朝を一瞥して、正信は静かに告げる。
いや、と久秀が首を振る。
「浅井は裏切らせる」
ほぉ、と正信は声を漏らす。
「裏切りますか?浅井が・・・・」
「別にまことに裏切らずとも良い」
「と言うと・・・・・」
わざと上手に相槌を打つ。
「織田の三郎どのの目から見て、浅井新九郎が裏切った様、見えるようにすれば良いだけじゃ」
なるほど、と正信は頷く。
その謀を自分にしろと言うことか、と正信が思っていると、その心を読み、久秀が告げる。
「その一件、既に事はすんでおる」
「そう・・・・ですか」
では自分は何を?と正信は目を細める。
それに隣にいる重朝だ。
重朝は二人の会話に興味が無いらしく、ボォっと上を見ている。
「お主にはもう一方・・・・・・」
久秀がようやく、重朝の方を見る。
「徳川三河守を始末してもらう、其奴と共に」
「それは・・・・・・」
正信は眉を寄せる。
「別にこの者だけよいでしょう」
重朝の方を見て、正信は言う。
「三河守の顔は知っております、なぜなら・・・・・・」
「一度、狙ったからな」
上の空だった重朝が、口を開く。
わかっておる、と久秀が応える。
「わしはなぁ、弥八郎」
ニコニコしながら、久秀が告げる。
「お前さんを気に入っておる」
「・・・・・・あまり家臣の前で、好き嫌いは言わぬ方が良いかと思いますが」
「そう言うところが、気に入っておる」
松永家に来てから正信が命じられた仕事と言えば、大和の地侍や堺の豪商への使いくらいだ。
別に大した仕事はしていない。
ただたまに久秀に呼ばれて、少し話し相手になるくらいだ。
確かに家中で正信ほどの切れ者は居ない、妙な連中は多いが、切れ者と言うような者はいない。
「お前さんに、未練があると・・・・・・・困る」
「そのようなもの・・・・欠片も御座らぬ」
珍しく、心の底から本心を告げる。
「拙者と徳川三河守は、もう決して二度と交わらぬ主従でござる」
はははっ、と久秀は笑う。
「故郷は離れてみると、違って見えるもの」
「・・・・・・分かりました」
正信はジッと、久秀を見つめる。
「この雑賀の孫三郎が、徳川三河守を仕留めるところ、必ず見届けて来ます」
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