第16話 とある創作者の苦悩みたいなもの

 彼の文章を読んだら分かるのだけど、日々変化しているのだ。まるで天気のように。昨日の彼は、今日の彼ではない、そう思えるほどには。

 「男子、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」という、昔の故事にちなんだ慣用句があるのだけど、そういう感じ。劇的な大変化というか進化とはいかないまでも、変化しているには違いないのだ。たぶん、書き続けているからなんだろう。若い作者に注目する事の楽しみを感じさせてくれる。


 ネットでの交流がある現代、作者と読者の距離は近い……ように感じる。だけど、だからこそ、「知り合い」が新たに発表した文章に相対するとき、せめて、作品に対してだけは、初めて会ったような風に、見たいものだ。


 私の気持ちは今や、作者と作品は別だ、という考えに傾きつつある。以前はそういう事を、考えないようにしていた。だけど、自分自身が悩むようになったからなのかもしれない。前作のイメージを壊す事を、意識的にやるようになった。例えば、詩で「上品」な風に仕上がった後は、小説の方でかなり下品な事をやったり。

 道徳的な意見を発した後は、見たり聞いたりした人が軽蔑するくらいの、馬鹿らしいことを言ってみたりやってみたり。誰かに親身になったかと思えば、辛辣な文章を出してみたり。ファンですと言われ、その熱心な読者がかなり内情に踏み込んでくる場合、そっけなく返したり。それは、自由な精神で創作するために必要だからそうするのであって、憎んだり、軽んじてやっているわけでは無い。読者は読者であり、作者は作者でしかない。お互いの領分があるのだから、お互いに、なにか言われたからといって、どうという事はないのだ。


 自由って何だろうと思うに、自分の手の届く範囲内で、自由なのだ。だから、実際は不自由なのだ。そして、自分自身すら、本当は自由にどうにかできるものではないのだけど、それでもあがく事そのものが、創作なんだと思う。おそらく。

 だから、時に苦しい。

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